御書研鑚の集い 御書研鑽資料
法門申さるべき様の事 第2章 京風に媚びる三位房を厳誡
【此の上捨てられて候四十余年の経々の今に候はいかになんど、】
その上で「捨てられた四十余年の経文が今も広まっているのは、どういうわけか」と
【俗難せば返詰〔ほんきつ〕して申すべし、塔をくむあししろ〔足代〕は】
世間の人々が反論してきた場合には、「塔を組む為の建設現場の足代〔あししろ〕は、
【塔をくみあげては切りす〔捨〕つるなりなんど申すべし。】
塔が組み上がったならば、切り捨てるのである」と言いなさい。
【此の譬へは玄義の第二の文に】
この譬えは、法華玄義・第二巻に
【「今の大教若し起これば方便の教絶す」と申す釈の心なり。】
「法華の大教が起これば、方便の教は絶える」という解釈の譬えです。
【妙と申すは絶という事、絶と申す事は此の経起これば】
妙と言うのは、絶と言う事なのです。絶と言うことは、この法華経が起これば、
【已前の経々を断〔た〕ち止むると申す事なるべし。】
法華経以前の経々を断ち切り、止めるということなのです。
【正直捨方便の捨の文字の心、】
「正直に方便を捨てて」の「捨」の文字の意味です。
【又嘉祥〔かじょう〕の、日出でぬるは星かくるの心なるべし。】
また嘉祥〔かじょう〕の「日が出たならば星は隠れる」の意味なのです。
【但し爾前の経々は塔のあししろなれば】
ただし爾前の経文は、塔の足代〔あししろ〕であるから、
【切りすつるとも、】
塔ができれば切り捨てるのですが、
【又塔をすり〔修理〕せん時は用ゆべし。又切りすつべし。】
また塔を修理する時には、用〔もち〕い、そして、また切り捨てるのです。
【三世の諸仏の説法の儀式かくのごとし。又俗難に云はく、】
三世の諸仏の説法の儀式も、このようなものなのです。また世間が
【慈覚大師の常行堂等の難。これをば答ふべし。】
「慈覚大師は、常行三昧堂を建て、そこで念仏を称えたではないか」と反論したら、
【内典の人外典をよむ、得道のためにはあらず、才学のためか。】
「内典の者が外典を読むのは、これは、得道の為ではない。学問の為である。
【山寺の小児の俱舎の頌〔じゅ〕をよむ、】
比叡山や園城寺の子供が阿毘逹磨〔あびだつま〕倶舍論本頌〔ほんじゅ〕を読む。
【得道のためか。伝教・慈覚は八宗を極め給へり。】
これは、得道の為なのか。伝教大師や慈覚大師は、八宗派を極められ、
【一切経をよみ給ふ。これみな法華経を詮と】
一切経を読まれました。これは、みな法華経が究極の教えと
【心へ給はん梯磴〔かけはし〕なるべし。】
確証を得る為の段階なのである」と、このように答えてください。
【又俗難に云はく、何〔いか〕にさらば御房は念仏をば申し給はぬ。】
世間の人が、それならば、なぜ、あなたは念仏を称えないのかと言って来たときは、
【答へて云はく、伝教大師は二百五十戒をすて給ひぬ。】
「伝教大師は、二百五十戒を捨てられた。
【時にあたりて、法華円頓〔えんどん〕の戒にまぎれしゆへなり。】
その当時において、法華円頓戒と紛らわしかったからである。
【当世は諸宗の行多けれども、時にあたりて念仏をもてなして】
当世は、諸宗派の行は、多いけれども、今は、念仏を大事にして
【法華経を謗ずるゆえに、金石迷ひやすければ唱へ候はず。】
法華経を誹謗している故に、金と石と迷いやすいので唱えないのである。
【例せば仏十二年が間、常楽我浄の名をいみ〔忌〕給ひき。】
例えば、仏が小乗を説く十二年の間は、常楽我浄を説くのを避けたのと同じである。
【外典にも寒食〔かんしょく〕のまつりに火をいみ、あか〔赤〕き物をいむ。】
外典にも冬至の後の百五日は、火を禁じて煮炊きせず、赤い物を禁じたのです。
【不孝の国と申す国をば孝養の人はとを〔通〕らず。】
不孝の国と言われる国を孝行の人は、通らないと言うのも、
【此等の義なるべし。】
これらの意義に依るものなのです。
【いくたびも選択〔せんちゃく〕をばいろはずして先づかうた〔立〕つべし。】
いつまでも選択〔せんちゃく〕集に拘らずに、まず、このように指摘してください。
【又、御持仏堂にて法門申したりしが面目なんどかゝれて候事、】
また三位房が京の公家の持仏堂で法門を説いたことを得意になって書かれることは、
【かへすがへす不思議にをぼへ候。そのゆへは僧となりぬ。】
どう考えてもおかしなことです。その理由は、僧となった身であり、
【其の上、一閻浮提にありがたき法門なるべし。】
そのうえ、この法華経は、一閻浮提第一の法なのです。
【設〔たと〕ひ等覚の菩薩〔ぼさつ〕なりともなに〔何〕とかをもうべき。】
たとえ等覚位の菩薩であっても、何を気にすることがあるでしょうか。
【まして梵天・帝釈等は我等が親父釈迦如来の御所領をあづかりて、】
まして梵天や帝釈などは、私達の父である釈尊の領地を預かっている者であり、
【正法の僧をやしなうべき者につけられて候。】
正法の僧侶を守護する者とされています。
【毘沙門等〔びしゃもん〕は四天下の主、此等が門〔かど〕まぼり〔守〕、】
毘沙門天王などは、四天下の主で、これら梵天・帝釈の門番〔もんばん〕なのです。
【又四州の王等は毘沙門天が所従なるべし。】
また、四洲の王などは、毘沙門天王の家来なのです。
【其の上、日本秋津島〔あきつしま〕は四州の輪王の所従にも及ばず、】
そのうえ、日本秋津島の王は、四洲の転輪王の家来にも及ばない者なのです。
【但〔ただ〕島の長〔おさ〕なるべし。長なんどにつかへん者どもに召されたり、】
ただの島の王なのです。その王などに仕える者達に「召された」とか、
【上〔かみ〕なんどかく上〔うえ〕、面目なんど申すは、】
「上」などと書くうえに、「面目」などと言うのは、
【かたがたせん〔詮〕ずるところ日蓮をいやしみてかけるか。】
いろいろ考えあわせてみると、日蓮を卑しんで書いているのでしょうか。
【総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば、始めはわすれぬやうにて】
総じて日蓮の弟子は、京に上ると、初めの内は、そのことを忘れないようであるが
【後には天魔つきて物にくるう、】
後には、天魔がついて正気を失ってしまうようです。
【せう〔少輔〕房がごとし。わ〔和〕御房もそれてい〔其体〕になりて】
少輔房〔しょううぼう〕のようなものです。貴殿も、そのような姿になり、
【天のにくまれかほ〔蒙〕るな。のぼりて】
天から憎まれて罰を受けないようにしてください。京に上って
【いくばく〔幾何〕もなきに実名をかう〔替〕るでう〔条〕物ぐるわし。】
幾らも経っていないのに名を変えたと言う事ですが、気でもふれたのでしょうか。
【定んでことばつき音〔おん〕なんども京〔みやこ〕なめりになりたるらん。】
きっと言葉使いや発音なども、京訛〔なま〕りになったことでしょう。
【ねずみがかわほり〔蝙蝠〕になりたるやうに、鳥にもあらず、】
鼠が蝙蝠〔こうもり〕になったように、鳥でもなく
【ねずみにもあらず、田舎〔いなか〕法師にもあらず、京法師にもにず、】
鼠でもなく、田舎の法師でもなく、京の法師にも似ていず、
【せう房がやうになりぬとをぼゆ。】
少輔房〔しょううぼう〕のようになってしまったと思われます。
【言をば但いなか〔田舎〕ことばにてあるべし。】
田舎者は、田舎言葉でいることが良いのです。
【なかなかあしきやうにて有るなり。】
どっちつかずなのは、返って見苦しいものです。
【尊成とかけるは隠岐〔おき〕の法皇の御実名か、】
名前を尊成と書いていますが、これは、隠岐の法皇、後鳥羽上皇の実名であり、
【かたがた不思議なるべし。】
周りの人々にとって失礼なことです。
【かつしられて候やうに当世の高僧真言天台等の人々の】
また、よく知られているように現在の高僧と言われる真言宗や天台宗などの人々の
【御いのりは叶ふまじきよし前々に申し候上、今年鎌倉の真言師等は】
祈禱は、叶わないと言うことを前々から言っているのに今年は、鎌倉の真言師は、
【去年より変成〔へんじょう〕男子〔なんし〕の法行をこなわる。】
去年から胎内の女子を男子として出生させる変成男子の祈祷などを行っています。
【隆弁なんどは自歎する事かぎりなし。】
天台宗の僧・隆弁〔りゅうべん〕などは、これを自慢すること甚だしいのです。
【七人百余人の真言師、東寺・天台の】
それで、七、八百余人の真言師が、東寺の密教や天台宗に伝わる密教の
【大法・秘法を尽くして行ぜしがついにむなしくなりぬ。】
大法・秘法を尽くして行じたけれども、結局、叶〔かな〕いませんでした。
【禅宗・律僧等又一同に行ぜしかどもかなはず。】
禅宗や律宗の僧等も、また一緒に行じたけれども、叶わなかったのです。
【日蓮が叶ふまじと申すとて不思議なりなんどをど〔脅〕し候ひしかども】
日蓮が叶〔かな〕うはずがないと言ったので、けしからぬなどと威したけれども、
【皆むなしくなりぬ。】
まったく、霊験〔れいけん〕は、なかったのです。
【小事たる今生の御いのりの叶はぬを用〔もっ〕てしるべし。】
小事である現世の祈りが叶〔かな〕わないことをもって、
【大事たる後生叶ふべしや。】
大事である後生の成仏が叶うはずがないと知るべきなのです。