日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


諸宗問答抄 第4章 南都・真言・念仏を破折


【次に華厳・法相・三論・倶舎・成実・律宗等の六宗の法門】
次に華厳宗、法相宗、三論宗、倶舎宗、成実宗、律宗等の南都六宗の法門ですが、

【いかに花をさかせても、申しやすく返事すべき方は、】
彼らは、どのように法門の花を咲かせていても、その破折は、容易なのです。

【能く能くいはせて後、南都の】
十分に彼らに言わせておいて、ただ、南都七大寺の高徳の僧が提出した

【帰伏状を唯よみきかすべきなり。】
伝教大師への帰伏状を読み聞かせれば、よいのです。

【既に六宗の祖師が帰伏の状をかきて桓武〔かんむ〕天皇に奏し奉る。】
すでに六宗の祖師が帰伏の状を書いて、時の桓武天皇に奏上しているのです。

【仍って彼の帰伏状を山門に納められぬ。其の外内裏〔だいり〕にも記されたり。】
その帰伏状は、延暦寺に納められ、その他、内裏にも記〔しる〕されています。

【諸道の家々にも記し留めて今にあり。】
諸学者の家々にも書き写されて、今に伝わっています。

【其れより已来、華厳宗等の六宗の法門、末法の今に至るまで】
それより以来、華厳宗などの六宗派の法門は、末法の今に至るまで

【一度も頭をさし出ださず。何ぞ唯今事〔こと〕新しく、捨てられたる所の権教】
一度も頭を出さなかったのです。それなのに、どうして、すでに捨てられた権教の

【無得道の法にをい〔於〕て真実の思ひをなし、此くの如く仰せられ候ぞや、】
無得道の法が今さら真実の教えであるように思って、このように言われているのか、

【心得られずとせむべし。】
まったく理解できないことであると責めるべきです。

【次に真言宗の法門は、先づ真言三部経は】
次に、真言宗の法門については、まず大日経、金剛頂経、蘇悉地経の真言三部経は、

【大日如来の説か、釈迦如来の説かと尋ね定めて、】
大日如来の説いたものか、釈迦如来が説いたものかを尋ね、

【釈迦の説と云はゞ、釈尊五十年の説教にをい〔於〕て】
もし、確かに釈迦如来が説いたものと云うのなら、釈尊は、五十年の説教において、

【已今当〔いこんとう〕の三説を分別せられたり、】
已〔すで〕に説き、今、説き、当〔まさ〕に説くと三説に分けられています。

【其の中に大日経等の三部は何れの分にをさまり候ぞと之を尋ぬべし。】
その中で大日経などの三部経は、いずれの中に入っているのかと問うべきです。

【三説の中にはいづくにこそおさまりたりと云はゞ、】
三説の中に、どこにも入らないと云うならば、

【例の法門にてたやすかるべき問答なり。】
例の法門で、たやすく決着がつく問答なのです。

【若し法華と同時の説なり、義理も法華と同じと云はゞ、】
もし、法華経と同じ時に説かれた説であり、義理も法華経と同じと云うならは、

【法華は是純円一実の教にて、曾〔かつ〕て方便を交〔まじ〕へて説く事なし。】
法華経は、純円一実の経であって、全く方便を帯びて説かれたことは、ありません。

【大日経等は四教を含用したる経なり、】
大日経などは、蔵教、通教、別教、円教を含んだ経文です。

【何ぞ時も同じ義理も同じと云はんや、謬りなりとせめよ。】
それが、どうして時も同じであり、義理も同じであると云うのかと責めるべきです。

【次に大日如来の説法と云はゞ、】
次に真言が、大日如来の説法であると云うならば、

【大日如来の父母と、生ぜし所と、死せし所を委〔くわ〕しく沙汰し問ふべし。】
大日如来の父母と、生まれた所と、死んだ所を詳しく問いただすべきです。

【一句一偈も大日の父母なし、説く所なし、】
経文には、一句一偈たりとも、大日如来の父母について説かれてもいないのです。

【生死の所なし、有名無実の大日如来なり。】
誕生した所も入滅した所もない、実態がない有名無実の仏が大日如来なのです。

【然る間殊に法門せめやすかるべきなり。若し法門の所詮の】
そのように言えば、この法門は、まことに責めやすいのです。もし、法門の至極の

【理を云はゞ、教主の有無を定めて、説教の得・不得をば極むべき事なり。】
理論を言うならば、教主の実態の有無を定め、説教の得と不得とを極めるべきです。

【設〔たと〕ひ至極の理密・事密を沙汰すとも、訳者に虚妄〔こもう〕有り。】
たとえ、至極の理密・事密だと論じても、訳者にも誤訳や嘘があるものです。

【法華の極理を盗み取って事密真言とか立てられてあるやらん】
法華経の極理を盗み取って、事密・真言とか言って巧みに組み立てたものでしょう。

【不審なり、之に依って法の所談は教主の有無に随って】
不審なことです。これによって、法門の優劣は、まず、教主の実態の有無を

【沙汰有るべきなりと責むべきなり。次に大日如来は法身〔ほっしん〕と云はゞ、】
論じるべきであると責めるべきです。次に大日如来は、法身であると云うならば、

【法華よりは未顕真実と嫌ひ捨てられたる爾前権教にも法身如来と説かれたり、】
法華経から未顕真実と嫌い捨てられた爾前・権教にも、法身如来と説かれています。

【何ぞ不思議なるべきやと云ふべきなり。】
法身如来が、どうして不思議なのかと云うべきです。

【若し無始無終の由を云ひていみじき由を立て申さば、必ず大日如来に限らず、】
もし、無始無終が尊いのであるというならば、大日如来に限らず、

【我等一切衆生螻蟻〔ろうぎ〕蚊虻〔もんもう〕等に至るまで、】
私たち、一切衆生、螻〔おけら〕、蟻〔あり〕、蚊〔か〕、虻〔あぶ〕に至るまで、

【みな無始無終の色心なり。衆生に於て有始有終と思ふは】
すべて無始無終の色心なのです。衆生の場合は、有始有終であると思うのは、

【外道の僻見〔びゃっけん〕なり、汝外道に同ず、如何と云ふべきなり。】
外道の僻見なのです。あなたは、外道と同じなのかと云うべきです。

【次に念仏は是〔これ〕浄土宗所用の義なり。此又権教の中の権教なり。】
次に念仏は、浄土宗の用いる義です。念仏は、これまた権教の中の権教なのです。

【譬へば夢の中の夢の如し。有名無実にして其の実無きなり。】
たとえば、夢の中の夢のようなもので、有名無実であって、その実が無いのです。

【一切衆生願ひて所詮なし。然れば云ふ所の仏も】
一切衆生が願っても、どうしようもないことで、従って言うところの仏も

【有為無常の阿弥陀仏なり。何ぞ常住不滅の道理にしかんや。】
有為、無常の阿弥陀仏であって、常住、不滅の道理には、及ばないのです。

【されば本朝の根本大師の御釈に云はく「有為の報仏は夢中の権果、】
それ故、日本国の伝教大師の守護国界章には「有為の報仏は、夢中の権果である。

【無作の三身は覚前の実仏」と釈して、阿弥陀仏等の有為無常の仏をば】
無作の三身は、覚前の実仏である」と述べて、阿弥陀仏などの有為、無常の仏を

【大いにいましめ、捨てをかれ候なり。既に憑〔たの〕む所の】
大いに戒〔いまし〕められて、捨てられているのです。すでに頼むところの

【阿弥陀仏有名無実にして、名のみ有りて其の体なからんには、】
阿弥陀仏が有名無実であって、名前だけあって、その実態がないので、

【往生すべき道理をば委〔くわ〕しく須弥山の如く高く立て、】
往生できるという道理をいかに詳しく、須弥山のように高く立てて、

【大海の如くに深く云ふとも、何の所詮有るべきや。】
大海のように深く説いても、何の意味もないことなのです。

【又経論に正しき明文ども有りと云はゞ、明文ありとも未顕真実の文なり。】
また、経論に正しい明文があると言っても、それは、未顕真実の権教の文なのです。

【浄土の三部経に限らず、華厳経等より初めて】
無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の浄土三部経に限らず、華厳経を始めとして、

【何れの経教論釈にか成仏の明文無からんや。然れども権教の明文なる時は、】
いずれの経教、論釈にも成仏の明文は、あります。しかし、権教の明文なのです。

【汝等が所執の拙〔つたな〕きにてこそあれ、経論に無き僻事〔ひがごと〕なり。】
あなたが執着するだけ馬鹿を見るのであって、真実の経論にはない嘘なのです。

【何れも法門の道理を宣べ厳〔かざ〕り、依経を立てたりとも】
いずれも、法門の道理を述べて、飾り、浄土の三部経を依経として立てていますが、

【夢中の権果〔ごんか〕にて無用の義に成るべきなり。】
すべて夢の中の権〔かり〕の仏果であって、無用の義なのです。

【返す返す。】
返す返すも、この道理を間違っては、なりません。



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