御書研鑚の集い 御書研鑽資料
法門申さるべき様の事 第3章 真言の宗名削除の叡山
【真言宗の漢土に弘まる始めは、天台の一念三千を盗み取りて】
真言宗が中国に広まったきっかけは、天台大師の一念三千の法門を盗み取って
【真言の教相と定めて理の本とし、枝葉たる印・真言を宗〔むね〕と立て、】
真言宗の教相と定めて理論の基本とし、枝葉である印と真言を立てて宗の実義とし、
【宗として天台宗を立て下す条謗法の根源たるか。】
天台宗を見下したことにあり、このことが謗法の根源となっているのです。
【又華厳・法相・三論も天台宗日本になかりし時は】
また、華厳宗、法相宗、三論宗も天台宗が日本になかったときには、
【謗法ともしられざりしが、】
それらの宗派が謗法であることは、知られていませんでしたが、
【伝教大師円宗を勘へいだし給ひて後、謗法の宗ともし〔知〕られたりしなり。】
伝教大師が天台宗を考え出されてから後は、謗法の宗であることがわかったのです。
【当世真言等の七宗の者しかしながら謗法なれば、】
当世の真言宗などの七宗派の者は、ことごとく謗法であるので、
【大事の御いのり叶ふべしともをぼへず。】
大事な祈りが叶うとは思われないのです。
【天台宗の人々は我が宗は正なれども、】
また現在の天台宗の人々は、自宗派が正義であっても、謗法を諫めず
【邪なる他宗と同ずれば我が宗の正をもしらぬ者なるべし。】
邪義である他宗派と同じ宗旨となり、自宗派の正しい教義を知らないのです。
【譬へば東に迷ふ者は対当の西に迷ひ、】
たとえば、東に迷う者は、その逆方向の西がわからずに迷い、
【東西に迷ふゆへに十方に迷ふなるべし。】
東か西に迷う為に四方八方がわからないようなものなのです。
【外道の法と申すは本〔もと〕内道より出でて候。】
外道の法と言うのは、元は、仏法から出ているのです。
【而れども外道の法をもて内道の敵となるなり。】
しかし、外道の法に依って、仏法の敵〔かたき〕となったのです。
【諸宗は法華経よりいで、天台宗を才学として】
諸宗派は、法華経を目的として出ており、天台宗で法華経を学んでいるにも
【而も天台宗を失ふなるべし。】
関わらず、天台宗を自分の宗派によって自らと同じ邪宗にしてしまっているのです。
【天台宗の人々は我が宗は実義とも知らざるゆへに、】
天台宗の人々は、自宗派が仏教の真実の教義であるとも知らない故に、
【我が宗のほろび、我が身のかろくなるをばしらずして、他宗を助けて】
自宗派が滅び、自分自身が軽蔑されていることも知らず、他宗派の教義を助けて
【我が宗を失ふなるべし。法華宗の人が法華経の題目】
自宗派の教義を失おうとしているのです。天台宗の人々が法華経の題目である
【南無妙法蓮華経とはとな〔唱〕えずして、南無阿弥陀仏と常に唱へば、】
南無妙法蓮華経と唱えないで、南無阿弥陀仏と常に称えているのであれば、
【法華経を失ふ者なるべし。例せば外道は三宝を立て、】
法華経を滅ぼす者と言えるでしょう。例えば、外道は、三宝を立てて、
【其の中に仏宝と申すは南無摩醯修羅天〔まけいしゅらてん〕と唱へしかば、】
その中の仏宝について「南無摩醯修羅天〔まけいしゅらてん〕」と唱えたので、
【仏弟子は翻邪〔はんじゃ〕の三帰と申して】
仏弟子は、外道の邪義を翻〔ひるがえ〕して、仏教の三宝への帰依と称して
【南無釈迦牟尼仏〔しゃかむにぶつ〕と申せしなり。此をもって】
「南無釈迦牟尼仏」と唱え、これによって、
【内外のしるしとす。】
内道と外道を区別する証明としたのです。
【南無阿弥陀仏とは浄土宗の依経の題目なり。】
「南無阿弥陀仏」とは、浄土宗の依経の浄土三部経の題目なのです。
【心には法華経の行者と存ずとも南無阿弥陀仏と申さば】
心の中では、法華経の行者であると思っていても「南無阿弥陀仏」と称えれば
【傍輩〔ほうばい〕は念仏者としりぬ。法華経をすてたる人とをも〔思〕うべし。】
周囲の人は、念仏者とみて、法華経を捨てた人と思うことでしょう。
【叡山の三千人は此の旨を弁〔わきま〕へずして】
天台宗、比叡山の三千人の大衆は、この主旨を弁〔わきま〕えずに
【王法にもすてられ叡山をもほろぼさんとするゆへに、】
天皇からも捨てられ、自ら比叡山の教義をも滅ぼそうとする故に、
【自然に三宝に申す事叶〔かな〕はず等と申し給ふべし。】
当然の事ながら、三宝に祈っても叶わないのであると言って下さい。
【人不審して云はく、天台・妙楽・伝教等の御釈に、我がやうに】
人が疑って、天台大師、妙楽大師、伝教大師などの解説書に、自分のように
【法華経並びに一切経を心えざらん者は、悪道に堕つべしと申す】
法華経と一切経を心得ない者は、悪道に堕ちるという
【釈やあると申さば、玄の三・籖の三及び】
解釈は、あるかと問われたならば、法華玄義の第三巻や法華玄義釈籤の第三巻、
【已今当等をいだし給ふべし。】
それに法華経・法師品の「已・今・当」の文章などを出してください。
【伝教大師、六宗の学者・日本国の十四人を呵して云はく、顕戒論の下に云はく】
伝教大師は、南都六宗の学僧や日本の十四人を責めて、顕戒〔けんかい〕論の下巻に
【「昔し斉朝の光統〔こうず〕を聞き今は本朝の六統を見る、】
「昔は、北斉の僧、光統〔こうず〕を聞き、今は、日本の奈良・六宗派の僧を見る。
【実なるかな法華の何況〔がきょう〕は」等文。】
法華経・法師品に況滅度後〔きょうめつどご〕とあるとおりである」と述べて、
【華厳・真言・法相・三論の四宗を呵して云はく、依憑集〔えひょうしゅう〕に】
華厳、真言、法相、三論の四宗派を責め、また、依憑集〔えひょうしゅう〕では、
【云はく「新来の真言家は則ち筆受の相承を】
「新興の弘法の真言宗は、善無畏が大日経を翻訳する際、記録を行った一行禅師が
【泯〔ほろ〕ぼし、旧到〔くとう〕の華厳家は】
天台宗の相承を受けていたことを無視し、旧来の華厳宗は、
【則ち影響〔ようごう〕の軌模〔きも〕を隠〔かく〕す。】
自宗派の教義が天台の影響を受け、それを手本としていることを隠しているのです。
【沈空〔ちんぐう〕の三論宗は弾呵〔だんか〕の屈恥〔くっち〕を忘れ】
空理に沈む三論宗は、嘉祥〔かじょう〕大師が十七歳の天台僧・法盛に論破されて
【称心〔しょうしん〕の酔〔すい〕を覆〔おお〕う。著有〔じゃくう〕の法相宗は】
心を改めて天台大師に心酔したことを覆い隠し、有に執着する日本の法相宗は、
【僕陽〔ぼくよう〕の帰依を非〔かく〕し、】
濮陽〔ぼくよう〕の報城寺の智周〔ちしゅう〕が天台宗に帰依したことを隠し、
【青竜の判経を】
青竜寺の良賁〔りょうふん〕が仁王経奉持品を天台大師の説に従って
【撥〔はら〕ふ」等云云。】
正宗分とした判断を排している」などと書かれているのです。
【天台・妙楽・伝教等は真言等の七宗の人々は設ひ戒定は】
天台大師、妙楽大師、伝教大師などは、真言などの七宗派の人々は、たとえ戒律と
【また〔全〕くとも、謗法のゆへに悪道脱るべからずと定められたり。】
禅定は、まともであっても、謗法の故に悪道は、免れられないと定められています。
【何〔いか〕に況〔いわ〕んや禅宗浄土宗等は勿論〔もちろん〕なるべし。】
まして禅宗や浄土宗などが悪道を免〔まぬが〕れられないのは、当然なのです。
【されば止観は偏〔ひとえ〕に達磨〔だるま〕をこそは〔破〕して候めれ。】
それ故に摩訶止観には、ひとえに禅宗の達磨〔だるま〕大師を破折しているのです。
【而るに当世の天台宗の人々は諸宗に得道をゆるすのみならず、】
しかしながら現在の天台宗の人々は、諸宗派を得道の教義であると許すだけでなく、
【諸宗の行をうばい取りて我が行とする事いかん〔如何〕。】
諸宗派の修行を奪い取り、自らの修行としているのは、どういうことでしょうか。
【当世の人々ことに真言宗を不審せんか。】
当世の人々は、とくに真言宗を不審に思うことでしょう。
【立て申すべきやう、日本国に八宗あり。】
そのときは、次のように言ってください。日本には、すでに八宗派があり、
【真言宗大いに分かちて二流あり。】
真言宗は、大きく分かれて二つの流派があります。
【所謂〔いわゆる〕東寺・天台なるべし。】
いわゆる東寺の流れの真言宗・東密と、天台宗の流れの真言宗・台密です。
【法相・三論・華厳・東寺の真言等は大乗宗、】
法相宗、三論宗、華厳宗、東寺の真言宗などは、大乗教の宗派であり、
【設ひ定慧は大乗なれども東大寺の小乗戒を持〔たも〕つゆへに戒は】
禅定と智慧は、大乗教では、ありますが、東大寺の小乗戒を持つ故に戒律は、
【小乗なるべし。退大取小の者小乗宗なるべし。】
小乗教であり、結局は、大乗を退け小乗を取る者であり、小乗教の宗派なのです。
【叡山の真言宗は天台円頓の戒をうく、全く真言宗の戒なし。】
比叡山の真言宗は、天台宗の円頓の戒を受け入れ、全く真言宗の戒はないのです。
【されば天台宗の円頓戒にをちたる真言宗なり等申すべし。】
それ故に、天台宗の円頓戒に帰伏した真言宗であると言うことができます。
【而るに座主等の高僧、名を天台宗にかりて、】
しかし、比叡山の天台座主などの高僧は、名前だけを天台宗と言いながら、
【一向真言宗によて法華宗をさ〔下〕ぐるゆへに、】
もっぱら、真言最第一の主張によって、法華経を第二、第三と誹謗する故に
【叡山皆謗法になりて御いのりにしるし〔験〕なきか。】
比叡山は、みな謗法となって、その祈祷に、まったく験〔しるし〕がないのです。
【問うて云はく、天台法華宗に対当して真言宗の名をけづらるゝ証文如何。】
それでは、天台法華宗が真言宗の名前を隠している証文は、あるのでしょうか。
【答へて云はく、学生式〔がくしょうしき〕に云はく(伝教大師作なり)】
それは、伝教大師の著作の修行規定「山家学生式〔さんげ・がくしょうしき〕」に
【「天台法華宗年分学生式一首。年分度者の人】
「天台法華宗年分学生式、一首、年分度者の人
【(柏原先帝天台法華宗伝法の者を加へらる。)】
(山城国・柏原陵に葬られた第50代桓武天皇、天台法華宗伝法の者に加えられる)
【凡そ法華宗天台の年分は弘仁九年より○叡山に住せしめて、】
およそ、法華宗天台の年分度者は、弘仁九年から(略)比叡山に住まわせて、
【一十二年山門を出ださず両業を修学せしめん。】
十二年間、山門を出ないで止観〔しかん〕業と遮那〔しゃな〕業を修学させます。
【凡そ止観業〔ごう〕の者○凡そ遮那業〔しゃなごう〕の者」等云云。】
およそ止観業の者(略)およそ遮那業の者(略)」などとあり、
【顕戒論縁起〔えんぎ〕の上に云はく「新法華宗を加へんことを請ふ表一首。】
顕戒論縁起の上巻には「新法華宗を加えられることを要請する表、一首、
【沙門〔しゃもん〕最澄○華厳宗二人、天台法華宗二人」等云云。又云はく】
沙門〔しゃもん〕最澄(略)華厳宗に二人、天台法華宗に二人」などとあり、また
【「天台の業に二人(一人大毘盧遮那経を読ましめ】
「天台の業に二人(一人には、大毘盧遮那〔びるしゃな〕経を読ませ、
【一人摩訶止観を読ましむ)」と。】
一人には、摩訶止観を読ませる)」と記〔しる〕されています。
【此等は天台宗の内に真言宗をば入れて候こそ候めれ。】
これらは、天台宗の中に真言宗を隠し入れている証拠なのです。
【嘉祥元年六月十五日の格〔きゃく〕に云はく、】
嘉祥〔かしょう〕元年六月十五日の臨時に発せられた法令には、
【「右入唐〔にっとう〕廻〔かえ〕りて請益〔しょうやく〕す。】
「右、入唐して教えを請うてきた
【伝灯法師位円仁の表に偁〔いわ〕く、】
伝灯法師位・比叡山延暦寺第三代座主・円仁〔えんにん〕の表には、
【伏して天台宗の本朝に伝はることを尋ぬれば○延暦廿四年○廿五年】
謹んで天台宗が日本に伝わったのを尋ねてみると(略)延暦二十四年であり
【○特〔ひと〕り天台の年分度者二人を賜ふ。】
(略)二十五年には、とくに天台宗に対して年分度者二人を賜っている。
【一人は真言の業〔ごう〕を習はし一人は止観の業を学す】
そのうち一人は、真言の業を習学させ、一人は、止観の業を習学した(略)
【○然れば則ち天台宗の止観と真言との両業は】
それ故に、すなわち天台宗の止観と真言の両業は、
【是桓武〔かんむ〕天皇の崇建する所」等云云。】
桓武天皇が崇〔あが〕め定められたところである」と記〔しる〕されているのです。
【叡山にをいては天台宗にたいしては真言宗の名をけづり、】
比叡山においては、天台宗に対しては、真言宗の宗派名を隠して、
【天台宗を骨とし真言をば肉となせるか。】
天台宗を骨格として、真言宗で肉付けしたのでしょう。
【而るに末代に及びて天台真言両宗中〔なか〕あしうなりて、】
しかし、像法から末法になって、天台と真言の両宗派が仲が悪くなって、
【骨と肉と分〔わ〕け、座主は一向に真言となる。】
骨格と筋肉とが分かれたようになったのです。天台座主は、もっぱら真言宗となり、
【骨なき者のごとし。大衆は多分は天台宗なり、肉なきものゝごとし。】
骨格がない者となり、大衆は、多くが天台宗であり、筋肉のない者になったのです。
【仏法に諍〔あらそ〕ひあるゆへに世間の相論も出来して叡山静かならず、】
仏法において争いがある為に世間でも争いが起こり、比叡山は、騒がしく、
【朝下にわづらい多し。此等の大事を内々は存ずべし。】
都では、煩〔わずら〕わしい事が多いのです。この大事を内々に知っておきなさい。
【此の法門はいまだをし〔教〕えざりき。よくよく存知すべし。】
この法門は、いまだ教えなかったことです。よくよく理解しておいてください。