日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


題目弥陀名号勝劣事 第2章 法華経こそ浄土の正因


【問ふ、世間の念仏者なんどの申す様は、】
それでは、質問しますが、世間の念仏者が言うことには、

【此の身にて法華経なんどを破する事は争〔いか〕でか候べき。】
「念仏者の身で法華経などを誹謗〔ひぼう〕することなど、どうしてあるだろうか。

【念仏を申すも、とくとく極楽世界に参りて法華経をさとらんが為なり。】
念仏を称〔とな〕えるのも、早く極楽世界へ行って法華経を悟る為である」とか、

【又或は云はく、法華経は不浄の身にては叶〔かな〕ひがたし、恐れもあり。】
また「法華経は、我々不浄の身では成仏は適〔かな〕い難く恐れ多い。

【念仏は不浄をも嫌はねばこそ】
念仏は、不浄の身であっても厭〔いと〕わないから称〔とな〕えるのである」などと

【申し候へなんど申すはいかん。】
言っていますが、これはどういう事なのでしょうか。

【答へて云はく、此の四・五年の程は世間の有智無智を嫌はず、】
それに答えると、ここ、四、五年の間は、世間の智慧のある人、無智の人を問わず、

【此の義をばさなんめりと思ひて過ぐる程に、】
この説明を多くの者がその通りだと思って過ごしていましたが、

【日蓮一代聖教をあらあら引き見るに、】
日蓮が釈迦の一代聖教をおおよそ開いて調べてみても、

【いまだ此の二義の文を勘〔かんが〕へ出ださず。】
未だ、この二義の文章は、どの経文にも見当たりません。

【詮ずるところ、近来の念仏者並びに有智の明匠とおぼしき人々の、】
要するに、近頃の念仏者、智慧がある優れた僧と思われる人々が、

【臨終の思ふやうにならざるは是〔これ〕大謗法の故なり。】
臨終が思うようにならないのは、法華経を誹謗〔ひぼう〕する大謗法の故なのです。

【人ごとに念仏申して、浄土に生まれて法華経をさとらんと思ふ故に、】
人ごとに念仏を称〔とな〕えて浄土に生まれて法華経を悟ろうと思う故に、

【穢土〔えど〕にして法華経を行ずる者をあざむき、又行ずる者もすてゝ】
この穢土で法華経を行じる者をあざむき、また法華経を行ずる者も法華経を捨てて

【念仏を申す心は出で来たるなりと覚ゆ。】
念仏を称〔とな〕える心が出て来ているものと思われるのです。

【謗法の根本此の義より出でたり。】
謗法の根本は、この事から出ているのです。

【法華経こそ此の穢土より浄土に生ずる正因にては侍〔はべ〕れ。】
法華経こそが、この穢土より浄土に生ずる唯一の正因なのです。

【念仏等は未顕真実の故に浄土の直因〔じきいん〕にはあらず。】
念仏などは、未顕真実の教えであるので浄土の直接の正因とはならないのです。

【然るに浄土の正因をば極楽にして、後に修行すべき物と思ひ、】
それなのに浄土に生まれる正因である法華経を極楽で後に修行すべきものと思い、

【極楽の直因にあらざる念仏をば浄土の正因と思ふ事】
極楽の直接の正因とは、ならない念仏を浄土の正因と思うことは、

【僻案〔びゃくあん〕なり。】
原因と結果、目的と手段を逆にするとんでもない間違いなのです。

【浄土門は春沙〔いさご〕を田に蒔〔ま〕きて秋米を求め、】
浄土の教えは、春に砂を田に蒔〔ま〕いて秋に米の収穫を期待するようなもので

【天月をすてゝ水に月を求むるに似たり。】
天に存在する真実の月を捨てて水に映る幻影の月を求めている事に似ています。

【人の心に叶ひて法華経を失ふ大術、】
人の心を巧みに操〔あやつ〕って法華経を捨てさせる為の大きな手立てとして、

【此の義にはすぎず。次に不浄念仏の事。】
このような主張をしているのに過ぎません。次に不浄念仏の事についてですが、

【一切念仏者の師とする善導和尚・法然〔ほうねん〕上人は、】
すべての念仏者が師と仰いでいる善導和尚〔ぜんどう・かしょう〕や法然上人は、

【他事にはいわれなき事多けれども、】
他の事には、道理に合わない事が多いのですが、念仏を称〔とな〕えれば、

【此の事にをいてはよくよく禁〔いまし〕められたり。】
不浄でも構わないというような思想については、厳格にその事を禁じています。

【善導の観念法門経に云はく「酒肉〔しゅにく〕】
その善導和尚が著わした観念法門経には「酒、肉、ニラ、ラッキョウ、ネギ、

【五辛〔ごしん〕を手に取らざれ、口にかまざれ。】
ニンニク、ショウガを手に取ってはならず、食べてもいけない。

【手にとり口にもかみて念仏を申さば、】
これらを手にとったり食べて念仏を称〔とな〕えるならば、

【手と口に悪瘡〔あくそう〕付くべし」と禁め、法然上人は】
手と口に悪瘡〔あくそう〕ができる」と禁じ、法然上人は、

【起請〔きしょう〕を書いて云はく「酒肉五辛を服して】
起請文を書いて「酒、肉、ニラ、ラッキョウ、ネギ、ニンニク、ショウガを食べて、

【念仏申さば予が門弟にあらず」と云云。】
念仏を称〔とな〕えれば、私の門弟ではない」とまで述べているのです。

【不浄にして念仏を申すべしとは当世の念仏者の大妄語〔もうご〕なり。】
不浄のままで念仏を称えてもよいと言うのは、現在の念仏者の大嘘なのです。

【問うて云はく、善導和尚・法然上人の釈を引くは】
それでは、質問しますが、あなたが善導和尚、法然上人の解説書を引用するのは、

【彼の釈を用ふるや否〔いな〕や。】
二人の言葉を用〔もち〕いるということなのでしょうか。

【答へて云はく、しからず。念仏者の師たる故に、】
それに答えるとそうではありません。この二人は、念仏者の祖師であり、

【彼がことば己が祖師に相違するが故に、】
現在の念仏者の言葉が、その祖師の言葉と相違している故に、

【彼の祖師の禁めをもて彼を禁むるなり。】
その祖師の言葉によって現在の念仏者を誡〔いまし〕めているのです。

【例せば世間の沙汰〔さた〕の彼が語の彼の文書に相違するを】
例えば、世間の裁判においても相手の言葉が相手の文書と相違すれば、

【責〔せ〕むるが如し。】
その矛盾を指摘して相手を責めるようなものなのです。

【問うて云はく、善導和尚・法然上人には】
それでは、質問しますが、善導和尚や法然上人の言葉には、

【何事の失〔とが〕あれば用ひざるや。】
どのような間違いがあるから用いないのでしょうか。

【答へて云はく、仏の御遺言には、我が滅度の後には】
それに答えると、釈迦牟尼仏の遺言には「我が滅度の後には、

【四依〔え〕の論師たりといへども、法華経にたがはゞ用ふべからずと、】
仏説を守る論師と言えども、法華経に相違すれば用いてはならない」と

【涅槃〔ねはん〕経に返す返す禁め置かせ給ひて侍るに、】
涅槃経〔ねはんぎょう〕に繰り返し誡〔いまし〕められています。

【法華経には我が滅度の後、末法に諸経失〔う〕せて後、】
法華経には「我が滅度の後、末法に諸経が力を失った後は、

【殊〔こと〕に法華経流布すべき由〔よし〕、一所二所ならず、】
必ず法華経が流布する」と一か所や二か所だけではなく、

【あまたの所に説かれて侍り。】
多くの場所に説かれているのです。

【随って天台・妙楽・伝教・安然〔あんねん〕等の義に】
したがって天台大師、妙楽大師、伝教大師、叡山の安然〔あんねん〕などの義にも、

【此の事分明なり。然るに善導・法然、】
このことが明らかなのです。それなのに善導〔ぜんどう〕、法然〔ほうねん〕は、

【法華経の方便の一分たる四十余年の内の未顕真実の観経等に依って、】
法華経の方便である四十余年の中の未顕真実の観無量寿経などを依りどころにし、

【仏も説かせ給はぬ我が依経の読誦〔どくじゅ〕大乗の内に法華経を】
その時には、まだ説かれていなかった法華経を観無量寿経の「大乗を読誦す」の中に

【まげ入れて、還〔かえ〕って我が経の名号に対して】
無理やり入れて、観無量寿経にある阿弥陀仏の名前を称えることに対して

【読誦大乗の一句をすつる時、法華経を抛〔なげう〕てよ、】
大乗を読誦することを雑行〔ぞうぎょう〕として捨て「法華経を抛〔なげう〕て、

【門を閉ぢよ、千中無一なんど書きて侍〔はべ〕る僻人〔びゃくにん〕をば、】
門を閉じよ、千中無一」などと書いて平気で嘘をついているのです。

【眼あらん人是をば用ふべしやいなや。】
正しく物事を見る眼を持つ人であるなら、これを用いることがあるでしょうか。

【疑って云はく、善導和尚は】
しかしながら、善導和尚〔ぜんどう・かしょう〕は、念仏を称〔とな〕え

【三昧〔さんまい〕発得〔ほっとく〕の人師、】
直接、阿弥陀仏の世界を知ることができる念仏三昧〔さんまい〕を得た人師で、

【本地阿弥陀仏の化身、口より化仏〔けぶつ〕を出だせり。】
本地、阿弥陀仏の化身であり、口より、化仏〔けぶつ〕を出したと言います。

【法然上人は本地大勢至菩薩の化身、既に日本国に生まれては】
法然上人は、本地である大勢至〔せいし〕菩薩の化身として、日本国に生まれ、

【念仏を弘めて、頭より光を現ぜり。】
念仏を弘めて、頭から光明〔こうみょう〕を放ったといいます。

【争でか此等を僻人と申さんや。】
どうして、このような人たちを平気で嘘をつく者という事が出来るのでしょうか。

【又善導和尚・法然上人は、汝が見る程の法華経並びに】
また、善導和尚、法然上人ほどの人が、あなたが読んでいる法華経や、その他の

【一切経をば見給はざらんや。定めて其の故是あらんか。】
一切経を見ていないはずはなく、きっと、その主張にも根拠があるはずです。

【答へて云はく、汝が難ずる処をば世間の人々定めて道理と思はんか。】
それに答えると、あなたの批判を世間の人々は、きっと道理があると思うでしょう。

【是偏〔ひとえ〕に法華経並びに天台・妙楽等の実経実義を述べ給へる文義を捨て、】
しかし、これは、ひとえに法華経と天台大師、妙楽大師の法華経の注釈を捨て、

【善導・法然等の謗法の者にたぼらかされて、】
善導、法然などの謗法の者に誑〔たぶら〕かされて、

【年久しくなりぬるが故に思はする処なり。】
真実があやふやになり、永い年月が経った為にそう思うのです。

【先づ通力〔つうりき〕ある者を信ぜば、】
まず、そのような神通力がある者を信じるのならば、

【外道・天魔を信ずべきか。或〔ある〕外道は大海を吸〔す〕ひ干〔ほ〕し、】
外道や天魔を信じるのでしょうか。ある外道は、大海を吸い干〔ほ〕し、

【或外道は恒河〔ごうが〕を十二年まで耳に湛〔たた〕へたり、】
ある外道は、恒河を十二年間も耳に満〔み〕たしたと言います。

【第六天の魔王は三十二相を具足して仏身を現ず。】
第六天の魔王は、神通力で三十二相を具〔そな〕えて、仏身を現じたので、

【阿難尊者、猶〔なお〕魔と仏とを弁〔わきま〕へず。】
阿難〔あなん〕尊者でさえ、なお魔と仏とが見分けられなかったのです。

【善導・法然が通力いみじしというとも、天魔外道には勝れず。】
善導、法然の神通力が優れていると言っても、天魔や外道には、勝てないのです。

【其の上仏の最後の禁〔いまし〕しめに、通を本とすべからずと見えたり。】
その上、仏の最後の誡〔いまし〕めに神通力を手本にしてはならないとあります。

【次に善導・法然は一切経並びに法華経をばおのれよりも見たりなんどの疑ひ、】
次に善導、法然は、一切経、法華経をあなたよりも見ているであろうとの疑問も、

【是又謗法の人のためには、さもと思ひぬべし。】
これまた謗法の人から見れば、なるほどと思ってしまうことでしょう。

【然りといへども、如来の滅後には先〔さき〕の人は】
しかしながら、釈迦牟尼仏の滅後には、

【多分賢きに似て、後の人は大旨ははかなきに似たれども、】
先の世の人が賢く、後の人は劣っているように見えますが、

【又先の世の人の世に賢き名を取りてはかなきも是あり。】
先の世の人で世間から賢いと言われていても実は愚かな人もいるのです。

【外典にも、三皇・五帝・老子・孔子の五経等を学びて賢き名を取れる人も、】
外典にも、三皇、五帝、老子、孔子の五経などを学んで賢いと言われた人も、

【後の人にくつがへされたる例〔ためし〕是多きか。内典にも又かくの如し。】
後の人に覆〔くつがえ〕された例は、多いのです。それは、内典でも同様なのです。

【仏法漢土に渡りて五百年の間は明匠〔めいしょう〕国に充満せしかども、】
仏法が漢土に渡って五百年の間は、立派な学者が国に満ち溢れていましたが、

【光宅〔こうたく〕の法雲〔ほううん〕・道場の慧観等には】
光宅〔こうたく〕寺の法雲〔ほううん〕、道場寺の慧観〔えかん〕などを、

【過ぎざりき。此等の人々は名を天下に流し、】
越える事は、ありませんでした。これらの人々は、名を天下に残し、

【智水を国中にそゝぎしかども、天台智者大師と申せし末〔すえ〕の人、】
その智慧の水を国中にそそぎましたが、天台智者大師という人が、

【彼の義どもの僻事〔ひがごと〕なる由を立て申せしかば、初めには用ひず。】
彼らの教義が間違っている理由を説明すると初めのうちは用いませんでしたが、

【後には信用を加へし時、始めて五百余年の間の人師の義どもは】
後になって信用するようになり、初めて五百余年の間の人師の教義は、

【僻事と見えしなり。】
それでようやく間違いであることが分かったのです。

【日本国にも仏法渡りて二百余年の間は、異義まちまちにして、】
日本国でも仏法が渡来して二百余年の間は、教義の違いがいろいろとあって、

【何れを正義とも知らざりし程に、伝教大師と申す人に破られて、】
何が正義であるのか、わからないでいたところ伝教大師という人が出現して、

【前二百年の間の私義は破られしなり。】
それまでの二百年の間の勝手な教義は、打ち破られてしまったのです。

【其の時の人々も当時の人の申す様に、】
その当時の人々も現在の人が言うように、

【争〔いか〕でか前々の人は一切経並びに法華経をば見ざるべき。】
「以前の人々が一切経、法華経を見ないことがあるだろうか。

【定めて様こそあるらめ、なんど申しあひたりしかども叶はず、】
だから、きっと、なにか根拠があるのだろう」などと言い合っていましたが、

【経文に違ひたりし義どもなれば終に破れて止〔や〕みにき。】
経文に相違する教義があったので、ついには破折されてしまったのです。



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