日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


一代聖教大意 第五章 伝教の故事と法然の誤謬〔ごびゅう〕


【日本の伝教大師比叡山を建立の時、根本中堂の地を引き給ひし時、】
日本の伝教大師が比叡山延暦寺を建立した時、根本中堂の地を選ばれた際に、

【地中より舌八つある鑰〔かぎ〕を引き出だしたりき。】
地中から八つの突起がついた鍵が出てきました。

【此の鑰を以て入唐〔にっとう〕の時に、】
この鍵をもって、後に、唐に入った時に、

【天台大師より第七代妙楽大師の御弟子道邃〔どうずい〕和尚に値ひ奉りて】
天台大師から第七代にあたる妙楽大師の弟子、道邃〔どうずい〕和尚に会い、

【天台の法門を伝へし時、天機秀発の人たりし間、】
天台大師の法門を伝えられた時、伝教大師が非常に優秀な人であったので、

【道邃和尚悦びて天台の造り給へる十五の経蔵を】
道邃〔どうずい〕和尚は、喜んで天台大師の造られた十五の経蔵を

【開き見せしめ給ひしに、十四を開きて一の蔵を開かず。】
開き見せたところ、十四の蔵が開いて、残り一つの蔵が開かなかったのです。

【其の時伝教大師云はく、師、此の一蔵を開き給へと請ひ給ひしに、】
その時、伝教大師が、師よ、この一蔵を開いてくださいと願いましたが、

【邃和尚の云はく、此の一蔵は開くべき鑰無し。】
道邃和尚が、この蔵には、開こうにも鍵がないと告げて、

【天台大師自ら出世して開き給ふべし云云。】
天台大師が、再び、この世に出現して開かれるしかないと言ったのです。

【其の時伝教大師日本より随身の鑰を以て開き給ひしに、】
その時、伝教大師は、日本から身につけてきた鍵をもって開けてみたところ、

【此の経蔵開きたりしかば経蔵の内より光〔ひかり〕室に満ちたりき。】
この経蔵が開かれ、経蔵の内から光を放ち、室内に満ちたのです。

【其の光の本を尋ぬれば此の一念三千の文より光を放ちたりしなり。】
その光のもとを探すと摩訶止観第5巻の一念三千の文から光を放っていたのです。

【ありがたかりし事なり。其の時邃和尚は返りて】
世にも希なことです。その時、道邃〔どうずい〕和尚は、返って

【伝経大師を礼拝し給ひき、天台大師の後身と云云。】
伝教大師に礼拝され、伝教大師を天台大師の後身であると言われたのです。

【依って天台の経蔵の所釈は遺〔のこ〕り無く日本に亘〔わた〕りしなり。】
これによって、天台大師の経蔵の重要な典籍は、残らず日本に渡ったのです。

【天台大師の御自筆の観音経、章安大師の自筆の止観、】
天台大師の御自筆の観音経、章安大師の自筆の摩訶止観は、

【今〔いま〕比叡山の根本中堂に収めたり。】
今は、比叡山の根本中堂に収められているのです。

次に外道の四性計を挙げ、法華経の十界互具と比較する
四性計
〔ししょうけ〕
自性 自力迦毘羅外道
〔かびらげどう〕
他性他力漚樓僧伽外道
〔うるそうぎゃげどう〕
共性共力勒娑婆外道
〔ろくしゃばげどう〕
無因性無因力自然外道
〔じねんげどう〕


【外道に三人あり、一には仏法外の外道(九十五種の外道)、】
外道には、三種類の人がいます。一には、仏法以外の婆羅門の九十五種の外道です、

【二には学仏法成〔がくぶっぽうじょう〕の外道(小乗)、】
二には、小乗の義を立てる附仏法成〔ふぶっぽうじょう〕の外道です。

【三には附仏法の外道(妙法を知らざる大乗の外道なり)。】
三には、妙法を知らない学仏法の大乗の外道です。

【今の法華経は自力も定めて自力にあらず、】
現在の法華経は、自力も単なる自力では、ありません。

【十界の一切衆生を具する自〔じ〕なる故に、】
十界の一切衆生を具〔ぐ〕する自力である故に、

【我が身に本より自の仏界、一切衆生の他の仏界我が身に具せり。】
我が身に自力の仏界も、一切衆生の他の仏界も、元から具〔ぐ〕しているのです。

【されば今仏に成るに新仏にあらず。】
つまり、現在、仏に成ると言うことは、自分で新しく仏に成るのでは、ありません。

【又他力も定めて他力に非ず、】
また、法華経は、他力も単なる他力ではないのです。

【他仏も我等凡夫の自ら具せる故に、】
他の仏も我ら凡夫自身に具〔そな〕わる故に、

【又他仏が我等が如き自に現同するなり。】
また、他の仏も我らと同じように、自〔みずか〕らに現れるのです。

【共〔ぐ〕と無因とは略す。】
共力〔ぐりき〕と無因力〔むいんりき〕については、これを省略します。

【法華経已前の諸経は十界互具を明かさゞれば、】
法華経以前の諸経は、十界互具を明かしていないので、

【仏に成らんと願ふには必ず九界を厭〔いと〕ふ、】
仏に成ろうと願う時には、必ず九界を否定して、嫌うのです。

【九界を仏界に具せざる故なり。】
それは、九界を仏界に具〔そな〕えていないからなのです。

【されば必ず悪を滅し煩悩を断じて仏には成ると談ず、】
ですから、必ず、悪を滅し、煩悩を断じ尽くして、仏に成ると説いて、

【凡夫の身を仏に具すと云はざるが故に。】
九界の凡夫の身に仏界を具〔ぐ〕していると説いては、いないからなのです。

【されば人天、悪人の身をば失ひて仏に成ると申す。】
ですから、人、天、悪人の身を滅して、仏に成ると説いています。

【此をば妙楽大師は厭離〔おんり〕断九〔だんく〕の仏と名づく。】
これを妙楽大師は、九界を厭離〔おんり〕し、断じた権仏と名付けています。

【されば爾前の経の人々は仏の九界の形を現ずるをば、】
ですから爾前の諸経の人々は、仏が九界の姿を現すことについて、

【但仏の不思議の神変と思ひ、仏の身に九界が本よりありて】
ただ、仏の不思議な神通力による変現と思い、仏の身に九界が元からあって、

【現ずるとは云はず。】
それによって、九界の姿を現すとは、説いていないのです。

【されば実を以てさぐり給ふに】
ですから、事実をもって調べてみると、

【法華経已前には但権者の仏のみ有りて、】
法華経以前では、ただ仮に姿を現した権仏であって、

【実の凡夫が仏に成りたりける事は無きなり。】
実際には、凡夫が、仏に成ったことはないのです。

【煩悩を断じて九界を厭ひて仏に成らんと願ふは、】
煩悩を断じ尽くして、九界を否定し仏になろうと願うのですが、

【実には九界を離れたる仏は無き故に。】
実際には、九界を離れた仏などいない故に、

【往生したる実の凡夫も無し、人界を離れたる菩薩界も無き故に。】
成仏、往生した現実の凡夫もいないのです。人界を離れた菩薩界もない故に、

【但法華経の仏の、爾前にして十界の形を現じて所化とも能化とも、】
ただ、法華経の仏が爾前教において、十界の姿を現し、仏弟子とも、仏とも

【悪人とも善人とも外道とも云はれしなり。実の悪人・善人・外道・】
悪人とも、善人とも、外道とも言ったのです。実際の悪人、善人、外道、

【凡夫は方便の権を行じて真実の教とうち思ひなしてすぎし程に、】
凡夫は、方便の権教を修行して、それを真実の教えと思って過ごして来たのですが、

【法華経に来たりて方便にてありけり、実には見思無明も】
法華経に至って、あれは、方便の権教であった、実際には、見思惑、無明惑も

【断ぜざりけり、往生もせざりけりなんど覚知するなり。】
断じておらず、往生もしていなかったと理解するのです。

【一念三千は別に委〔くわ〕しく書くべし。】
一念三千の法門については、別に詳しく書くことにします。

【此の経には二妙あり。】
この法華経には、二種類の妙があります。

【釈に云はく「此の経は唯二妙を論ず」と。】
天台大師の法華玄義第2巻に「この経は、ただ二妙を論ず」とあります。

【一には相待〔そうたい〕妙・二には絶待〔ぜったい〕妙なり。】
一には、相待妙〔そうたいみょう〕、二には、絶待妙〔ぜったいみょう〕です。

【相待妙の意は、前四時の一代聖教に】
相待妙の趣旨は、法華経以前の華厳、阿含、方等、般若の四時の一代聖教と

【法華経を対して爾前と之を嫌ひ、】
法華経とを相対して、四時の一代聖教を爾前教として否定して、

【爾前をば当分と云ひ法華を跨節〔かせつ〕と申す。】
爾前教を当分と言い、法華経を跨節〔かせつ〕と言うのです。

【絶待妙の意は、一代聖教は即ち法華経なりと開会す。】
絶待妙の趣意は、一代聖教は、即、法華経であると開会〔かいえ〕するのです。

【又法華経に二事あり。】
また、法華経に二事があります。

【一には所開〔しょかい〕、二には能開〔のうかい〕なり。】
一には、所開〔しょかい〕、二には、能開〔のうかい〕です。

【開示悟入の文、或は皆已成仏道等の文、】
法華経、方便品の開示悟入の文、あるいは、皆已成仏道などの文、

【一部八巻二十八品六万九千三百八十四字、】
法華経一部、八巻、二十八品、六万九千三百八十四字の

【一々の字の下に皆妙の文字あるべし。此能開の妙なり。】
一々の文字の下に、すべて妙の文字があるのです。これらは、能開の妙です。

【此の法華経は知らずして習ひ談ずる物は】
この法華経の開会〔かいえ〕を知らないで、法華経を習い談ずる者は、

【但爾前経の利益なり。阿含経の開会〔かいえ〕の文は、】
ただ爾前経の利益を得るだけなのです。阿含経を開会〔かいえ〕する文は、

【経に云はく「我が此の九部の法は衆生に随順して説く、】
法華経、方便品に「我が、この小乗の九部の法は、衆生に従い、順じて説く。

【大乗に入るに為〔こ〕れ本なり」云云。華厳経開会の文は】
これは、大乗に入る為である」と説かれ、華厳経を開会〔かいえ〕する文章は、

【「一切世間の天人及び阿修羅は】
法華経、如来寿量品に「一切世間の天、人、阿修羅は、釈迦が生まれ育った

【皆謂〔おも〕へり】
城の近くで仏に成ったと思っている。しかし、実は、成仏して以来、無量無辺

【今の釈迦牟尼仏」等文。】
百千万億那由佗劫である。それが現在の釈迦牟尼仏である」と説かれています。

【般若経開会の文は安楽行品の十八空〔くう〕の文なり。】
般若経を開会〔かいえ〕する文章は、法華経安楽行品に十八種の空を説く文章です。

【観経等の往生安楽開会の文は】
観無量寿経などの往生安楽を開会〔かいえ〕する文章は、法華経薬王品に

【「此に於て命終〔みょうじゅう〕して即ち安楽世界に往く」等文。】
「ここにおいて命を終えて、直ちに安楽世界に往く」という文章です。

【散善〔さんぜん〕開会の文は】
散善〔さんぜん〕の開会〔かいえ〕の文章は、法華経方便品に

【「一たび南無仏と称せし】
「もし、人が散乱の心で塔廟の中に入って、ひとたび、南無仏と唱えた者は、

【皆已に仏道を成じき」文。】
皆、すでに仏道を成ず」という文章です。

【一切衆生開会の文は】
一切衆生の開会〔かいえ〕の文章は、法華経譬喩品に

【「今此の三界は皆是〔これ〕我が有なり。】
「今、この三界は、皆、これ我が所有である。

【其の中の衆生は悉く是吾〔わ〕が子なり」と。】
その中の衆生は、ことごとく、これ我が子である」と説かれています。

【外典〔げてん〕開会の文は「若し俗間〔ぞっけん〕の経書〔きょうしょ〕・】
外典の開会〔かいえ〕の文章は、法華経法師功徳品に「俗世間の書物、

【治世の語言〔ごごん〕・資生〔ししょう〕の業〔ごう〕等を説かんも】
社会生活の為の言語〔げんご〕や生活の為の知識などを説くのも、

【皆正法に順ぜん」文。】
すべて正法に従う」とあります。

【兜率〔とそつ〕開会の文、人天所開会の文】
兜率〔とそつ〕の往生の開会〔かいえ〕の文、人界、天界の衆生の開会の文は、

【しげきゆへにいださず。】
煩〔わずら〕わしいので出さないでおきます。

【此の経を意得〔こころえ〕ざる人は経の文に此の経を読みて】
この法華経の真意を心得ない人は、経文の文字だけを読んで内容を理解せず、

【人天に生ずと説く文を見、】
法華経提婆品に「人天の中に生ずれば、勝妙の楽を受ける」と説く文章を見て、

【或は兜率〔とそつ〕・】
また、勧発品に「兜率〔とそつ〕天の弥勒菩薩のみもとに往かん」

【忉利〔とうり〕なんどにいたる文を見、】
「この人は、命を終えて、まさに忉利天に生ず」の文章を見て、

【或は安養に生ずる文を見て、】
また、薬王品に「命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏」との文章を見て誤解を生じ、

【穢土に於て法華を行ぜば、経はいみじけれども】
穢土〔えど〕において法華経を修行をしても、経文は、素晴らしいけれども、

【行者不退の地に至らざれば穢土にして流転〔るてん〕し、】
修行者は、不退の地に至らないので、穢土〔えど〕において、六道を流転し、

【久しく五十六億七千万歳の】
弥勒菩薩が出世、成仏するという釈尊滅後五十六億七千万歳の

【晨〔あかつき〕を期し、或は人畜等に生じて】
暁〔あかつき〕を期待し、あるいは、人間や畜生に生まれて、

【隔生〔きゃくしょう〕する間、】
前世と現世と隔〔へだて〕られている為に前世の苦しみを忘れて、悪業を作り、

【自らの苦しみ限り無しなんど云云。】
自らの苦しみは、限りがないなどと嘆いているのです。

【或は自力の修行なり難行道なり等云云。】
あるいは、法華経は、自力の修行であり、難行道であるなどと言っているのです。

【此は恐らくは爾前法華の二途を知らずして】
これは、おそらくは、爾前経と法華経の相違を知らないで、

【自身癡闇〔ちあん〕に迷ふのみに非ず一切衆生の仏眼を閉づる人なり。】
自らが愚かな闇〔やみ〕に迷うだけでなく、一切衆生の仏眼を閉じる人なのです。

【兜率を勧めたる事は小乗経に多し。少しは大乗経にも勧めたり。】
兜率〔とそつ〕往生を勧めることは、小乗経に多く、大乗経では、少ないのです。

【西方〔さいほう〕を勧めたる事は大乗経に多し。此等は皆所開の文なり。】
西方浄土往生を勧めることは、大乗経に多く、これらは、皆、所開の文章なのです。

【法華経の意は、兜率に即して十方仏土中、】
法華経の真意は、兜率〔とそつ〕天に対して十方の仏国土の中で、

【西方に即して十方仏土中、】
西方浄土に対して十方の仏国土の中で、

【人天に即して十方仏土中云云。】
人界、天界に対して十方の仏国土の中で、と言っているのです。

【法華経は悪人に対しては十界の悪を説けば】
法華経が悪人に対して、十界の悪を説くのは、

【悪人五眼を具しなんどすれば悪人のきわまりを救ひ、】
悪人も仏眼などを具〔そな〕えるとする事によって、極悪の悪人を救うのであり、

【女人に即して十界を談ずれば十界皆女人なる事を談ず。】
女性に対し十界を説くのは、十界、皆、女性として成仏することを明かしたのです。

【何〔いか〕にも法華円実の菩提心を発〔お〕こさん人は】
絶対に法華経によって完全なる真実の菩提心を起こす人は、

【迷ひの九界へ業力に引かる事無きなり。】
迷いの九界へ、悪業の力によって引き入れられることは、ないのです。

【此の意を在じ給ひけるやらん。法然上人も一向念仏の行者ながら】
この本意を知っていたのでしょうか、法然上人も一向に念仏の行者ながら、

【選択〔せんちゃく〕と申す文には、雑行〔ぞうぎょう〕・難行道には】
選択〔せんちゃく〕集の文章には、一代聖教を聖道門と浄土門に分けていますが、

【法華・大日経等をば除かれたる所も有り、】
雑行、難行道である聖道門には、法華経と大日経を除かれている所もあります。

【委〔くわ〕しく見よ。又慧心〔えしん〕の】
詳しく選択〔せんちゃく〕集を見てください。また慧心〔えしん〕僧都の

【往生〔おうじょう〕要集にも】
往生〔おうじょう〕要集にも、修行の優劣を述べていますが、

【法華経を除きたり。たとい法然上人・慧心、】
その劣行には、法華経を除いています。たとえ、法然上人や慧心〔えしん〕僧都が

【法華経を雑行難行道として末代の機に叶はずと書し給ふとも、】
法華経を雑行、難行道として、末法の衆生の理解力に適さないと書いたとしても、

【日蓮は全くもちゆべからず。】
日蓮は、その説を全く信用するものでは、ありません。

【一代聖教のおきてに違〔たが〕ひ、】
法然上人、慧心〔えしん〕僧都の、その説は、一代聖教の原則に違反し、

【三世十方の仏陀の誠言〔じょうごん〕に違する故に。】
三世十方の仏陀の真実の言葉に相違するからなのです。

【いわ〔況〕うやそのぎ〔義〕無し。】
まして、そのような仏法上の教義は、ないからなのです。

【而るに後の人々の消息に、法華経を難行道、経はいみじけれども】
しかし、後の人々が話の中で、法華経は、難行道であり、経文は、優れているが、

【末代の機に叶はず、】
末法の衆生の理解力には、適さないと言っているだけなのです。

【謗ぜばこそ罪にても有らめ、】
謗〔そし〕っているならば、罪となるであろうが、

【浄土に至りて】
謗〔そし〕っては、おらず、浄土に往生してから、改めて、

【法華経をば覚るべしと云云。】
法華経を悟ればよいと言ってるだけだと、嘯〔うそぶ〕いているのです。

【日蓮の心はいかにも此の事はひが〔僻〕事と覚ゆるなり。】
日蓮は、心から、このことは、間違っていると思うのです。

【かう申すもひが事にや有るらん。】
このように日蓮が言うのは、間違いなのでしょうか。

【能〔よ〕く能く智人に習ふべし。】
よくよく、智慧のある人に習うべきです。

【正嘉二年二月十四日 日蓮撰】
正嘉2年2月14日 日蓮作】


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