御書研鑚の集い 御書研鑽資料
念仏者追放宣旨御教書事 第3章 宣旨篇(1)
【宣旨〔せんじ〕篇】
宣旨篇
【南都北嶺の訴状に依って専修を対治し】
奈良・興福寺と比叡山・延暦寺の訴状によって、専修〔せんじゅ〕念仏を批判し、
【行者を流罪すべきの由、度々の宣旨の内】
その行者を流罪すべきであるとの朝廷からの命令が度々出されましたが、
【今は少を載せ多を省く。委しくは広本に在り。】
今は、少しだけ掲載して、多くは、省略します。詳しくは、広本にあります。
【永尊竪者の状に云はく、】
(3) 法論に於ける返答する役目の者の文章には、次のように述べられています。
【弾〔だん〕選択〔せんちゃく〕等上送せられての後山上〔さんじょう〕に披露す。】
「選択集を糾弾した書などを上奏した後、比叡山・延暦寺の人々に披露したところ、
【弾選択に於ては人毎に之を翫〔もてあそ〕び、】
この選択集への糾弾書に対しては、誰もが、これを当然であると納得し称賛した。
【顕〔けん〕選択〔せんちゃく〕は諸人之を謗ず。】
また同時に、この選択集の糾弾書への反論には、多くの人が、これを非難した。
【法然上人の墓所は感神院〔かんじんいん〕の犬神人〔いぬじにん〕に仰せ付けて】
そこで法然上人の墓所は、八坂神社の下働きの者に命じて
【之を破却せしめ畢〔おわ〕んぬ。】
これを破壊させたのです。
【其の後奏聞に及び裁許を蒙り畢んぬ。】
このことについては、その後、天皇に申し上げて許可を受けました。
【七月上旬法勝寺】
七月の上旬に、京都の白河にあった法勝寺で
【御八講〔みはっこう〕の次いで】
法華経八巻を八座に分けて講義する御八講〔みはっこう〕が行われた際、
【山門より触れて云はく、】
延暦寺より興福寺に次のように告げられました。
【南都・清水寺・祇園の辺、南都・山門の末寺たるの処、】
清水寺や祇園あたりの興福寺と延暦寺の末寺の地所では、
【専修の輩身を容〔い〕れし草菴に於ては悉く破却せしめ畢んぬ。】
専修念仏の者たちが住んでいる草庵を、ことごとく破壊させ、それらの者たちの
【其の身に於ては使庁〔しちょう〕に仰せて之を搦〔から〕め取らるゝの間、】
身柄は、検非違使〔けんびいし〕庁に命じ、これを逮捕させました。
【礼讃〔らいさん〕の声黒衣〔こくえ〕の色】
これにより、阿弥陀仏を礼讃〔らいさん〕する声や念仏僧の黒色の衣は、
【京洛の中に都〔すべ〕て以て止め畢んぬ。】
京都の洛中〔らくちゅう〕から、すべて無くなったのです。
【張本三人】
張本人の法然房・源空の高弟である隆寛〔りゅうかん〕、幸西〔こうさい〕、
【流罪に定めらると雖も】
空阿弥陀仏〔くうあみだぶつ〕の三人は、流罪と決定しましたが、
【逐電〔ちくでん〕の間未だ配所に向かはず。】
彼らが途中で逃走してしまった為に、いまだに流罪地に向かっていません。
【山門今に訴へ申し候なり】
比叡山・延暦寺は、今も、そのことについて訴え出ていると言うことです。
【(略)此の十一日の僉議〔せんぎ〕に云はく、】
この11日の延暦寺の評議では、
【法然房所造の選択は謗法の書なり。天下に之を止め置くべからず。】
法然房が著わした選択集は、謗法の書であり、これを世の中に留め置いてはならず、
【仍って在々所々の所持並びに】
よって、いたるところで所持している選択集と、
【其の印板を大講堂に取り上げ、】
その印刷の版木を大講堂に取り上げて、
【三世の仏恩を報ぜんが為に焼失すべきの由】
三世の仏恩を報ずる為に焼き払うべきであるということになり、
【奏聞仕〔つかまつ〕り候ひ畢んぬ。】
その旨を天皇に申し上げました。それによって、
【重ねて仰せ下され候か。恐々。】
天皇より重ねて命令が下〔くだ〕されることでしょう。実に恐れ多いことです。
【嘉禄〔かろく〕三年十月十五日】
嘉禄3年10月15日
【専修念仏の張本成覚〔じょうかく〕法師】
(4) 専修念仏の張本人である成覚〔じょうかく〕房・幸西〔こうさい〕が
【讃岐〔さぬき〕の大手嶋〔おおてじま〕に】
讃岐(香川県)丸亀市にある手島〔てじま〕方面を
【経回〔けいかい〕すと云云。実否〔じっぴ〕分明ならず、】
まわっていると言われていますが、事実かどうか明らかではありません。
【慥〔たし〕かに検知を加へらるべきの由山門の人々申す。】
明確に調査をすべきであると延暦寺の人々が言っています。
【相尋ね申さしめ給ふべきの由殿下の御気色〔みけしき〕候所なり。】
調べて報告させるようにというのが、関白〔かんぱく〕殿下の御意向です。
【仍って執達〔しったつ〕件〔くだん〕の如し。】
よって以上のとおりに通達いたします。
【十月二十日】
嘉禄3年10月20日
【参議範輔〔のりすけ〕 在判】
参議・平〔たいらの〕範輔〔のりすけ〕 在判
【修理〔しゅりの〕権亮〔ごんのすけ〕殿】
六波羅探題・北条修理〔しゅりの〕権亮〔ごんのすけ〕時氏〔ときうじ〕殿へ
【関東より宣旨の御返事】
(5) 宣旨に対する関東からの御返事
【隆寛〔りゅうかん〕律師の事、】
浄土宗の僧、隆寛〔りゅうかん〕律師の事について、
【右大弁〔うだいべん〕宰相〔さいしょう〕家の】
右大弁〔うだいべん〕宰相〔さいしょう〕家の
【御〔おん〕奉書〔ほうしょ〕披露候ひ畢んぬ。】
御意向によって作られた命令書を拝見いたしました。
【件の律師、去ぬる七月〔ふづき〕の比〔ころ〕下向〔げこう〕せしむ。】
上記の律師は、去る七月頃、都より下〔くだ〕って来て、
【鎌倉近辺に経回すと雖も】
鎌倉近辺を巡〔めぐ〕っていたのですが、
【京都の制符に任せ念仏者を追放せらるゝの間】
京都からの念仏禁制の公文書に従って、念仏者を追放した為に、
【奥州の方へ流浪せしめ畢んぬ云云。】
奥州の方へ流浪してしまったということです。
【早く在所を尋ね捜して仰せ下さるゝの旨に任せ】
早急に居場所を捜し出して、命じられた趣旨に従って
【対馬の島に追ひ遣〔や〕るべきなり。】
離島の対馬に追いやるべきでしょう。
【此の旨を以て言上〔ごんじょう〕せしむべきの状】
この旨を申し上げるようにとの事であるので、
【鎌倉殿の仰せに依って執達件の如し。】
鎌倉殿の仰せによって、以上のとおりに通達いたします。
【嘉禄三年十月十五日】
嘉禄3年10月15日
【武蔵守 在判】
武蔵守・北条義政 在判
【相模守 在判】
相模守・北条時宗 在判
【掃部助〔かもんのすけ〕殿】
掃部助〔かもんのすけ〕殿
【修理亮〔しゅりのすけ〕殿】
六波羅探題・北条修理〔しゅりの〕権亮〔ごんのすけ〕時氏〔ときうじ〕殿
【専修念仏の事。停廃の宣下〔せんげ〕重畳〔ちょうじょう〕の上】
(6) 専修念仏を止め、辞めさせるべきであるとの宣旨が何度も下っているのに、
【偸〔ひそ〕かに尚興行するの条】
なおも、密かに行われているということですが、
【更に公家の知〔し〕ろし食〔め〕す所に非ず。】
これは、公家の関知するところではなく、
【偏〔ひとえ〕に有司〔ゆうし〕の怠慢たり。】
ひとえに役人の怠慢なのです。
【早く先符に任せて禁遏〔きんあつ〕せらるべし。】
早く先の公文書に従って禁止するべきです。
【其の上衆徒の蜂起に於ては宜しく制止を加へしめ給ふべし。】
そのうえ、宗徒の蜂起〔ほうき〕に関しては、是非とも制止を加えられるべきです。
【天気に依って言上件の如し。】
そこで天皇の御意向に従って、以上のとおりに申し上げます。
【信盛〔のぶもり〕頓首〔とんしゅ〕恐惶謹言。】
藤原信盛〔のぶもり〕が頭を下げて、怖れながら謹んで申し上げます。
【六月二十九日】
嘉禄3年6月29日
【左衛門権佐〔ごんのすけ〕信盛〔のぶもり〕 奉る】
左衛門権佐〔ごんのすけ〕藤原信盛〔のぶもり〕 奉〔たてまつ〕る
【進上 天台座主大僧正〔そうじょう〕御房 政所〔まんどころ〕】
進上 天台座主・大僧正〔そうじょう〕御房 事務局
【右弁官〔べんかん〕下す 延暦寺】
(7) 律令制の官司、右弁官〔うべんかん〕より下達す 延暦寺
【早く僧隆寛・幸西〔こうさい〕・】
早く浄土宗の僧、隆寛〔りゅうかん〕律師、成覚房・幸西、
【空阿弥陀仏の】
法性〔ほっしょう〕寺の空阿弥陀仏〔くうあみだぶつ〕の
【土縁を取り進〔まい〕らすべき事の書、】
僧尼の免許証を取り上げるべきことについての書、
【権大納言源朝臣〔あそん〕雅親〔まさちか〕宣奉勅〔せんぶちょく〕、】
権大納言、源朝臣〔あそん〕雅親〔まさちか〕宣奉勅〔せんぶちょく〕、
【件〔くだん〕の隆寛等の坐〔つみ〕せらるゝ事、配流宜しく】
上記の隆寛〔りゅうかん〕律師などの罪は、流罪であり、
【彼の寺に仰せて度縁を取り進らせしむべし、】
当然、彼の寺に命じて、僧尼の免許証を取り上げるべきです。
【者〔ていれば〕宜しく承知して宣に依って之を行なふべし。】
そう言う理由で、よろしく承知のうえ宣旨に従って、
【違失あるべからず。】
間違いなく、これを実行すべきです。
【嘉禄三年七月六日】
嘉禄3年7月6日
【左大史〔さたいし〕小槻〔おつき〕宿禰〔すくね〕 在判】
左大史〔さたいし〕・小槻〔おつき〕宿禰〔すくね〕 在判
【左少弁〔さしょうべん〕藤原朝臣〔あそん〕 在判】
左少弁〔さしょうべん〕・藤原朝臣〔あそん〕 在判