御書研鑚の集い 御書研鑽資料
五人所破抄 第一章 日興上人の申状
【五人所破抄 嘉暦三年七月】
五人所破抄 嘉暦3年7月
【夫〔それ〕以〔おもんみれば〕れば諸仏懸遠〔けんのん〕の難きことは】
よくよく、考えてみると諸仏が、この世に出て来られることの難しさは、
【譬へを曇華〔どんげ〕に仮り、妙法値遇の縁は】
千年に一度咲く優曇華に譬えられ、衆生が妙法に巡りあう縁が稀であることは、
【比〔たぐい〕を浮木に類す。】
一眼の亀が大海で浮き木に会うことにも譬えられています。
【塵数三五の施化に猶漏れて、】
末法の衆生は、三千塵点劫や五百億塵点劫の釈迦牟尼仏の導〔みちび〕きにも漏れ、
【正像二千の弘経も稍〔やや〕過ぎ已〔お〕はんぬ。】
正法、像法二千年の仏法流布の時代も、早くも過ぎてしまいました。
【闘諍堅固の今は乗戒倶に緩〔ゆる〕く】
末法の闘諍堅固の現在は、仏教の実践も戒律に基づく修行も共に行われなくなって、
【人には弊悪の機のみ多し、何の依憑〔たのも〕しきこと有らんや。】
人々の機根も悪い者だけが多くなって、どこに頼みとするものがあるでしょうか。
【設〔たと〕ひ内外兼包の智は三に積み】
たとえば、内道、外道を兼ね備えている智慧を三阿僧祇劫の間、積み重ね、
【大小薫習の行は百劫を満つとも、時と機とを弁〔わきま〕へず】
大乗教、小乗教の修業を百劫の間、行ったとしても、時と機とを弁〔わきま〕えず、
【本と迹とに迷倒せば其れも亦信じ難からん。爰〔ここ〕に先師】
本門と迹門に迷うならば、それを信ずることも難しいのです。ここに先師、
【聖人親〔まのあた〕り大聖の付を受けて末法の主たりと雖も、】
日蓮大聖人は、釈尊から付嘱を受けて末法の教主に成られたといえども、
【早く無常の相を表して円寂に帰入するの刻〔きざ〕み、】
すでに生死の無常の姿を示して、入滅されようとした時、
【五字紹継の為に六人の遺弟を定めたまふ。】
妙法五字を継承せしめる為に六人の遺弟を定められたのです。
【日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持已上六人なり。】
それは、日昭と日朗と日興と日向と日頂と日持の以上六人です。
【五人武家に捧ぐる状に云はく。】
この中の五人が武家に提出した申し状には、次のように述べられています。
【(未だ公家に奏せず)】
鎌倉幕府には、申し状を提出しましたが、まだ公家には、提出していません。
【天台の沙門日昭謹んで言上す。】
「天台宗の僧侶である日昭が謹んで申し上げる。
【先師日蓮は忝〔かたじけな〕くも法華の行者として専ら仏果の直道を顕はし、】
先師、日蓮は有難くも法華の行者として、もっぱら、成仏の直道を顕わし、
【天台の余流を酌み地慮の研精〔けんせい〕を尽くす云云。】
天台宗の余流を汲んで、地慮の研鑚に励んだ」と述べています。
【又云はく、日昭不肖の身たりと雖も、兵戈〔へいか〕永息の為〔ため〕】
また、「日昭は、取るに足りない身分であるが、平和が長く続くように、
【副将安全の為に法華の道場を構へ、長日の勤行を致し奉る。】
また、副将軍が安泰であるように法華の道場を構え、長い間、勤行を行ってきた。
【已に冥々の志有り、豈〔あに〕昭々の感無からんや。】
すでに、このように志があるので、どうして、その反応がないわけがあろうか」。
【(詮を取る)天台の沙門日朗謹んで言上す。先師日蓮は】
結論を言うと「天台宗の僧である日朗が謹んで申し上げる。先師、日蓮は、
【如来の本意に任せ、先判の権経を閣いて後判の実経を弘通せしむるに】
如来の本意に従って、先に説かれた権経を捨て、後に説かれた実経を弘通させたが、
【最要未だ上聞に達せず、愁鬱〔しゅういつ〕を懐〔いだ〕いて】
最も肝要なことは、国主の耳に達せず、憂いと欝屈の思いを抱いて
【空しく多年の星霜を送り、玉を含みて寂に入るが如く逝去せしめ畢んぬ。】
空しく年数を送り、まるで宝を手にしたまま死ぬように、逝去されてしまった。
【然して日朗忝くも彼の一乗妙典を相伝して】
そこで日朗は、有難いに先師から、この一乗妙典である法華経を相承し、
【鎮〔とこしなえ〕に国家を祈り奉る。】
国家の永久の安泰を祈っているのである」と述べているのです。
【(詮を取る)天台法華宗の沙門日向日頂謹んで言上す。】
結論を言うと「天台法華宗の僧侶である日向、日頂が謹んで申し上げる。
【桓武聖代の古風を扇〔あお〕ぎ伝教大師の余流を汲み、立正安国論に准じて】
桓武天皇の時代の姿を仰ぎ、伝教大師の流れを受け継ぎ、立正安国論にならって
【法華一乗を崇められんことを請ふの状。】
一仏乗の法華経を尊ぶことを請い願う書状である」と述べています。
【右謹んで旧規を検〔かんが〕へたるに、祖師伝教大師が】
「右のことを謹んで古い例に基づき考えてみると天台宗の開祖である伝教大師は、
【延暦年中に始めて叡山に登り法華宗を弘通したまふ云云。】
延暦年間に始めて比叡山に登って法華経の宗旨を弘通された」と述べています。
【又云はく法華の道場に擬して天長地久を祈り】
また「この場所を法華経の道場と思い、天地が永久に平穏であるように祈っている。
【今に断絶すること無し。】
その祈りを今日まで欠かしたことがない」と述べています。
【(詮を取る)日興公家に奏し武家に訴へて云はく、】
結論を言うと、日興が公家に奏上し、武家に訴えて言います。
【夫日蓮聖人は忝くも上行菩薩の再誕にして】
日興は、その相承において「日蓮大聖人は、もったいなくも上行菩薩の再誕であり、
【本門弘通の大権なり。】
末法の現代において、法華経・本門を弘経する為に出現された偉大な方なのである。
【所謂大覚世尊未来の時機を鑑みたまひ、】
いわゆる、釈迦牟尼仏は、未来の衆生の機根に応じて広まる教法を考えられて、
【世を三時に分かち法を四依に付して以来、】
時代を正法、像法、末法の三時に分け、法を四依の菩薩に付嘱されたのである。
【正法千年の内には迦葉阿難等の聖者先づ小を弘めて大を略し、】
仏滅後、正法千年の間に迦葉、阿難などが、大乗教を略し、まず小乗教を弘めて、
【竜樹天親等の論師は次に小を破りて大を立つ。】
次に竜樹、天親などの論師が出て、その小乗教を破って大乗教を立てた。
【像法千年の間、異域には則ち陳隋両主の明時に智者は】
像法千年の間では、中国の陳、隋の両国の時代に、天台智者大師は、
【十師の邪義を破る、本朝には亦〔また〕桓武天皇の聖代に伝教は】
南三北七の十師の邪義を破り、日本においては、桓武天皇の時代に伝教大師は、
【六宗の僻論〔びゃくろん〕を改む。】
南都六宗の間違った宗旨を改めさせ、像法時代の戒壇を比叡山に建立したのである。
【今末法に入っては上行出世の境、】
今、末法に入ってからは、法華経に説かれるように上行菩薩が出現する世であり、
【本門流布の時なり。正像已に過ぐ、】
法華経・本門を流布する時なのです。正法、像法時代は、過ぎてしまったのに、
【何ぞ爾前迹門を以て強ひて御帰依有るべけんや。】
どうして爾前、迹門の教えに強いて帰依する必要があるでしょうか。
【就中〔なかんずく〕天台伝教は像法の時に当たって演説し、】
とりわけ大切なことは、天台大師、伝教大師は、像法時代において法を演説し、
【日蓮聖人は末法の代を迎へて恢弘〔かいこう〕す、】
日蓮大聖人は、末法の時代を迎えて、それを弘通したのです。
【彼は薬王の後身此は上行の再誕なり、経文に載する所、】
天台、伝教は、薬王菩薩の化身であり、日蓮大聖人は、上行菩薩の再誕なのです。
【解釈炳焉〔へいえん〕たる者なり。】
これらのことは、経文にもあることであり、どの解釈であっても明らかなのです。
【凡そ一代教籍の濫觴〔らんしょう〕は法華の中道を説かんが為なり。】
一般に釈尊一代の説教の起こりは、法華経の中道・実相を説こうとした為であり、
【三国伝持の流布は蓋〔な〕んぞ】
インド、中国、日本へと三国へ伝持された法華経の流布は、
【真実の本門を先とせざらんや。】
どうして仏の真実の本門を第一としないでよいのでしょうか。
【若し瓦礫を貴んで珠玉を棄て、燭影を捧げて日光を捨てれば、】
もし瓦や石を尊んで宝石を捨て、灯を大事にして太陽の光を捨てされば、
【只〔ただ〕風俗の迷妄に趁〔はし〕って世尊の化導を謗ずるに似たるか。】
それは、ただ、世俗の価値観に迷って、釈尊の教えを非難する事に等しいであろう。
【華の中に優曇有り、木の中に栴檀有り、】
それは、花の中に優曇華があり、木の中に栴檀があるように世俗の価値観に捕われる
【凡慮覃〔およ〕び難し、併〔しか〕しながら冥鑑に任す云云。】
凡夫では、到底、理解がおよばず、冥の照覧に任せるのである」と述べています。
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【本迹既〔すで〕に水火を隔て、時機亦天地の如し。】
本門と迹門とは、水と火のような違いがあり、時も機根も天地のような違いがあり、
【何ぞ地涌の菩薩を指して苟〔いや〕しくも】
どうして、法華経に説かれている地涌の菩薩の上首、上行菩薩の化身である
【天台の末弟と称せんや。】
日蓮大聖人を天台大師、伝教大師の弟子などと呼ぶことができるでしょうか。
【次に祈国の段亦以て不審なり。】
次に国家の安泰を祈ったという事も、また、それ以上に疑わしいのです。
【所以は何〔いかん〕、文永免許の古先師素意の】
その理由は、文永十一年に赦免されて佐渡から鎌倉に戻られた折に平左衛門尉に
【分既に以て顕はれ畢んぬ、】
対面された時の御返事に、日蓮大聖人の御心は、すでに顕れているのです。
【何ぞ僣聖道門の怨敵に交はり坐して鎮〔とこしなえ〕に】
どうして法華経の行者を誹謗する僣聖増上慢、道門増上慢の怨敵と一緒になって
【天長地久の御願を祈らんや、】
永く国家の安泰を祈禱しなければ、ならないのでしょうか。
【況んや三災弥〔いよいよ〕起こり一分も徴〔しるし〕無し、】
まして、三災七難は、ますます激しくなり、祈禱をした効果など、全くないのです。
【啻〔ただ〕に祖師の本懐に違するのみにあらず、】
他宗派と並んで国家を祈るなどと言うことは、日蓮大聖人の心に背くばかりでなく、
【還って己身の面目を失ふの謂〔い〕ひか。】
返って自らの謗法の姿を示すだけで、弟子としての面目さえ失うことになるのです。