御書研鑚の集い 御書研鑚資料
持妙法華問答抄 背景と大意
本抄は、弘長3年(西暦1263年)3月、日蓮大聖人が42歳の時に伊豆流罪が赦免になった直後に、鎌倉で認〔したた〕められました。
御真筆が現存していませんので、対告衆なども明らかではありません。
また、本抄は「持法華問答抄」とも「持法華問答」とも称されています。
古来からの伝承では、六老僧の一人、日持が本抄を執筆し、それを日蓮大聖人が御印可されたものとも言われていますが、その真偽については不明です。
松葉ヶ谷の法難の後、大聖人は、一時、上総・若宮の富木常忍邸を拠点に弘教を展開されていました。
そして弘長元年(西暦1261年)の春に再び鎌倉へ戻られましたが、これを知った鎌倉幕府は、ただちに大聖人を捕らえ、何の取り調べもせずに伊豆・伊東への流罪を決定したのです。
この法難は、北条重時・長時父子と念仏宗の策謀によるもので、まったくの冤罪〔えんざい〕でした。
この時、大聖人は「理不尽に伊豆国〔いずのくに〕へ流し給ひぬ。されば極楽寺殿と長時と彼の一門皆ほろぶるを各〔おのおの〕御覧あるべし」(御書1263頁)と述べられ、実際に、この御言葉どおり、北条重時は、大聖人を配流した翌月、病に倒れ、やがて狂死しました。
前執権の北条時頼は、この重時の死に様に驚き、また無実の大聖人を流罪にしていることを深刻に受け止め、弘長3年2月22日に赦免としたのです。
こうして大聖人は、鎌倉の草庵にもどられました。
本書は、この頃認められたものと拝察されます。
題号に「持妙法華」とあるように、妙法華即ち妙法蓮華経を持〔たも〕つことに関して、五つの問答を展開されています。
その五つの問答の概要は、以下の通りです。
第一問、人間として生まれて仏法に巡りあっても、その法に浅深があり、教える人にも高低があるので、いったい何を修行すれば良いのか。
第一答、確かに仏法には、大乗経と小乗教、権教と実教の違いがありますが、法華経こそ諸経の王であり、即身成仏の直道であるのです。
第二問、多くの人師が経論を会得して、その解釈をしているので、その成仏の道を間違うはずはないのに、法華経だけが優れていると主張するのは、心が狭く間違いではないのか。
第二答、法華経が諸経の中で最勝であるのは、人師の解釈によるのではなく、あくまでも釈迦牟尼仏が説いた経文によって決められていることなのです。
第三問、法華以前の経典にも「此の経第一」や「諸経の王」の文があるが、それは、間違いであり、用いてはならないと言うのか。
第三答、「四十余年未顕真実」「已今当説最為第一」と示された法華経こそ、まさに真実の諸経の王であり、真実の成仏道にほかならないのです。
第四問、法相宗の徳一〔とくいち〕は、「四十余年未顕真実」の文は、二乗の為の言葉であって菩薩の為のものではないと主張しており、法華経のみを真実とすることは認められない。
第四答、爾前で不成仏と断じられた二乗は、法華経によってのみ成仏ができるのであり、この二乗作仏こそ、法華経が一切衆生皆成仏道である証拠なのです。
第五問、それでは、どのように法華経を修行すれば良いのか。
第五答、ただ、信心こそが大事なのであり、不信は、謗法の根源であり実に恐ろしく、名聞名利に捕われずに南無妙法蓮華経を自分も唱え、他にも勧めていくことこそが最も重要なのです。
本抄の要点は、第五の問答にあるのです。
法華経と言っても、それを如説修行する者がいなくては、成仏は、叶いません。
また、それを教える人がいなくては、自ら法華経に出会うこともありません。
日蓮大聖人が如何に偉大な仏であったとしても、それを信じるのは、自分自身であり、また、大聖人を謗〔そし〕るのも自分自身なのです。
ここで大聖人は、とくに信心が大切なこと、また、それを行動に移すことの重要性、それを理解する必要性を述べられています。
法華経こそ一切衆生が速やかに成仏できる唯一の法なのです。
釈迦牟尼仏は「是の人仏道に於いて決定〔けつじょう〕して疑い有ること無けん」(開結584頁)と説かれています。
この法華経を信ずる人は、間違いなく成仏すると断言されているのです。
反対に法華経に違背する者は、大苦悩を受けることも間違いありません。
また法華経を信じ、弘める人を憎んだり、謗る人も同じように大苦悩を受けることになります。
そのことを大聖人は、本抄に「されば持たるゝ法だに第一ならば、持つ人随って第一なるべし。然らば則〔すなわ〕ち其の人を毀〔そし〕るは其の法を毀るなり。」(御書298頁)と仰せられ、第一の法を受持すれば、持つ人も第一であり、その受持者を憎み、謗ることはそのまま法を憎み、法を謗ることになると御指南されています。
末法の法華経の行者である日蓮大聖人を謗〔そし〕ることは、そのまま法華経を謗ることになるのです。
その結果は、自分自身が負わなければならず、北条重時のように俗世の名聞名利に捕われて狂死することとなるのです。
さらに大聖人は、本抄において「我慢偏執〔がまん・へんしゅう〕名聞利養〔みょうもん・りよう〕に著〔じゃく〕して妙法を唱へ奉らざらん事は、志の程無下〔むげ〕にかひなし。」(御書299頁)、「他国侵逼難・自界叛逆難の御祈禱〔きとう〕にも、此の妙典に過ぎたるはなし。」(御書299頁)とも仰せられ、自分の我慢偏執、世間の名聞名利に流されていては、決して願いが成就することはなく、逆にどんな大難であっても、この妙法によって願いが成就することを御教示されています。
それ故に「心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧〔すす〕めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」(御書300頁)との御言葉で、本抄を結ばれています。
また、ここで述べられている「法華経」とは、弘安二年(西暦1279年)に顕わされた大御本尊であることは、言うまでもありません。
弘長3年(西暦1263年)3月の時点では、いまだ大御本尊が顕わされていない為に「法華経」と述べられていますが、この時点においても大聖人が唯一の末法の法華経の行者、すなわち末法の御本仏であることに変わりはなく、人法一箇〔にんぽう・いっか〕の本尊の立場から、人本尊である大聖人を謗ることは、法華経つまり法本尊である「三大秘法の本門の本尊」を謗ることになると仰せなのです。
この題名にある妙法華とは、法華経のことであり、正確には、「妙法蓮華経」と言います。
梵名を「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」と言い、音写して「薩達摩・芬陀梨伽・蘇多覧」と書き、その意味は「白蓮華のごとき正しい教え」です。
すでにインドにおいて、異本があったと言われ、その為に、これを中国で漢訳する段階では、訳者によって用いた原本が異なり、種々の漢訳本ができたと推察されます。
こうしてできた漢訳本は、次の六種です。
(1)「法華三昧経六巻」魏の正無畏の翻訳(西暦256年訳)消失。
(2)「薩曇〔さつどん〕分陀利〔ふんだり〕経六巻」西晋の竺法護〔じく・ほうご〕の翻訳(西暦265年訳)消失。
(3)「正法華経十巻」西晋の竺法護〔じく・ほうご〕の翻訳(西暦285年訳)現存。
(4)「方等法華経五巻」東晋の支道根の翻訳(西暦335年訳)消失。
(5)「妙法蓮華経八巻」姚秦の鳩摩羅什〔くま・らじゅう〕の翻訳(西暦406年訳)現存。
(6)「添品妙法蓮華経七巻」隋の闍那崛多〔じゃな・くった〕と達磨笈多〔だるま・ぎゅうた〕の翻訳(西暦601年訳)現存。
このうち、法華三昧経、薩曇分陀利経、方等法華経は、すでに消失し、正法華経、妙法蓮華経、添品法華経の三本のみが現存しているので「六訳三存」と言います。
この第五問の前にある数々の疑問は、現在でもあてはまる、むしろ当然のものなのですが、しかし、いくら、それらの疑問を解いて法華経が成仏の直道〔じきどう〕であり、法華最第一、一切衆生皆成仏道であると言っても、それは、理屈の上の話であって、現実には、そんな大変な修行などできないのがあたりまえと思うのが普通であるのです。
そこで、いよいよこの最後の問いが設〔もう〕けられたのです。
ようするに、この法華経をどのように修行すれば、良いのかという究極的な問題なのです。
すべての経文の中でもっとも素晴らしい法華経は、普通の凡夫の身では、修行できないのではないかという問いなのです。
どんなに素晴らしい教えであっても、それが実践不可能であったならば、それは、机上の空論であり、意味をなしません。
まさにこの法華経こそ、空論中の空論ではないのかという根本的な疑問なのです。
これは、正法時代、像法時代の仏教が,極一部の知識人のものであり、日本においても、天皇を中心とする貴族のみが、仏教を信じ、さらには、聖武天皇によって奈良に大仏が造営され、また桓武〔かんむ〕天皇によって京の比叡山・延暦寺に大乗戒壇が建立されて、まさに末法の鎌倉時代には、庶民とは、まったく、かけはなれたものになっていたからです。
その一方で、ただ阿弥陀如来の本願によって、その名前を称〔とな〕えれば、極楽へ生まれ変われるとする念仏や、加持祈祷の儀式で願いが叶うと言う真言や、座禅を組み心を静めれば、悟りを開くことが出来るとする禅や、はたまた、山岳地帯を走り回り、修行とするものや、滝行、火渡りなどの荒行で悟りを開こうとするものなど、まるで六師外道の婆羅門〔ばらもん〕のような、一見すると、とても仏教には、見えない怪しげなものが庶民の心を捉えて、現代の新興宗教と同じく世の中に広まっていたのです。
しかし、いずれも、願いが叶う、利益がある、悟りを開くことができると言う点では、まったく同じなのです。
これは、一代聖教の法華経では、この中のどのような修行をすれば、願いが叶い、利益があり、悟りを開くことができるのかという根本的な疑問なのです。
それに対し、天台宗では、法華経を分析し、その中の要点を取って、天台大師・智顗〔ちぎ〕の摩訶止観〔まか・しかん〕・全10巻、法華玄義〔げんぎ〕・全10巻、法華文句〔もんぐ〕・全10巻などの解釈書を作り、また、妙楽大師・湛然〔たんねん〕が、それらを止観輔行伝弘決〔ぐけつ〕・全10巻、法華玄義釈籤〔しゃくせん〕・全10巻、法華文句記〔もんぐき〕・全10巻などに展開し、さらに伝教大師最澄〔さいちょう〕が守護国界章・全9巻、法華秀句・全3巻などによって修行を具体化したのです。
中でも伝教大師は、法相〔ほっそう〕宗の僧侶、徳一〔とくいち〕と「一切衆生・悉有仏性〔しつ・う・ぶっしょう〕」の法華一乗説と「五性各別〔ごしょう・かくべつ)」の法華三乗説の議論、いわゆる「三一権実諍論〔さんいつ・ごんじつのそうろん〕」を行い、法華三乗説には、菩薩の性分が無ければ、成仏できないと言う小乗の義が含まれていると批判を展開し、法華経は、生まれ定まった性分に関係なく、女性、悪人、二乗を含む、すべての衆生が法華経により成仏できると説いたのです。
このように「修行の困難さから、成仏できるのは、釈迦のような特別な存在である」とする一般的な仏教観を否定し、どのような者であっても法華経によって救われるという大乗仏教の本義を説いて、一切衆生が、すべて成仏できるとする教えを鮮明にしたのです。
この宗論によって、奈良の六宗派の非が明らかとなり、社会から天台宗の正しさが認められて、それにより権威ある存在となったのです。
その天台宗では、観念・観法の修行を説いて、天台大師は、法華経方便品の諸法実相の文を根拠にして「一念三千の法門」を主張し、この理法を体得する実践として「一心三観」の修行を説いたのです。
これは、己心の一念を観じて、そこに三千の諸法が円満に備わっていることを感得する修行であり、三観とは、一念の中に空仮中の三諦が円有相即して欠けることなく備わっていることを言うのです。
この修行を観念観法とも止観とも言うのです。
こうした観念観法の修行は、必然的に禅定を中心とした方法をとることになります。
事実、座禅の修行を確立したのは、天台大師なのです。
しかも、思索をこらして究極の法たる一念三千の法門に迫ることは、まさしく優れた智者に限るのであり、そうでなければ、できない修行でもあるのです。
ここに、天台宗が一部の者のみのものとなり、民衆から乖離〔かいり〕していった根本原因があると言って良いでしょう。
そして、それが新興宗教の念仏、真言、禅から「千中無一」「未有一人得者」と批判される口実を与えたとも言えるのです。
しかも、大聖人御在世の時代では、この観念観法の修行を重んずるあまり、摩訶止観が法華経に優るという邪論を展開し、さらには、真言の加持祈祷や念仏、禅の修行を取り入れるような本末転倒の姿を示すまでになったのです。
まさに徳一が主張した法華経の「一切衆生・皆成仏道」を認めつつも、法相宗が主張する「仏性を顕わす為の法華経の修行を成しえる因(行仏性)」を持たない衆生がいることを認めるような有様となってしまったのです。
「立正観抄」に「当世〔とうせい〕天台の教法を習学するの輩、多く観心〔かんじん〕修行を貴んで法華本迹〔ほんじゃく〕二門を捨つと見えたり。」(御書766頁)と、その風潮を厳しく指弾されています。
摩訶止観と言っても仏説でもなく、「南岳大師は観音の化身〔けしん〕、天台大師は薬王の化身なり」(御書702頁)と言われるように、天台大師と言っても菩薩の化身でしかないのです。
こうした状況の中で本抄に於いて「上根上機は観念観法も然るべし」(御書296頁)と大聖人が述べられているのは、像法時代までのことであり、末法においては、天台大師や伝教大師のような「上根・上機」の者が、いないばかりか、三毒強盛の「下根下機」の衆生ばかりなのです。
そのような「下根下機」の者は、ただ「信心」が肝要なのです。
そうであればこそ、法華経・提婆達多品に「浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は地獄・餓鬼・畜生に堕〔お〕ちずして十方の仏前に生ぜん」(御書296頁)と説かれており、本抄に「いかにも信じて次の生の仏前を期〔ご〕すべきなり」(御書296頁)と述べられているのです。
つまり、なんとしても法華経を信じて、次の世に仏前に生まれることを期すべきと述べられているのです。
法華経の修行は、法華経・譬喩品に「舎利弗〔しゃりほつ)尚〔なお〕此〔こ〕の経に於いては信を以〔も〕って入〔い〕ることを得〔え〕たり」とあるように智慧第一の舎利弗であっても、信によって法華経が理解でき、信が根本であり、万人が修行できる法であることを示されているのです。
また、この智慧を信によって代える「以信代慧〔いしんだいえ〕」の根拠は、法華経の分別功徳品にあります。
末法における法華経の修行については、法華経二十八品の中で迹門流通分〔るつうぶん〕と本門流通分とに示されています。
しかし、実際には、一品二半(寿量品とその前後半品ずつ)のすぐ後の、この分別功徳品の後半に説かれる修行が重要となります。
ここには、本門の修行を、段階的に在世の衆生の信心に約して四種に分別した「現在の四信」と滅後の衆生の修行に約して五種に分別した「滅後の五品」が説かれており、合わせて「四信五品」と言います。
まず現在の四信とは、「一念信解〔しんげ〕」「略解言趣」「広為他説」「深信観成〔じんしんかんじょう〕」をいいます。
第一の「一念信解」とは、法華経の教えを聞き、一念の心にわずかに信解を起こす位のことです。
第二の「略解言趣〔りゃくげ・ごんしゅ〕」とは、法華経の意義が、ほぼ理解できる位です。
第三の「広為他説」とは、広く他人の為に説く位のことです。
第四の「深信観成」とは、心に深く法華経の理を悟り、中道実相の観心を成ずる位のことです。
これら四つは、すべて信を根本として修行を成就することから「四信」といいます。
次に滅後の五品とは、「随喜品」「読誦品」「説法品」「兼行六度品」「正行六度品」のことをいいます。
第一の「随喜品」とは、妙法を聞いて随喜〔ずいき〕の心を起こす位のことです。
第二の「読誦品」とは、法華経を受持し読誦〔どくじゅ〕する位のことです。
第三の「説法品」とは、法華経を説法をする位のことです。
第四の「兼行六度品」とは、前三品に兼〔か〕ねて六度(六波羅密)を行ずる位のことです。
第五の「正行六度品」とは、正しく六度を行ずる位のことです。
これら現在の四信と滅後の五品とを相対すれば、「一念信解」が「随喜品」と「読誦品」に当たり、「略解言趣」が「説法品」に当たり、「広為他説」が「兼行六度品」に当たり、「深信観成」が「正行六度品」に当たります。
天台宗では、この「四信五品」を六即に分類し、「理即〔りそく〕」「名字即〔みょうじそく〕」「観行即〔かんぎょうそく〕」「相似即〔そうじそく〕」「分真即〔ぶんしんそく〕(分証真実即)」「究竟即〔くきょうそく〕」とし、四信の中の「一念信解」と五品の中の「随喜品」を「相似即」か「観行即」であるか、もしくは「名字即」であると説きました。
摩訶止観には「仏意知り難し機に赴〔おもむ〕きて異説す、此を借りて開解せば何ぞ労〔わずら〕はしく苦〔ねんご〕ろに諍〔あらそ〕はん」(御書1111頁)とあり、仏の言いたいことは、知り難く、色々な異なる説を述べられるが、そのことによって理解が深まれば良いのであって、そもそも、それを言い争う必要などないと書いてあります。
この三つの中で大聖人は、「信の一字を詮と為す(中略)信は慧の因、名字即の位なり。」(御書1112頁)と述べられ「一念信解」「随喜品」が「名字即」の位に当たると明確に説かれています。
「名字即」とは、初めて正法を聞いて、一念三千の理をその名字である「妙法蓮華経」で知り、一切法がすべて仏法であると知る位の事です。
つまり、この「四信五品」のうち「四信」の「一念信解」「略解言趣」、「五品」の中の「随喜品」「読誦品」「説法品」の前三品の位の衆生は、機根が低い為に「戒定慧〔かい・じょう・え〕の三学」の中の「戒」と「定」の六波羅密の修行をすることができず、それを行ずる為に「慧〔え〕」を学ばなければ、なりませんが、末法の凡夫は、この「慧」を学ぶ修行にも堪えられないので「信を以て慧に代える」ように説かれたのです。
しかし、この天台教学では、いくら「以信代慧」と言っても「信」が「慧」に代わるだけであり、
「戒定慧の三学」のうちの「慧」を学んだに過ぎないのです。
従って「六度(六波羅密)」を修行しなければならず、成仏は、ほど遠いのです。
それに対して日蓮大聖人の仏法は、まったく違うのです。
大聖人は、一代聖教大意において「法華経の十界互具を議論するとき、声聞の身に菩薩界が具〔そな〕わると言うのであれば、六度万行を修行せず、極めて長い時間の修行をしていない声聞が、非常に辛〔つら〕い思いをして修行して来た多くの菩薩の無量無辺の難行道が、その声聞に具わると言う事になり、これでは、仏の位である妙覚も菩薩の最高位の等覚も同じということになってしまう」と述べられ、それ故に法華経・薬草喩品に声聞のことを「汝等〔なんだち〕が所行は是れ菩薩の道〔どう〕なり」と述べられ「未だ六波羅蜜〔ろくはらみつ〕を修行することを得ずと雖も六波羅蜜自然〔じねん〕に在前〔ざいぜん〕す」(御書652頁)と説かれていると御教示されているのです。
このことを日寛上人は「当体義抄文段」に「観心本尊抄は行の重とは、これ則ち彼の抄に受持即観心の義を明かす故なり。彼の文に云く、未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す云云。釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う乃至五字の内に此の珠を裏み末代幼稚の(不明)に懸けさしめ給う等云云。これ則ち事の一念三千の本尊を受持すれば、則ち事の一念三千の観行を成ずるなり。」と述べられています。
このように日蓮大聖人の御教示がなければ、いくら、天台、妙楽、伝教が法華経を緻密な理論の展開によって解き明かしても、そもそも法華経本門に「事の一念三千」そのものが、釈迦牟尼仏の説いた脱益〔だっちゃく〕の仏教では、所詮は「理の一念三千」であり、真の「事の一念三千」である「三大秘法の本門の題目」が顕われなければ、天台宗と言えども何の意味もないのです。
逆に法華経寿量品の文上においても、真の「事の一念三千」である「三大秘法」を「戒定慧の三学」とし、「一心三観」と説けば、それは、正しいことになるのです。
ただ、本抄の顕された弘長3年3月の時点では、大聖人が伊豆配流が赦免になった直後であり、佐渡以後の一期一縁の本尊を顕されてもおらず、また当然の事ながら、弘安二年の出世の本懐たる大御本尊を顕されてもいない為、ここでは、本門の題目である「智慧」のみに限定されて述べられているのです。
このように釈迦牟尼仏が説かれた法華経と言っても、その訳書は、数々あり、その中でも羅什〔らじゅう〕三蔵の訳した「妙法蓮華経」が今日では、現存する経文の中で最も釈迦の本意を伝える最高の名訳であると言われ、また、その本意を天台大師、妙楽大師、伝教大師が、それぞれ多くの解説書の中で説明を続けましたが、結局は、その本意とは、日蓮大聖人が顕された「三大秘法の本門の本尊」のことなのです。
それ故に、いまだ「三大秘法の本門の本尊」が顕われざる正法、像法時代においては、それが説かれた法華経を信じ持〔たも〕つことが最も肝要となり、それこそが法華経文底に秘沈された仏種を得る唯一の方法となるのです。
それ故に本抄において「是頓証〔とんしょう〕菩提〔ぼだい〕の指南〔しなん〕、直至〔じきし〕道場〔どうじょう〕の車輪なり。」(御書293頁)と述べられています。
「頓証菩提の指南」の「頓証菩提」とは、直達正観、即身成仏と同じ意味です。
また「直至道場」とは、法華経・譬喩品の「此の宝乗〔ほうじょう〕に乗〔じょう〕じて、直〔ただ〕ちに道場〔どうじょう〕に至〔いた〕らしむ」の文で「直至」は、直達〔じきたつ〕正観、「道場」は、菩提のことです。
従って、この法華経は、直達正観の教えであり、ただちに即身成仏に至る車輪であると教えられているのです。
しかし、その教えの根本とは、何かというと、それは、「三大秘法」であり、その中の「本門の題目」なのです。
また「一念信解〔しんげ〕の功徳は五波羅蜜〔はらみつ〕の行に越へ、五十展転〔てんでん〕の随喜〔ずいき〕は八十年の布施に勝れたり。(中略)言語道断の経王、心行所滅の妙法なり。」(御書297頁)とあり、六波羅蜜とは、大乗の菩薩が悟りを得る為に修行しなければならないことで、六度とも言われます。
波羅蜜〔はらみつ〕とは、波羅蜜多〔はらみった〕とも呼びますが、目的の岸に到達するという意味で、到彼岸などと訳されます。
その内容は、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六種類で、それぞれ布施波羅蜜(檀〔だん〕波羅蜜)、持戒波羅蜜(尸羅〔しら〕波羅蜜)、忍辱波羅蜜(羼提〔せんだい〕波羅蜜)、精進波羅蜜(毘梨耶〔びりや〕波羅蜜)、禅定(禅那〔ぜんな〕波羅蜜)、智慧波羅蜜(般若〔はんにゃ〕波羅蜜)と呼ばれます。
この文の五波羅蜜とは、六波羅蜜から智慧波羅蜜を除いた五つのことです。
五十展転〔てんでん〕とは、法華経の随喜功徳品の前半に説かれており、その冒頭で弥勒菩薩が釈迦牟尼仏に「釈迦滅後に法華経を聴聞して随喜する功徳」について尋ねると「法華経を聞き終わって随喜の心を起こし、他の人に法華経を伝えていき、次の人も聞き終わって随喜の心を起こし、このように次々と伝わって、五十人目の人に達したとして、この第五十番目の、ただ法華経寿量品の教えを聞いただけの人の功徳を、これから説明しよう」と述べるのです。
そして「例えば、数え切れないほどの多くの世界には、様々な種類の衆生がおり、ある人が、これらの衆生を楽しませる為にあらゆる物や、宝石、宮殿、などを与え続け、八十年に及んだとき、衆生を集めて仏の教えを説き、阿羅漢の小乗教における最高の悟りに導いたとしよう。弥勒よ、この人の功徳はどのくらいのものであるか」と尋ねるのです。
弥勒菩薩は「この人は、数えきれない世界のすべての衆生に莫大な財宝を施し、阿羅漢の悟りに導いたのですから、はなはだ大きな功徳を得たことでありましょう」と答えるのです。
そこで釈迦牟尼仏は「このような人であっても、この五十番目に法華経のたった一偈を聞いて随喜した人の功徳には、百千万億分の一にも及ばない」と説かれたのです。
ましてや、最初に説法の座で法華経を聞き随喜した人の功徳は、五十人目の人の功徳の無量無辺阿僧祇倍であり、比べることができないと示されています。それだけ、法華経を聞いて随喜することには、絶大な功徳があるのです。
この法華経の一偈とは、「三大秘法の本門の題目」の一偈を意味します。
それ故に日蓮大聖人は「五十展転〔てんでん〕とは、五とは妙法の五字なり、十とは十界の衆生なり、展転とは一念三千なり。教相の時は第五十人の随喜の功徳を校量〔きょうりょう〕せり。五十人とは一切衆生の事なり。妙法の五十人、妙法の展転なるが故なり。所謂南無妙法蓮華経を展転するなり云云。」(御書1811頁)と述べられ、さらに最初聞法〔もんぽう〕の人から四十九番目の人までは、自行化他であり、五十番目の人は、化他の功徳がなく、ただ聞法による随喜の功徳の自行しか具〔そな〕わりませんが、その功徳ですら絶大であり、まして最初に聞法し法を人に伝えた功徳は、比べることができないほど大きいのです。
このように一念信解の功徳は、五波羅蜜の修行を越えており、五十展転の随喜の功徳は、八十年間の布施よりも優れており、この法華経は、言葉で表現する事ができない不可思議の経王であり、心の思慮分別の遠く及ばない妙法なのです。
それ故に「豈〔あに〕冥〔みょう〕の照覧〔しょうらん〕恥づかしからざらんや。(中略)下根に望めても憍慢〔きょうまん〕ならざれ。」(御書298頁)と述べられ、ここでは「三大秘法の本門の本尊」を「冥〔みょう〕の照覧〔しょうらん〕」とされ、さらに、その「三大秘法」を受持する者に対しても、決して高慢であっては、ならないと述べられているのです。
このように究極的には、白法穏没〔おんもつ〕の末法においては、日蓮大聖人が鎌倉時代に日本に誕生され、法華経を読まれ、また天台教学を学ばれて、この「三大秘法の大御本尊」を顕わされなければ、法華経と言っても何の価値もないのです。
末法の法華経の行者である末法の御本仏・日蓮大聖人のことを説かれている故に法華経は、重要であり、諸経の王なのです。
その本尊がない天台宗としては、何が法華経の真実かもわからず、成仏を目指す仏教の本義にも背き、真言、念仏、禅を取り入れ、なんとか末法の衆生の現世利益の欲求に答えようとしたのです。
所詮、それは、法華経の主旨に背き、また、それは、日蓮大聖人に背く故に大謗法であり、徳一〔とくいち〕が主張した通りの「五性各別」の権門・小乗の姿となって、何の価値もなくなってしまったのです。
それ故に大聖人は「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせん〔詮〕なし。」(御書1219頁)と御教示されています。
どういう人生をおくろうとも、それが終わることは間違いなく、いつまでも我慢偏執〔がまん・へんしゅう〕、名聞冥利〔みょうもん・みょうり〕にとらわれて、即身成仏の「三大秘法の本門の題目」を唱えないと言うことは、実にもったいないことなのです。
仏は、法華経・如来寿量品において「毎自作是念・以何令衆生〔いがりょう・しゅじょう〕・得入無上道〔とくにゅう・むじょうどう〕・速成就仏身(毎〔つね〕に自ら是〔こ〕の念を作〔な〕さく何を以てか衆生をして無上道に入〔い〕り速〔すみや〕かに仏身を成就することを得せしめんと)」と願われ、これは、法華経を信じる順縁の者も、法華経を信じない逆縁の者も、どちらも救うと言う言葉であり、まさに仏の本懐であるので、少しでも法華経を持〔たも〕つ者は、その本意にかなうのです。
そういうことで日蓮大聖人は、本抄の最後にあたって「須〔すべから〕く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧〔すす〕めんのみこそ、今生人界の思出なるべき。」(御書300頁)と心をひとつにして「南無妙法蓮華経」と自らも唱え、他にも勧めることが、今生に人間として生まれて来た思い出となると仰せなのです。