日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


持妙法華問答抄 第4章 末代流布の最上真実の秘法


【凡〔およ〕そ其の里〔さと〕ゆかしけれども道たえ縁なきには、】
故郷を懐かしく思っても、道も絶え、縁もなくなれば、

【通ふ心もをろそ〔疎〕かに、】
通う心も疎〔おろそ〕かになり、たとえ、その人を恋しく思っても、

【其の人恋しけれども憑〔たの〕めず契〔ちぎ〕らぬには、】
その人の心も頼りにならず、契〔ちぎ〕りを交わしたこともなければ、

【待つ思ひもなをざり〔等閑〕なるやうに、彼の月卿〔げっけい〕】
その人を待つ思いもなおざりになるように、

【雲客〔うんかく〕に勝れたる】
あの公卿〔くぎょう〕や殿上人〔てんじょうびと〕の宮殿よりも優れていて、

【霊山浄土〔りょうぜん・じょうど〕の行きやす〔易〕きにも未だゆかず。】
しかも行きやすい霊山浄土にも未だ行かず、

【「我即是父〔がそく・ぜぶ〕」の柔軟〔にゅうなん〕の御すがた見奉るべきをも】
「我は、即ち父である」と述べられた仏の柔和な姿を見たてまつるべきなのに、

【未だ見奉らず。是誠に袂〔たもと〕をくた〔腐〕し、】
いままで見ることもなく、これは、まことに涙で袂〔たもと〕を濡らし、

【胸をこ〔焦〕がす歎〔なげ〕きならざらんや。暮れ行く空の雲の色、】
胸を焦〔こ〕がすほどの嘆きではないでしょうか。暮〔く〕れ行く空の雲の色や、

【有明方〔ありあけがた〕の月の光までも心をもよほす思ひなり。】
明け方の次第に薄らいで行く月の光までも、心をせきたてる思いがするのです。

【事にふれ、をりに付けても後世〔ごせ〕を心にかけ、花の春、】
事にふれ、折につけても、後世を心にかけ、花の春、

【雪の朝〔あした〕も是を思ひ、風さは〔戦〕ぎ、】
雪の朝も、これを思い、風が騒ぎ、

【村雲まよふ夕〔ゆうべ〕にも忘るゝ隙〔ひま〕なかれ。】
村雲の立ち迷う夕べにも、少しも忘れては、なりません。

【出る息は入る息をまたず。何なる時節ありてか、】
命は、出る息が入る息を待たないほど短いものなのです。いかなる時節にあっても、

【毎自作是念〔まいじ・さぜねん〕の悲願を忘れ、何なる月日ありてか、】
「自らこの念を作〔な〕す」の悲願を忘れ、いかなる月日にあっても

【無一不成仏の御経を持〔たも〕たざらん。】
「一人として成仏せざる事なし」の法華経を持〔たも〕たずにいられるでしょうか。

【昨日〔きのう〕が今日〔きょう〕になり、去年の今年となる事も、】
昨日が今日になり、去年が今年と成ることも、

【是期〔ご〕する処の余命にはあらざるをや。】
期待できない、この後の命ではないでしょうか。

【総て過ぎにし方をかぞへて、年の積るをば知るといへども、】
すべて過ぎた歳月を数えて、年齢の重なる事を知るけれども、今から行く末のことは、

【今行末〔ゆくすえ〕にをいて、一日片時も誰か命の数に入るべき。】
一日であっても片時であっても、誰が命がある者の中に入るとわかるでしょうか。

【臨終已〔すで〕に今にありとは知りながら、我慢偏執〔がまん・へんしゅう〕】
臨終は、すでに今にあるとは知りながら、我慢偏執〔がまん・へんしゅう〕、

【名聞利養〔みょうもん・りよう〕に著〔じゃく〕して】
名聞冥利〔みょうもん・みょうり〕にとらわれて、

【妙法を唱へ奉らざらん事は、志の程無下〔むげ〕にかひなし。】
妙法を唱えないと言うのは、その志〔こころざ〕しは、言う甲斐もないものです。

【さこそは皆成仏道の御法〔みのり〕とは云ひながら、】
そのような姿であっては、皆成仏道の法華経とは言え、

【此の人争〔いか〕でか仏道にものうからざるべき。】
この人が、どうして仏道を成就することができるでしょうか。

【色なき人の袖にはそゞろに月のやどる事かは。】
愛情のない人の袖〔そで〕には、みだりに月が宿ることはないでしょう。

【又命已に一念にすぎざれば、仏は一念随喜〔いちねん・ずいき〕の】
また、命は、一念に過ぎないので、仏は一念随喜〔いちねん・ずいき〕の

【功徳と説き給へり。若し是二念三念を期すと云はゞ、】
功徳と説かれたのです。もし、これが二念や三念があると言うのであれば、

【平等大慧の本誓、】
平等大慧〔びょうどう・だいえ〕の本誓〔ほんぜい〕、

【頓教〔とんぎょう〕一乗皆成仏の法とは云はるべからず。】
頓教〔とんぎょう〕一乗〔いちじょう〕皆〔かい〕成仏の法とは、言わないのです。

【流布の時は末世法滅に及び、】
法華経が流布の時は、釈迦牟尼仏の説いた仏教が滅び尽きる末法にまで及び、

【機は五逆謗法をも納めたり。】
さらに、その衆生の資質は、五逆罪の者や謗法の者でさえ入れられているのです。

【故に頓証菩提〔とんしょう・ぼだい〕の心におきて〔掟〕られて、】
それ故に念仏で簡単に良い結果が得られるという心に縛られて、

【狐疑執著〔こぎ・しゅうじゃく〕の邪見に身を任〔まか〕する事なかれ。】
法華経を疑い念仏に執着する邪見に身を任せては、なりません。

【生涯幾〔いくば〕くならず。思へば一夜の仮の宿を忘れて】
生涯は、いかほどもなく、思えば、この世は、一夜の仮の宿であることを忘れて、

【幾くの名利をか得ん。】
どれほどの名利を得ようと言うのでしょうか。

【又得たりとも是夢の中の栄へ、】
また、たとえそれを得たとしても、これは夢の中の栄えであって、

【珍しからぬ楽しみなり。只先世の業因に任せて営むべし。】
どこにでも有る楽しみであり、ただ前世の業因に任せて生きることが良いのです。

【世間の無常をさとらん事は、眼に遮〔さえぎ〕り耳にみてり。】
世の無常を悟ろうとすれば、その例は、眼をさえぎり、耳に満ちるほど多いのです。

【雲とやなり、雨とやなりけん、昔の人は只名をのみきく。】
昔の人は、今は、ただ名前が残るだけになり、雲となり、雨となったのでしょうか。

【露とや消へ、煙とや登りけん、今の友も又みえず。】
今は、友の姿も見えず、露と消え、煙となって、空に昇ってしまったのでしょうか。

【我いつまでか三笠〔みかさ〕の雲と思ふべき。】
自分は、いつまで三笠の山にかかる雲のように生きているのかと思うべきです。

【春の花の風に随ひ、秋の紅葉〔もみじ〕の時雨〔しぐれ〕に染むる。】
春の花が吹く風に従って散り、秋の紅葉が時雨に染まります。

【是皆ながらへぬ世の中のためしなれば、】
これは、皆、いつまでも生きることができない世の中の例なのです。

【法華経には「世〔よ〕は皆牢固〔ろうこ〕ならざること、】
法華経随喜功徳品には「世の中は、皆、堅牢〔けんろう〕でないことは、

【水沫泡焔〔すいまつ・ほうえん〕の如し」とすゝめたり。】
水の泡や火の焔〔ほのお〕のようである」と説かれています。

【「以何令衆生〔いがりょう・しゅじょう〕】
「毎〔つね〕に自らこの念を作〔な〕さく、何を以てか衆生をして、

【得入無上道〔とくにゅう・むじょうどう〕」の】
無上道に入〔い〕り、速〔すみや〕かに仏身を成就することを得せしめん」との

【御心〔みこころ〕のそこ、順縁逆縁の御ことのは、】
仏の心の奥底の想いは、順縁と逆縁の者をどちらも救うという言葉であり、

【已に本懐なれば暫くも持つ者も又本意にかないぬ。】
まさに仏の本懐であるから、少しでも持〔たも〕つ者は、また本意にかなうのです。

【又本意に叶はゞ仏の恩を報ずるなり。】
また本意にかなうのであれば、仏の恩を報じことになるのです。

【悲母〔ひも〕深重の経文心安ければ、唯我一人の】
母のように慈悲深重の経文が心を安〔やす〕めることができれば「ただ我一人のみ、

【御苦しみもかつがつ〔僅々〕やすみ給ふらん。】
よく衆生を救護す」の苦しみも、どうにか心を安〔やす〕められることでしょう。

【釈迦一仏の悦び給ふのみならず、諸仏出世の本懐なれば、】
釈尊一仏が悦ばれるばかりでなく、法華経は、諸仏出世の本懐であるので、

【十方三世の諸仏も悦び給ふべし。】
三世十方の諸仏も悦ばれることでしょう。

【「我即ち歓喜す、諸仏も亦然なり」と説かれたれば、】
「我即ち歓喜す、諸仏も、また然〔しか〕なり」と説かれているので、

【仏悦び給ふのみならず、神も即ち随喜し給ふなるべし。】
仏が悦ばれるばかりでなく、仏の垂迹たる神もまた随喜されるのです。

【伝教大師是を講じ給ひしかば、八幡大菩薩は紫の袈裟〔けさ〕を布施し、】
伝教大師が法華経を講義したときは、八幡大菩薩は、紫の袈裟を大師に布施し、

【空也〔くうや〕上人是を読み給ひしかば、】
空也〔くうや〕上人が法華経を読んだ時には、

【松尾の大明神〔だいみょうじん〕は寒風をふせがせ給ふ。】
松尾の大明神は、寒風を防がれたのです。

【されば「七難即滅七福即生」と祈らんにも此の御経第一なり。】
それ故に「七難即滅・七福即生」と祈るのも、この法華経が第一なのです。

【現世安穏と見えたればなり。】
法華経・薬草喩品に「現世安穏」と説かれているからです。

【他国侵逼難・自界叛逆難の御祈禱〔きとう〕にも、】
他国侵逼〔しんぴつ〕の難、自界叛逆の難を防ぐ為の祈禱にも、

【此の妙典に過ぎたるはなし。】
この法華妙に過ぎる経典はないのです。法華経・陀羅尼品に

【「百由旬の内に諸の衰患〔すいげん〕無からしむべし」と説かれたればなり。】
「百由旬の内に諸の衰患〔すいげん〕無からしむべし」と説かれているからです。

【然るに当世の御祈禱はさかさまなり。】
しかし、現在の世の中で行われている祈禱は、真逆なのです。

【先代流布の権教なり。末代流布の最上真実の秘法にあらざるなり。】
正法・像法に流布した権教であり、末代に流布すべき最上真実の秘法ではなく、

【譬へば去年の暦〔こよみ〕を用ゐ、烏〔からす〕を鵜〔う〕につかはんが如し。】
譬えば去年の暦を用い、烏〔からす〕を鵜〔う〕の代わりに使うのと同じなのです。

【是偏〔ひとえ〕に権経の邪師を貴みて、】
これは、ひとえに権教の邪師を貴〔とうと〕んで、

【未だ実教の明師に値はせ給はざる故なり。惜しいかな、】
未だ実教である法華経の明師に会われていない故なのです。惜しいことに、

【文武の卞和〔べんか〕があら玉、】
文王や武王の時代の完璧と呼ばれる宝石「卞和〔べんか〕の粗玉」は、

【何〔いず〕くにか納めけん。嬉しいかな、釈尊出世の】
どこに消えたのでしょうか。しかし、実に嬉しいことに釈尊の出世の本懐たる

【髻〔もとどり〕の中の明珠、今度我が身に得たる事よ。】
転輪聖王の髪の中の如意宝珠〔にょい・ほうじゅ〕を、今、我が身に得たのです。

【十方諸仏の証誠としているかせならず。】
このことは、十方の諸仏が証明したことであり、いい加減な事柄では、ないのです。

【さこそは「一切世間には怨多く信じ難し」と知りながら、】
法華経・安楽行品の「一切世間には、怨〔あだ〕多く信じ難し」の文を知りながら、

【争〔いか〕でか一分の疑心を残して、「決定無有疑〔けつじょう・むうぎ〕」の】
どうして少しでも疑いの心を残して、「必ず成仏できる」と約束された

【仏にならざらんや。過去遠々〔おんのん〕の苦しみは、】
仏に成らずにいられるでしょうか。過去、遠々劫〔おんのんごう〕以来の苦しみは、

【徒〔いたずら〕にのみこそうけこ〔受来〕しか。】
ただ意味もなく受けて来ただけでした。

【などか暫〔しばら〕く不変常住の妙因をうへざらん。】
今世で、どうして少しでも不変常住の仏因を植えないでいられましょうか。

【未来永々の楽しみはかつがつ心を養ふとも、】
未来永劫に渡る楽しみは、今は、僅かにしか心を養わないとしても、

【し〔強〕ゐてあながちに電光朝露の名利をば貪〔むさぼ〕るべからず。】
むやみに稲妻や朝霧のような名聞名利を貪るべきでは、ありません。

【「三界は安きこと無し、猶火宅の如し」とは如来の教へ】
「三界は、安〔やす〕きところなく、まさに火宅の如し」とは、仏の教えなのです。

【「所以に諸法は幻の如く化の如し」とは菩薩の詞〔ことば〕なり。】
「諸法は、幻化のようなものである」とは、菩薩の言葉です。

【寂光の都ならずば、何〔いづ〕くも皆苦なるべし。】
寂光の都でないならば、どこであっても、皆、苦悩の世界なのです。

【本覚の栖〔すみか〕を離れて何事か楽しみなるべき。】
本覚の巣を離れて、どんな楽しみがあると言うのでしょうか。

【願はくは「現世安穏〔げんぜ・あんのん〕後生善処〔ごしょう・ぜんしょ〕」の】
願くは「現世は安穏であり、後生は善処に生まれる」と仰せの

【妙法を持つのみこそ、只今生の名聞後生の弄引〔ろういん〕なるべけれ。】
妙法を持〔たも〕つ事が、今生の名聞であり、後世には成仏の案内となるのです。

【須〔すべから〕く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、】
すべて心をひとつにして南無妙法蓮華経と自らも唱え、

【他をも勧〔すす〕めんのみこそ、今生人界の思出なるべき。】
他にも勧めることが、今生に人間として生まれて来た思い出となるのです。

【南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。】
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。

【日蓮 花押】
日蓮 花押



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