御書研鑚の集い 御書研鑽資料
題目弥陀名号勝劣事 第3章 念仏者・聖道門の法華誹謗
【当時も又かくの如し。此の五十余年が間は善導の千中無一、】
今も、また同じことなのです。この五十余年の間は、善導が主張した「千中無一」、
【法然が捨閉閣抛〔しゃ・へい・かく・ほう〕の四字等は、】
法然が唱えた「捨閉閣抛〔しゃ・へい・かく・ほう〕」の四文字は、
【権者の釈なればゆへこそあらんと思ひて、】
阿弥陀仏や勢至菩薩が仮身となり、この世に出現したと思われる人の主張ですから、
【ひら信じに信じたりし程に、】
何か根拠があると思ってひたすら信じていたところ、
【日蓮が法華経の或は悪世〔あくせ〕末法時〔まっぽうじ〕、】
日蓮が法華経の「悪世末法の時」、
【或は於後〔おご〕末世〔まっせ〕、】
または「後の末世〔まっせ〕に於いて」、
【或は令法〔りょうぼう〕久住〔くじゅう〕等の文を引きむかへて】
または「令法〔りょうぼう〕久住〔くじゅう〕」などの文章を引いて、
【相違をせむる時、我が師の私義破れて疑ひあへるなり。】
その違いを責めた時、自分の師の勝手な教義が破折され疑うようになったのです。
【詮〔せん〕ずるところ、後五百歳の経文の誠なるべきかの故に、】
結局は「後〔ごの〕五百歳、広宣流布」の経文が真実となるのが当然であり、
【念仏者の念仏をもて法華経を失ひつるが、】
念仏者が法華経を否定する念仏をもって法華経を滅ぼそうとしてきたのが、
【還って法華経の弘まらせ給ふべきかと覚ゆ。】
それによって返って法華経の正しさが証明され、法華経が弘まると思われるのです。
【但し御用心の御為に申す。世間の悪人は魚鳥鹿等を殺して】
ただし用心の為に申し上げますが、世間の悪人は、魚、鳥、鹿などを殺して
【世路を渡る。此等は罪なれども仏法を失ふ縁とはならず。】
生活していますが、これらは、罪であっても仏法を滅ぼす縁とはなりません。
【懴悔〔さんげ〕をなさゞれば三悪道にいたる。】
しかし仏に罪を認めて許しを請〔こ〕わなければ、それでも三悪道に堕ちるのです。
【又魚鳥鹿等を殺して売買をなして善根を修する事もあり。】
また魚、鳥、鹿などを殺して売り買いをして善根を積むこともあるのです。
【此等は世間には悪と思はれて遠く善となる事もあり。】
これらは、世間では、悪と思われていても、最終的には善となることもあります。
【仏教をもて仏教を失ふこそ、】
仏教の間違った解釈で仏教を滅ぼすことこそ、
【失ふ人も失ふとも思はず。】
滅ぼしている者も自分が仏教を滅ぼしているとは思ってもおらず、
【只善を修すると打ち思ひて、又そばの人も善と打ち思ひてある程に、】
正しいことを行っていると思い込んでおり、また周囲の者もそう思っているのです。
【思はざる外に悪道に堕つる事の出〔い〕で来〔き〕候なり。】
しかし、それとは真逆で、仏意に反して結果的に悪道に堕ちることになるのです。
【当世には念仏者なんどの日蓮に責め落とされて、】
今の世の中には、念仏者などが日蓮に責め落とされて、
【我が身は謗法の者なりけりと思ふ者も是あり。】
我が身が謗法の者であった事に気付く者もいます。
【聖道の人々の御中にこそ実の謗法の人々は侍〔はべ〕れ。】
しかし、聖道門の人々の中にこそ、ほんとうの謗法の人々がいるのです。
【彼の人々の仰せらるゝ事は、法華経を毀〔そし〕る念仏者も不思議なり。】
この人々が言っていることは「法華経を毀〔そし〕る念仏者も不思議であり、
【念仏者を毀る日蓮も奇怪なり。念仏と法華とは一体の物なり。】
念仏者を毀〔そし〕る日蓮も奇怪である。念仏と法華経とは、一体のものであり、
【されば法華経を読むこそ念仏を申すよ、】
したがって法華経を読むことは、念仏を称〔とな〕えることであり、
【念仏申すこそ法華経を読むにては侍れと思ふ事に候なりと、】
念仏を称〔とな〕えることこそ法華経を読むことになる」と言うことなのです。
【かくの如く仰せらるゝ人々、聖道の中にあまたをはしますと聞こゆ。】
このような主張を述べる人が、聖道門の中に数多くいると聞いています。
【随って檀那も此の義を存じて、】
したがって多くの信者たちも、この主張を聞いて互いに仏教を信じる
【日蓮並びに念仏者をおこがましげに思へるなり。】
日蓮と念仏者が言い争うのは、ばかげていると思っているのです。
【先づ日蓮が是程の事をしらぬと思へるははかなし。】
日蓮がこの程度の事を知らないと思われるのは、実に嘆〔なげ〕かわしい事です。
【仏法漢土に渡り初めし事は後漢〔ごかん〕の永平〔えいへい〕なり。】
仏法が中国に渡り始めたのは、後漢の永平〔えいへい〕年間です。
【渡りとゞまる事は唐の玄宗〔げんそう〕皇帝開元〔かいげん〕十八年なり。】
渡り終わったのは、唐の玄宗皇帝の時代、開元〔かいげん〕十八年なのです。
【渡れるところの経律論五千四十八巻、訳者一百七十六人。】
渡った「経・律・論」は、5048巻に及び、訳者は、176人にもなりますが、
【其の経々の中に、南無阿弥陀仏は即ち南無妙法蓮華経なりと申す】
その経々の中に南無阿弥陀仏は、南無妙法蓮華経であると言っている
【経は、一巻一品もおはしまさゞる事なり。】
経文は、一巻、一品も存在しません。
【其の上、阿弥陀仏の名を仏説き出だし給ふ事は、始め華厳より】
その上に阿弥陀仏の名を仏が説き出されたのは、始め華厳経から、
【終はり般若経に至るまで、四十二年が間に所々に説かれたり。】
終わり般若経に至るまでの四十二年の間に色々なところで説かれているのです。
【但し阿含経をば除く。】
ただし阿含経は、除きます。
【一代聴聞の者是を知れり。】
釈尊一代の説法を聴聞した者は、みんなそれを知っているのです。
【妙法蓮華経と申す事は、仏の御年七十二、成道より已来〔このかた〕】
妙法蓮華経と言うのは、釈迦牟尼仏が御歳七十二、初成道より以来、
【四十二年と申せしに、霊山〔りょうぜん〕にましまして】
四十二年という時に、霊鷲山〔りょうじゅせん〕に於いて説かれたのです。
【無量義処三昧に入り給ひし時、文殊〔もんじゅ〕・弥勒〔みろく〕の問答に、】
無量義処三昧に入った時、文殊師利菩薩が弥勒菩薩の問いに答えて、
【過去の日月灯明仏〔にちがつ・とうみょうぶつ〕の例を引いて】
過去の日月灯明仏〔にちがつ・とうみょうぶつ〕の例を引いて
【「我見〔がけん〕灯明仏乃至欲説〔よくせつ〕法華経」と】
「私が過去に日月燈明仏に会ったときに今と同じ瑞相〔ずいそう〕が起き、
【先例を引きたりし時こそ、南閻浮提〔なんえんぶだい〕の】
仏は法華経を説かれた」と先例を引いて述べましたが、この娑婆〔しゃば〕世界の
【衆生は法華経の御名をば聞き初〔そ〕めたりしか。】
衆生は、この時に初めて法華経の名前を聞いたのです。
【三の巻の心ならば、阿弥陀仏等の十六の仏は、】
法華経・第三巻の化城喩品によると阿弥陀仏などの十六人の仏は、
【昔大通智勝仏〔だいつうちしょうぶつ〕の御時、十六の王子として】
昔、大通智勝仏〔だいつうちしょうぶつ〕の時に、十六人の王子として
【法華経を習ひて、後に正覚をならせ給へりと見えたり。】
法華経を習って、その後に正しい悟りを得られたのです。
【弥陀仏等も凡夫にてをはしませし時は、】
つまり阿弥陀仏なども、いまだ凡夫の十六人の王子の中のひとりであった時は、
【妙法蓮華経の五字を習ひてこそ仏にはならせ給ひて侍〔はべ〕れ。】
妙法蓮華経の五字を習って、ようやく仏になることができたのです。
【全く南無阿弥陀仏と申して正覚をならせ給ひたりとは見えず。】
南無阿弥陀仏と称〔とな〕えて正覚を得られたわけではないのです。
【妙法蓮華経は能開〔のうかい〕なり。南無阿弥陀仏は】
妙法蓮華経が影響を与える側の能開〔のうかい〕であり、南無阿弥陀仏は、
【所開〔しょかい〕なり。】
その能開である南無妙法蓮華経から、影響を受けた所開〔しょかい〕なのです。
【能開所開を弁〔わきま〕へずして南無阿弥陀仏こそ南無妙法蓮華経よと】
この能開と所開を理解せずに、南無阿弥陀仏は、南無妙法蓮華経であると、
【物知りがほ〔顔〕に申し侍るなり。】
勝手に物知り顔で言っているに過ぎないのです。
【日蓮幼少の時、習ひそこなひの天台宗・真言宗に教へられて、】
日蓮は、幼少の時に間違った天台宗、真言宗の教義を教えられて、
【此の義を存じて数十年の間ありしなり。】
この間違った教義を信じて数十年の間、そのままでいたのです。
【是存外〔ぞんがい〕の僻案〔びゃくあん〕なり。】
しかし、これは、全くの間違いであったのです。
【但し人師の釈の中に、一体と見えたる釈どもあまた侍る。】
ただし、人師の解釈の中には、念仏と法華経を一体と見た注釈書が数多くあります。
【彼は観心の釈か。】
それらは、「観心の本尊」の立場からの解釈なのでしょうか。
【或は仏の所証の法門につけて述べたるを、今の人弁へずして、】
あるいは、仏の悟りの法門について述べたものを、今の人は、よく理解しないで、
【全体一なりと思ひて人を僻人に思ふなり。】
全体が一つであると思って日蓮が嘘をついていると思っているのです。
【御景迹〔ごきょうざく〕あるべきなり。念仏と法華経と一つならば、】
よくよく、考えてみてください。念仏と法華経が一つならば、
【仏の念仏説かせ給ひし観経等こそ如来出世の本懐にては侍らめ。】
仏が念仏を説かれた観無量寿経こそ、仏の出世の本懐であるはずです。
【彼をば本懐ともをぼしめさずして、法華経を出世の本懐と説かせ給ふは、】
仏が観無量寿経を本懐とされずに、法華経を出世の本懐と説かれたのは、
【念仏と一体ならざる事明白なり。】
念仏が法華経と一体でないことの明白な証拠ではないでしょうか。
【其の上多くの真言宗・天台宗の人々に値ひ奉りて候ひし時、】
その上に多くの真言宗、天台宗の人々にあった時、この事を尋ねると、
【此の事を申しければ、されば僻案にて侍りけりと申す人是多し。】
念仏と法華経が一体であるという主張を間違いであると答える人が多かったのです。
【敢〔あ〕へて証文に経文を書いて進ぜず候はん限りは御用ひ有るべからず。】
必ず証拠として経文の文章が書いてなければ、それを用いてはならないのです。
【是こそ謗法となる根本にて侍れ。】
この事を疎〔おろそ〕かにする事が謗法の根本原因となるのです。
【あなかしこあなかしこ。】
まことに恐ろしいことです。
【日蓮 花押】
日蓮 花押