日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


日興跡条々事


【日興跡条々事 元弘二年一一月一〇日】
日興跡条々事 元弘2年11月10日御作


【一、本門寺建立の時、新田・阿闍梨〔にいだ・あじゃり〕日目を】
一、本門寺、建立の時は、新田・阿闍梨〔にいだ・あじゃり〕・日目を

【座主と為し、日本国乃至一閻浮提の内、山寺等に於て、】
座主として、日本国、全世界の中の寺などは、

【半分は日目嫡子〔ちゃくし〕分として管領せしむべし。】
半分は、日目上人の後を継ぐ弟子の分として管領するべきであり、

【残る所の半分は自余の大衆等之を領掌〔りょうしょう〕すべし。】
また、残る半分は、その他の弟子などが、これを所領すべきである。

【一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、】
一、日興の身に日蓮大聖人から、賜〔たまわ〕るところの弘安二年の大御本尊は、

【日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。】
日目に、これを相伝する。これを本門寺に懸〔か〕け奉〔たてまつ〕るべきである。

【一、大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、】
一、大石寺は、堂宇と云い、墓所と云い、日目が、これを管理し、

【修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり。】
修理を施〔ほどこ〕し、勤行して広宣流布を待つべきである。

【右、日目は十五の歳、日興に値ひて法華を信じて以来七十三歳の老体に至るも】
右、日目は、15歳で日興に会って、法華を信じて以来73歳の老体に至るまで

【敢〔あ〕へて違失の義無し。】
あえて考えてみると間違ったことを述べたことがなかったのである。

【十七の歳、日蓮聖人の所に詣で(甲州身延山)御在生七年の間常随給仕し、】
17歳で日蓮大聖人の身延山において、七年の間、その近くにおいて常随給仕し、

【御遷化の後、弘安八年より元徳二年に至る五十年の間、】
日蓮大聖人が亡くなった後、弘安八年より元徳二年に至る五十年の間、

【奏聞の功他に異なるに依って此くの如く書き置く所なり。】
天皇に上奏する功績が他の者と異なり、その為に、このように書き置くのである。

【仍って後の為〔ため〕証状件〔くだん〕の如し。】
よって後の時代の為の残す証状は、以上の通りである。

【十一月十日 日興花押】
11月10日 日興花押



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