日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


持妙法華問答抄 第3章 法華誹謗の業因


【問うて云はく、一を以て万を察する事なれば、】
第5問 最初のひとつに依って、すべてを推察すべきです。

【あらあら法華のいはれを聞くに】
おおよそ、法華経が他の経文よりも優れている理由を聞いて、

【耳目〔じもく〕始めて明らかなり。但し法華経をばいかやうに】
耳目が初めて明らかになったのです。しかし、法華経をどのように

【心得候ひてか、速〔すみ〕やかに菩提の岸に到るべきや。】
心得て修行することが、速やかに成仏の菩提の岸に至るのでしょうか。

【伝へ聞く、一念三千の太虚〔たいきょ〕には慧日〔えにち〕くもる事なく、】
聞くところに依ると、一念三千の法門の大空には、智慧の日の光に曇ることなく、

【一心三観の広池には智水にごる事なき人こそ、】
一心三観の広い池には、智慧の水が濁ることのない人こそ、

【其の修行に堪へたる機にて候なれ。】
その修行に堪えられる理解力のある人ではないでしょうか。

【然るに南都の修学に臂〔ひじ〕をくだく事なかりしかば、】
ところが奈良六衆宗派の修学に臂〔ひじ〕を砕くほどには励むことがなかったので、

【瑜伽〔ゆが〕・唯識〔ゆいしき〕にもくらし。北嶺〔ほくれい〕の】
瑜伽〔ゆが〕・唯識〔ゆいしき〕の法門にも暗く、また比叡山・延暦寺の

【学文に眼をさらさざりしかば、止観・玄義にも迷へり。】
学問にも眼を使わなかったので摩訶止観や法華玄義の法門にも迷うばかりなのです。

【天台・法相の両宗はほとぎ〔瓮〕を蒙〔こうむ〕って壁に向かへるが如し。】
天台や法相の両宗派については、鉢を頭にかぶり、壁に向うのと同じだったのです。

【されば法華の機には既にもれて候にこそ、】
そうかと言って、法華経に依って得道する理解力からは漏れていたのです。

【何〔いか〕んがし候べき。】
このような場合は、どうしたら良いのでしょうか。

【答へて云はく、利智精進〔りち・しょうじん〕にして】
第5答 智慧が非常に優れていて、ただ、ひたすら精進して

【観法〔かんぽう〕修行するのみ法華の機ぞと云ひて、】
観法の修行をする人のみが、法華経の理解する力を持つと言って、

【無智の人を妨ぐるは当世の学者の所行なり。】
無智の人を排除し妨げるのは、今の世の学者たちの所行なのです。

【是還〔かえ〕って愚癡〔ぐち〕邪見の至りなり。】
これは、返って人々の愚癡・邪見の結果なのです。

【一切衆生皆成仏道の教なれば、】
法華経は、一切衆生皆成仏道の教えですから、

【上根上機は観念観法も然るべし。】
理解力が優れ、その機会が熟した者は、観念・観法でも良いでしょう。

【下根下機は唯信心肝要なり。】
しかし、理解力が劣り、その機会に達していない者は、ただ信心が肝要なのです。

【されば経には「浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は】
それ故に法華経・提婆達多品には「浄心に信じ敬って、疑惑を生じない者は、

【地獄・餓鬼・畜生に堕〔お〕ちずして十方の仏前に生ぜん」と説き給へり。】
地獄、餓鬼、畜生に堕ちることなく、十方の仏前に生じる」と説かれているのです。

【いかにも信じて次の生の仏前を期〔ご〕すべきなり。】
なんとしても法華経を信じて、次の世に仏前に生まれることを期すべきなのです。

【譬へば高き岸の下に人ありて登る事あたはざらんに、又岸の上に人ありて】
たとえば、断崖の下で人がそこを登ることができないときに、その上に人がいて

【縄をおろして此の縄にとりつかば、我〔われ〕岸の上に引き登〔のぼ〕さんと】
繩を降ろし「この繩を使って、私が崖〔がけ〕の上に引き上げてあげよう」と

【云はんに、引く人の力を疑ひ縄の弱からん事をあやぶみて、】
言っているのに、それを引く人の力が弱いことを疑い、縄の強度を危ぶんで、

【手を納めて是をとらざらんが如し。争〔いか〕でか岸の上に登る事をうべき。】
手で縄を取らないようなものなのです。どうして上に登ることができるでしょうか。

【若し其の詞〔ことば〕に随ひて、手をのべ是をとらへば即ち登る事をうべし。】
もし、その人の言葉に随って手を出し縄をつかめば、登ることができるのです。

【「唯〔ただ〕我〔われ〕一人のみ能く救護〔くご〕を為す」の仏の御力を疑ひ】
「ただ我れ一人がよく衆生を救い護ることができる」と言う仏の力を疑い

【「以信得入〔いしん・とくにゅう〕」の法華経の教への縄をあやぶみて】
「信をもって入ることを得る」と言う法華経の教えである「繩の強度」を危ぶんで

【「決定〔けつじょう〕無有疑」の妙法を唱へ奉らざらんは力及ばず。】
「決定して疑い有ることなし」の妙法を唱えなければ、仏の力も及ばず、

【菩提の岸に登る事難かるべし。不信の者は堕在泥梨〔だざい・ないり〕の】
菩提の岸に登ることも難しいのです。不信は、地獄に堕ちる

【根元なり。されば経には「疑ひを生じて信ぜざらん者は則〔すなわ〕ち】
根本なのです。それ故に法華経・従地涌出品には「疑いを生じて信じない者は

【当に悪道に堕つべし」と説かれたり。受けがたき人身をうけ、値〔あ〕ひがたき】
即ち悪道に堕ちる」と説かれているのです。受け難い人身を受け、会い難い

【仏法にあひて争〔いか〕でか虚〔むな〕しくて候べきぞ。】
仏法に会いながら、どうして一生を虚しく過ごして良いものでしょうか。

【同じく信を取るならば、又大小権実のある中に、】
同じく仏法を信ずるならば、大乗教と小乗教、権教と実教とある中では、

【諸仏出世の本意、衆生成仏の直道〔じきどう〕の一乗をこそ信ずべけれ。】
諸仏出世の本意であり、衆生の成仏の直道である法華一乗こそ信ずべきなのです。

【持つ処の御経の諸経に勝〔すぐ〕れてましませば、能〔よ〕く持つ人も】
持〔たも〕つ法華経が諸経に優れているのであれば、それを持〔たも〕つ人も

【亦〔また〕諸人にまされり。爰〔ここ〕を以て経に云はく】
また諸人に優れているのです。このことを法華経・薬王菩薩本事品には

【「能く是の経を持つ者は一切衆生の中に於て亦為〔こ〕れ第一なり」と】
「よくこの経を持〔たも〕つ者は、一切衆生の中で、また第一である」と

【説き給へり。大聖の金言疑ひなし。然るに人】
説かれています。仏の金言は、疑いないのです。ところが世間の人は、

【此の理をしらず見ずして、名聞狐疑偏執〔みょうもん・こぎ・へんしゅう〕を】
この道理を知らず、また見もしないで名聞を求め疑い深く偏見に固執しているのは

【致せるは堕獄の基〔もとい〕なり。只〔ただ〕願はくは経を持ち、】
地獄に堕ちるもとなのです。ただ願うところは、法華経を持ち、

【名を十方の仏陀〔ぶっだ〕の願海に流し、誉れを三世の菩薩の慈天に施すべし。】
名前を諸仏の誓願の海に流し、誉れを三世・菩薩の慈悲の天に施すべきなのです。

【然れば法華経を持ち奉る人は、天竜八部諸大菩薩を以て】
そうすれば法華経を持〔たも〕つ人は、天竜などの八部衆や諸大菩薩を

【我が眷属〔けんぞく〕とする者なり。しかのみならず、因身の肉団に果満の】
自分の眷属とする者であり、そればかりか、因位にある凡夫の身の肉団に果位円満の

【仏眼を備へ、有為〔うい〕の凡膚に無為〔むい〕の聖衣〔しょうえ〕を】
仏眼を備え、有為〔うい〕の凡身に無為〔むい〕の聖衣を

【著ぬれば、三途〔ず〕に恐れなく八難に憚〔はばか〕りなし。】
着たことになるので三途にあっても恐れなく、八難所にあっても憂いはないのです。

【七方便の山の頂に登りて九法界の雲を払ひ、無垢地〔むくじ〕の園に花開け、】
七方便の山の頂に登って、九法界の迷いの雲を払い、無垢地の園に花は開き、

【法性の空に月明らかならん。】
法性の空に月は明らかとなることでしょう。法華経・如来神力品に

【「是の人仏道に於て、決定して疑ひ有ること無けん」の文〔もん〕】
「法華経を受持する人が、仏道を成就することは疑いない」との文は

【憑〔たの〕みあり。「唯我一人のみ】
頼りになり、法華経・譬喩品「ただ我一人のみが、この三界の衆生を

【能く救護を為す」の説疑ひなし。一念信解〔しんげ〕の功徳は】
よく救護する」との仏説も疑いないのです。一念信解の功徳は、

【五波羅蜜〔はらみつ〕の行に越へ、五十展転〔てんでん〕の随喜〔ずいき〕は】
五波羅蜜の修行を越えており、五十展転の随喜の功徳は、

【八十年の布施に勝れたり。頓証〔とんしょう〕菩提の教は】
八十年間の布施よりも優れているのです。すみやかに菩提を証得する教えは、

【遥〔はる〕かに群典に秀〔ひい〕で、顕本遠寿〔けんぽん・おんじゅ〕の説は】
はるかにあらゆる経典に秀でており、仏の久遠の寿命を明かした顕本遠寿の説は、

【永く諸乗に絶えたり。】
諸余の経典に長く絶えて説いていないのです。

【爰〔ここ〕を以て八歳の竜女は大海より来たりて経力を】
このような状態で、八歳の竜女は大海から霊鷲山に来て、即身成仏の経力を

【刹那〔せつな〕に示し、本化〔ほんげ〕の上行〔じょうぎょう〕は大地より】
一瞬に示して、本化の上行菩薩は、大地から

【涌出〔ゆじゅつ〕して仏寿〔ぶつじゅ〕を久遠に顕はす。】
涌き出て、仏の寿命が久遠であることを顕わしたのです。まさしく法華経は、

【言語道断の経王、】
言葉で表現する事ができない不可思議の経王であり、

【心行所滅の妙法なり。】
心の思慮分別の遠く及ばない妙法なのです。

【然るに此の理〔ことわり〕をいるかせ〔忽諸〕にして】
それなのに、この道理を疎〔おろそ〕かにして、

【余経にひと〔等〕しむるは、謗法の至り、大罪の至極なり。】
他の経文と等しいとすることは、謗法の至りであり、これ以上の大罪はないのです。

【譬へを取るに物なし。】
この謗法の怖ろしさは、譬えようにも譬えることができません。

【仏の神変にても何ぞ是を説き尽くさん。】
仏の神通変化の力に依っても、どうして、この罪を説き尽くされるでしょうか。

【菩薩の智力にても争〔いか〕でか是を量るべき。】
菩薩の智慧に依っても、どうして、この罪の大きさを計れるでしょうか。

【されば譬喩品〔ひゆほん〕に云はく「若し其の罪を説かば、】
それゆえ法華経・譬喩品には「もし、その罪を説くならば、

【劫を窮〔きわ〕むとも尽きじ」と云へり。文の心は】
劫を極めても尽〔つ〕きることがない」と述べてあるのです。この文章の意味は、

【法華経を一度もそむ〔背〕ける人の罪をば、劫を窮むとも説き尽くし難しと】
法華経を一度でも背いた人の罪は、劫を尽〔つ〕くしても、説き尽くし難いと

【見へたり。然る間、三世の諸仏の化導にももれ、】
言うことなのです。それ故に法華経に背く人は、三世の諸仏の化導にも漏れ、

【恒沙〔ごうじゃ〕の如来の法門にも捨てられ、冥〔くら〕きより冥きに入りて】
河の砂のように数多い如来の法門にも捨てられ、暗きから闇〔やみ〕に入って

【阿鼻大城〔あび・だいじょう〕の苦患〔くげん〕争〔いか〕でか免〔まぬか〕れん。】
阿鼻地獄の苦しみから、どうして免〔まぬが〕れることができるでしょうか。

【誰か心あらん人長劫の悲しみを恐れざらんや。爰〔ここ〕を以て】
誰か心ある人は、この長い劫の悲しみを恐れずにいられるでしょうか。このことを

【経に云はく「経を読誦〔どくじゅ〕し書持すること有らん者を見て、】
法華経・譬喩品には「経を読誦し書持する者を見て、

【軽賤憎嫉〔きょうせん・ぞうしつ〕して而〔しか〕も結恨〔けっこん〕を】
軽賤憎嫉〔きょうせん・ぞうしつ〕して、しかも恨みを

【懐〔いだ〕かん。其の人命終〔みょうじゅう〕して阿鼻獄に入らん」云云。】
懐〔いだ〕くならば、その人は、命を終えて阿鼻獄に入る」と説かれています。

【文の心は、法華経をよ〔読〕みたも〔持〕たん者を見て、かろ〔軽〕しめ、】
この文章の意味は、法華経を読み持〔たも〕つ者を見て、軽蔑し、

【いや〔賤〕しみ、にく〔憎〕み、そね〔嫉〕み、うら〔恨〕みを】
卑下し、憎悪し、嫉妬し、怨恨を

【むす〔結〕ばん。其の人は命を〔終〕はりて阿鼻大城に入らんと云へり。】
懐〔いだ〕くならば、その人は、命が終わって阿鼻地獄に入ると言うのです。

【大聖の金言誰か是を恐れざらんや。】
これは、仏の金言であり、誰がこれを恐れずにいられましょうか。

【「正直捨方便」の明文、】
「正直に方便を捨てて、ただ無上道を説く」と云う法華経・方便品の明文を、

【豈〔あに〕是を疑ふべきや。】
どうして疑うことができるでしょうか。

【然るに人皆経文に背き、世悉〔ことごと〕く法理に迷へり。】
ところが人は、皆、経文に背き、世は、ことごとく法理に迷っています。

【汝何ぞ悪友の教へに随はんや。】
あなたは、どうして悪友の教えに随うことがあるでしょうか。

【されば「邪師の法を信じ受くる者を名づけて毒を飲む者なり」と】
それ故に「邪師の法を信じ受ける者を名づけて毒を飲む者と言う」と

【天台は釈し給へり。汝能〔よ〕く是を慎むべし、是を慎むべし。】
天台大師は、解釈されています。あなたは、よくよく、この事を考え慎むべきです。

【倩〔つらつら〕世間を見るに法をば貴しと申せども、】
つくづく世間を見ると、法は貴いと口では言いますが、

【其の人をば万人是を悪〔にく〕む。】
その法を持〔たも〕つ人を万人が憎んでいるのです。

【汝能く能く法の源に迷へり。】
あなたは、よくよく、この法の根源に迷っています。

【何〔いか〕にと云ふに、一切の草木は地より出生せり。】
どうしてかというと、一切の草木は、大地から生じているのです。

【是を以て思ふに、一切の仏法も又人によ〔依〕りて弘まるべし。】
このことから思うと一切の仏法も、また人によって弘まるのです。

【之に依って天台は「仏世〔ぶっせ〕すら猶人を以て法を顕はす。】
これによって天台大師は「仏の在世でさえ、なお人に依って法を顕わす。

【末代はいづくんぞ法は貴けれども人は賤〔いや〕しと云はんや」とこそ】
末代にあって、どうして法は、貴いけれども人は、賤しいと言えるでしょうか」と

【釈して御坐〔おわ〕し候へ。されば持たるゝ法だに第一ならば、】
解釈されています。それ故に持〔たも〕たれる法さえ第一ならば、

【持つ人随って第一なるべし。】
持〔たも〕つ人も、また第一なのです。

【然らば則〔すなわ〕ち其の人を毀〔そし〕るは其の法を毀るなり。】
そうであれば、その人を毀〔そし〕るのは、その法を毀〔そし〕ることなのです。

【其の子を賤しむるは即ち其の親を賤しむなり。】
その子を賤〔いや〕しむのは、即ち、その親を賤〔いや〕しむことなのです。

【爰〔ここ〕に知んぬ、当世の人は詞〔ことば〕と心と】
これに照らせば、当世の人は言葉と心と

【総〔すべ〕てあ〔合〕はず、孝経を以て其の親を打つが如し。】
すべて合わず、孝経でもって、その親を打つような姿であることがわかるのです。

【豈〔あに〕冥〔みょう〕の照覧〔しょうらん〕恥づかしからざらんや。】
仏、菩薩が照覧されていることに恥ずかしく思わないのでしょうか。

【地獄の苦しみ恐るべし恐るべし。慎むべし慎むべし。】
地獄の苦しみは、まことに恐るべきであり、くれぐれも慎まなければなりません。

【上根〔じょうこん〕に望めても卑下すべからず。】
理解力が優れている者に比べても、決して卑下しては、なりません。

【下根〔げこん〕を捨てざるは本懐〔ほんがい〕なり。】
理解力が劣っている者を見捨てないのが、仏の本懐だからなのです。

【下根に望めても憍慢〔きょうまん〕ならざれ。】
理解力が劣っている者に比べても高慢であっては、なりません。

【上根もも〔漏〕るゝ事あり、】
理解力が優れた者も救いに漏れることがあり、
【心をいたさざるが故に。】
それは、心を尽くして仏法を求めないからなのです。



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