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持妙法華問答抄 第1章 権実相対で法華第一を説く
【持妙法華問答抄 弘長三年 四二歳】
持妙法華問答抄 弘長3年 42歳御作
【抑〔そもそも〕希〔まれ〕に人身をうけ、適〔たまたま〕仏法をきけり。】
第1問 そもそも稀に人間として生まれ、たまたま仏法を聞くことができました。
【然るに法に浅深〔せんじん〕あり、人に高下ありと云へり。】
ところが仏法に浅深があり、人の機根に高低があると言うのです。
【何〔いか〕なる法を修行してか速〔すみ〕やかに仏になり候べき。】
どのような法を修行すれば、速〔すみ〕やかに仏になることができるのでしょうか。
【願はくは其の道を聞かんと思ふ。】
願わくは、その道を聞きたいと思います。
【答へて云はく、家々に尊勝あり、国々に高貴あり。皆其の君を貴〔たっと〕み、】
第1答 家々に尊い親がおり、国々に高貴の君主がいます。皆、その君主を尊敬し、
【其の親を崇〔あが〕むといへども、豈〔あに〕国王にまさるべきや。】
その親を貴〔たっと〕ぶと言っても、どうして国王に優るはずがあるでしょうか。
【爰〔ここ〕に知んぬ、大小権実は家々の諍〔あらそ〕ひなれども、】
これと同じく大乗と小乗、権教と実教との対立は、家々の争いのようなもので、
【一代聖教の中には法華独〔ひと〕り勝れたり。】
釈尊一代の聖教の中では、法華経のみが、ひとり特別に優れているのです。
【是頓証〔とんしょう〕菩提〔ぼだい〕の指南〔しなん〕、】
なぜなら、この法華経は、速やかに悟りを得る為の教えであり、
【直至〔じきし〕道場〔どうじょう〕の車輪なり。】
ただちに菩提の道場に至る、即身成仏の車輪であるからなのです。
【疑って云はく、人師は経論の心を得て釈を作る者なり。然〔しか〕らば】
第2問 人師とは、経論の心を会得して解釈を作る人の事を言い、そうであれば、
【則ち宗々の人師、面々各々に教門をしつら〔設〕ひ、釈を作り、義を立て】
各宗派の人師が、それぞれに教門を設け、解釈を作り、義を立て
【証得〔しょうとく〕菩提を志す。何ぞ虚〔むな〕しかるべきや。】
菩提を証得する道を志しているのに、どうして、それが意味のないことでしょうか。
【然るに法華独り勝ると候はゞ、心せばくこそ覚え候へ。】
しかし法華経のみ優れていると言うのは、心が狭いのではないかと思われます。
【答へて云はく、法華独りいみじと申すが心せばく候はゞ、】
第2答 法華経のみ優れていると言うのが心が狭いと言うのであれば、
【釈尊程心せばき人は世に候はじ。何ぞ誤りの甚〔はなはだ〕しきや。】
釈尊ほど心の狭い人は、世にいないのです。何と誤りの大きいことでしょうか。
【且〔しばら〕く一経一流の釈を引いて其の迷ひをさとらせん。】
しばらく、経文、宗派の解釈を引いて、その疑いを晴らしましょう。
【無量義経に云はく「種々に法を説き、種々に法を説くこと方便力を以てす。】
無量義経には「衆生の機根に合わせ種々に法を説くことは、仏の方便の力に依る。
【四十余年未だ真実を顕はさず」云云。】
四十余年の間は、未だ真実を顕さなかった」とあります。
【此の文を聞いて大荘厳等〔だいしょうごん・とう〕の八万の菩薩一同に】
この文を聞いて大荘厳などの八万人の菩薩は、一同に
【「無量無辺不可思議阿僧祇劫〔あそうぎ・こう〕を過ぐるとも】
「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぎても、法華経以前の教えでは
【終〔つい〕に無上菩提を成ずることを得ず」と領解〔りょうげ〕し給へり。】
ついに無上菩提を成ずることは、できない」と理解され、了解されたのです。
【此の文の心は、華厳・阿含・方等・般若の四十余年の経に付いて、】
この文章の意味は、華厳・阿含・方等・般若の四十余年の諸経に従って、
【いかに念仏を申し、禅宗を持って仏道を願ひ、無量無辺不可思議阿僧祇劫を】
いかに念仏を称〔とな〕え、禅宗を持って仏道を願い、無量無辺不可思議阿僧祇劫を
【過ぐるとも、無上菩提を成ずる事を得じと云へり。】
過ぎたとしても、無上菩提を成ずることは、できないと言うのです。
【しかのみならず、方便品には「世尊は法久しくして後要〔かなら〕ず】
それだけではなく、法華経方便品には「仏は方便の教えを久しい間、説いた後に、
【当〔まさ〕に真実を説き給ふべし」ととき、】
必ずや真実の教えを説かれるであろう」と説かれ、
【又「唯〔ただ〕一乗の法のみ有り二無く亦〔また〕三無し」と説きて】
また「唯一乗の法のみ有り、二も無く、また三も無い」と説かれて、
【此の経ばかりまことなりと云ひ、又二の巻には】
この法華経のみが真実であると言われ、また法華経・第二巻の譬喩品には、
【「唯我一人のみ能く救護〔くご〕を為す」と教へ、「但楽〔ねが〕って】
「ただ、我一人のみ能く一切衆生を救い護ることができる」と教え、「ただ、願って
【大乗経典を受持して乃至余経の一偈をも受けざれ」と説き給へり。】
大乗経典を受持し、余経の一偈をも受けてはならない」と説かれています。
【文の心は、たゞわれ一人してよくすく〔救〕ひまも〔護〕る事をなす、】
文章の意味は「ただ我一人だけが、よく衆生を救い護ることができる。
【法華経をうけたもたん事をねがひて、余経の一偈をもうけざれと見えたり。】
法華経を受け持つ事を願って、余経の一偈をも受けてはならない」という事です。
【又云はく「若〔も〕し人信ぜずして此の経を毀謗〔きぼう〕せば】
また譬喩品に「もし人が信じないで、この経を誹謗すれば、
【則ち一切世間の仏種を断ぜん。乃至其の人命終して】
則ち一切世間の仏種を断ずるであろう。(中略)その人は、命終して
【阿鼻獄〔あびごく〕に入らん」云云。】
阿鼻獄に入る」とあります。
【此の文の心は、若し人此の経を信ぜずして此の経にそむかば、】
この文章の意味は、もし、この人がこの法華経を信じないで背くならば、
【則〔すなわ〕ち一切世間の仏のたねをたつものなり。】
それは、そのまま一切世間の仏種を断つものであり、
【その人は命〔いのち〕をわらば無間地獄に入るべしと説き給へり。】
その人は、命が終われば無間地獄に堕ちると説かれたのです。
【此等の文をうけて天台は「将〔まさ〕に魔の仏と作〔な〕るに非ずやの】
これらの文章を受けて天台大師は「将に魔の仏となるに非〔あら〕ずやとの
【詞〔ことば〕、正しく此の文によれり」と判じ給へり。】
言葉は、まさしくこの文に依る」と判じたのです。
【唯人師の釈計〔ばか〕りを憑〔たの〕みて、】
ただ人師の解釈ばかりを頼みにして、仏説に依らなければ、
【仏説によらずば何ぞ仏法と云ふ名を付すべきや。言語道断の次第なり。】
どうして仏法という名を付ける事ができるでしょうか。言語道断の次第です。
【之に依って智証〔ちしょう〕大師は「経に大小なく】
これによって智証大師は、授決集上巻に「経文には、大乗、小乗の相違はなく、
【理に偏円〔へんえん〕なしと云って、一切人によらば】
その理に偏円の差別は、ないと言う多くの人師の言葉を信用するならば、
【仏説無用なり」と釈し給へり。天台は】
仏説は、無用である」と釈しています。天台大師は、法華玄義十巻に
【「若し深く所以〔ゆえん〕有りて、復修多羅〔しゅたら〕と合する者は、録して】
「もし深い道理があり、また経文と一致することを言う者は、それを記録して、
【之を用ふ。文無く義無きは信受すべからず」と判じ給へり。】
これを用い、経文の中に文義がないものは、信受してはならない」とあります。
【又云はく「文証無きは悉〔ことごと〕く是邪謂〔じゃい〕なり」とも云へり。】
同じく法華文義二巻には「文証のないものは、すべて邪見である」とあります。
【いかゞ心得べきや。】
人師の説にのみ依る者は、これをどのように心得るのでしょうか。
【問うて云はく、人師の釈はさも候べし。】
第3問 人師の解釈は、いかにもその通りでしょう。
【爾前の諸経に此の経第一とも説き、諸経の王とも宣〔の〕べたり。】
しかし、爾前の諸経に「この経、第一」とも「諸経の王」とも述べています。
【若し爾〔しか〕らば仏説なりとも用ゆべからず候か如何。】
もし、そうであるならば、仏説であっても用いてはならないのでしょうか。
【答へて云はく、設〔たと〕ひ此の経第一とも諸経の王とも申し候へ、】
第3答 たとえ「この経、第一」、「諸経の王」と述べていようと、
【皆是権教なり。其の語によるべからず。】
これらは、すべて権教なのです。その言葉に依ってはならないのです。
【之に依って仏は「了義経によりて不了義経によらざれ」と説き、妙楽大師は】
このことを仏は「了義経に依るべきであって不了義経に依ってはならない」と説き、
【「縦〔たと〕ひ経有りて諸経の王と云ふとも、已今当説最為〔さいい〕】
妙楽大師は「たとえ経があって、諸経の王と言うとも、過去、現在、未来で
【第一〔だいいち〕と云はざれば兼但対帯〔けんたんたいたい〕其の義】
第一と言われない限り、華厳(兼)三蔵(但)方等(対)般若(帯)の義に依って
【知んぬべし」と釈し給へり。此の釈の心は、】
方便の経と知るべきである」と解釈されています。この解釈の意味は、
【設ひ経ありて諸経の王とは云ふとも、前に説きつる経にも後に説かんずる経にも】
「たとえ経があって諸経の王と言うとも、それより以前、以後に説かれた経よりも
【此の経はまされりと云はずば、方便の経としれと云ふ釈なり。】
その経が優れていると言わない限りは、方便の経と知りなさい」と言うものです。
【されば爾前〔にぜん〕の経の習ひとして、今説く経より後に又経を説くべき】
そうであれば爾前の経文の常として、今、説いている経の後に経を説く
【由を云はざるなり。唯法華経計りこそ最後の極説なるが故に、】
由来を述べないのです。ただ法華経のみが、仏の最後の極説である故に、
【已今当の中に此の経独〔ひと〕り勝れたりと説かれて候へ。】
過去、現在、未来の経々の中で、この経が独り優れていると説かれているのです。
【されば釈には「唯法華に至って前教の意を説いて】
それ故、法華玄義釈籤には「ただ法華経に至って、爾前教が方便との意を説いて、
【今教の意を顕はす」と申して、】
今、法華経の本意を顕した」と述べて、
【法華経にて如来の本意も、教化の儀式も定まりたりと見へたり。】
法華経において仏の本意も、教化の儀式も定まったと説かれています。
【之に依って天台は「如来成道四十余年未だ真実を顕はさず、】
これに依って天台大師は「釈迦如来は成道して四十余年の間、未だ真実を顕さず、
【法華始めて真実を顕はす」と云へり。】
法華経で始めて真実を顕した」と述べられています。
【此の文の心は、如来世に出でさせ給ひて四十余年が間は真実の法をば顕はさず。】
この文章の意味は、如来が世に出られて四十余年の間は、真実の法を顕わされず、
【法華経に始めて仏になる実の道を顕はし給へりと釈し給へり。】
法華経で始めて仏になる真実の道を顕されたと解釈されています。