御書研鑚の集い 御書研鑽資料
一代聖教大意 第二章 通教、別教、円教の大意
【次に通教(大乗の始めなり。)又戒定慧の三学あり。】
次に通教とは(大乗の始めである。)また戒定慧の三学があります。
【此の教のおきて大旨は六道を出でず。】
この教えの内容や概要では、いまだ六道を出ていません。
【少分利根なる菩薩、】
しかし、少数の優秀な菩薩は(体空の観によって中道の理を得て)
【六道より外を推〔お〕し出だすことあり。】
三界六道の外に進み出ることがあるのです。
【声聞・縁覚・菩薩共に一つ法門を】
この通教では、声聞、縁覚、菩薩は、ともに一つの法門(四諦、十二因縁、
【習ひ、】
六波羅蜜を別々でなく、共通して行じて得る体空の理)を習って、
【見思を三人共に断じ、而も声聞・縁覚は】
見思惑を三人ともに断じ、しかも、声聞、縁覚として
【灰身滅智の意〔おも〕ひに入る者もあり、】
灰身〔けしん〕滅智〔めっち〕に陥る者もいるし、また、この灰身滅智に入らず、
【入らざる者もあり。此の教に十地あり。】
別教、円教に移る優秀な者(菩薩)もいるのです。この通教に十地があります。
十地 〔じゅうじ〕 | 一 | 乾慧地 〔けんねじ〕 |
三賢 | 賢人 | |
二 | 性地 〔しょうじ〕 | 四善根 | |||
三 | 八人地 | 見道の位 | 聖人 | 見惑を断ず | |
四 | 見地 〔けんじ〕 | 初果聖人 | |||
五 | 薄地 〔はくじ〕 | 思惑を断ず | |||
六 | 離欲地 〔りよくじ〕 | ||||
七 | 已弁地 〔いべんじ〕 | 阿羅漢 | 見思を断じ尽くす | ||
八 | 辟支仏地 | 見思を尽くす | |||
九 | 菩薩地 | ||||
十 | 仏地 | 見思を断じ尽くす |
【此の通教の法門は別して一経に限らず。】
この通教の法門は、とくに一経に限って説かれているのではなく、
【方等経・般若経・心経・観経・阿弥陀経・双観経・】
方等経、般若経、心経、観経、阿弥陀経、双観経、
【金剛般若経等の経に散在せり。此の通教の修行の時節は、】
金剛般若などの経々に散在しているのです。この通教の修行の期間は、
【動踰〔どうゆ〕塵劫〔じんこう〕を経て仏に成ると習ふなり。】
動踰〔どうゆ〕塵劫〔じんこう〕という長い間を経て仏に成るとしています。
【又一類疾〔と〕く成ると云ふ辺もあり。】
また、非常に優秀な菩薩たちは、速やかに仏になるということもあります。
【已上、上の蔵通二教には六道の凡夫本より仏性ありとも談ぜず。】
以上、上述の蔵教、通教の二教には、六道の凡夫に元々、仏性があるとは、説かず、
【始めて修すれば声聞・縁覚・菩薩・仏と】
それ故に、初めて修行する者は、声聞、縁覚、菩薩、仏などの
【おもひおもひに成ると談ずる教なり。】
各々が、自分が願う境界になるという教えなのです。
【次に別教。又戒定慧の三学を談ず。】
次に別教も、また戒定慧の三学を説くのです。
【此の教は但菩薩許〔ばか〕りにて声聞縁覚を雑〔まじ〕へず。】
この教えは、ただ菩薩に対するものであって、声聞、縁覚は、除外しています。
【菩薩戒とは】
菩薩戒とは、摂律儀〔しょうりつぎ〕戒、摂善法〔しょうぜんぼう〕戒、
【三聚浄〔さんじゅじょう〕戒なり。】
饒益有情〔にょうやくうじょう〕戒の三聚浄戒のことです。
【五戒・八戒・十善戒・二百五十戒・五百戒。梵網〔ぼんもう〕の五十八の戒・】
五戒、八戒、十善戒、二百五十戒、五百戒、梵網〔ぼんもう〕経の五十八の戒、
【瓔珞〔ようらく〕の十無尽〔むじん〕戒・華厳の十戒・涅槃経の自行の五支戒・】
瓔珞〔ようらく〕経の十無尽〔むじん〕戒、華厳経の十戒、涅槃経の自行の五支戒、
【護他〔ごた〕の十戒・】
ならびに涅槃経第11巻、聖行品にある、他を護る十戒、
【大論の十戒。】
大智度論第87巻で説明された般若経第23巻に説かれた十戒、
【是〔これ〕らは皆菩薩の三聚浄戒の内摂律儀〔しょうりつぎ〕戒なり。】
これらは、皆、菩薩の三聚浄戒の中の摂律儀〔しょうりつぎ〕戒なのです。
【摂善法〔しょうぜんぽう〕戒とは八万四千の法門を摂す。】
摂善法〔しょうぜんぽう〕戒とは、八万四千の法門を収めています。
【饒益〔にょうやく〕有情〔うじょう〕戒とは四弘誓願なり。】
饒益〔にょうやく〕有情〔うじょう〕戒とは、四弘誓願です。
【定とは観〔かん〕・練〔れん〕・薫〔くん〕・】
定とは、観照〔かんしょう〕、鍛錬〔たんれん〕、薫熟〔くんじゅく〕、
【修〔しゅ〕の四種の禅定なり。】
修治〔しゅうじ〕の四種の禅定のことです。
【慧とは心生十界の法門なり。五十二位を立つ。】
慧とは、心生十界の法門です。別教では、五十二位を立てます。
【五十二位とは一には十信、二には十住、三には十行、四には十回向、】
五十二位とは、一に十信、二に十住、三に十行、四に十回向、
【五には十地、等覚(一位)、妙覚(一位)、已上五十二位。】
五に十地、等覚(一位)、妙覚(二位)のことで、以上五十二位となります。
五十二位 | 十信 | 退位 | 凡夫菩薩未だ見思を断ぜず |
十住 | 不退位 | 見思・塵沙を断ぜる菩薩 | |
十行 | |||
十回向 | |||
十地 | 無明を断ぜる菩薩 | ||
等覚 | |||
妙覚 | 無明を断尽せる仏 |
【此の教は大乗なり。戒定慧を明かす。】
この教えは、大乗です。別教においても戒定慧を明かします。
【戒とは前の蔵通二教に似ず尽未来際〔じんみらいさい〕の戒、】
この戒は、前の蔵教、通教の二教の戒とは違い、尽未来際の戒であり、
【金剛法戒なり。此の教の菩薩は三悪道をば恐れとせず。二乗道を三悪道と云ひて】
金剛法戒なのです。この教の菩薩は、三悪道を恐れとせず、二乗道を恐れるのです。
【地・餓・畜等の三悪道は仏の種子を断ぜず、】
なぜなら、地獄、餓鬼、畜生などの三悪道は、仏になる因を断じませんが、
【二乗の道は仏の種子を断つ。】
二乗の道は、仏の因を断じるからなのです。
【大荘厳論〔だいしょうごんろん〕に云はく】
大荘厳論〔だいしょうごんろん〕に
【「恒〔つね〕に地獄に処すと雖も大菩提を障〔さ〕へず。】
「常に地獄に住むといえども、大菩提を得る妨げにならず。
【若し自利の心を起こさば是〔これ〕大菩提の障りなり」と。】
もし、自利の心を起こすなら、これは、大菩提の妨げとなる」と説かれています。
【此の教の習ひは真の悪道とは三無為〔さんむい〕の火阬〔かきょう〕なり。】
この教の教えは、真の悪道とは、三無為の火阬〔かきょう〕を言うのです。
【真の悪人とは二乗を立てるなり。】
真の悪人とは、二乗をいうのです。
【されば悪をば造るとも、二乗の戒をば持たじと談ず。故に大般若経に云はく】
ですから、悪を作るとも二乗の戒を持〔たも〕たずと述べられ、それ故に大般若経に
【「若し菩薩設〔たと〕ひ殑伽沙劫〔ごうがしゃこう〕に】
「もし菩薩が、たとえ恒河沙劫〔ごうがしゃこう〕に
【妙なる五欲を受くとも、菩薩戒に於て猶犯〔ぼん〕と名づけず。】
妙なる五欲を受けるとも、菩薩戒においては、なお、犯〔ぼん〕と名づけない。
【若し一念二乗の心を起こさば即ち名づけて犯と為す」文。】
もし一念に二乗の心を起こすなら、すなわち名づけて犯と為す」と説かれています。
【此の文に妙なる五欲とは色声〔しきしょう〕香味触〔こうみそく〕の五欲なり。】
この文章にある妙なる五欲とは、色、声、香、味、触の五欲のことです。
【色欲とは青黛〔しょうたい〕・珂雪〔かせつ〕・白歯〔びゃくし〕等、】
色欲とは、青い黛〔まゆずみ〕、玉と雪、白い歯などで、
【声欲とは糸竹〔しちく〕管絃〔かんげん〕、】
声欲とは、琴や笛などの音楽、
【香欲とは沈檀〔じんだん〕芳薫〔ほうくん〕、】
香欲とは、沈香〔じんこう〕や栴檀〔せんだん〕の芳ばしい香り、
【味欲とは猪鹿〔ちょろく〕等の味、触欲とは軟膚〔ぷ〕等なり。】
味欲とは、猪や鹿などの肉の味、触欲とは、柔肌などに対する欲望のことです。
【此に殑伽沙劫に著すとも菩薩戒は破れず、】
ここに恒河沙劫という長い間、五欲に耽〔ふけ〕っても、菩薩戒は、破れませんが、
【一念の二乗の心を起こすに菩薩戒は破ると云へる文なり。】
一念でも二乗の心を起こすと菩薩戒は、破れてしまうという文章なのです。
【太賢〔たいけん〕の古迹〔こしゃく〕に云はく】
新羅〔しらぎ〕の僧、太賢〔たいけん〕の梵網〔ぼんもう〕経古迹〔こしゃく〕記に
【「貪に汚さると雖も大心尽きざるをもって】
「菩薩が貪〔むさぼ〕りに汚〔よご〕されるといっても、大菩提心が尽きない限り、
【無余〔むよ〕の犯無きが故に無犯と名づく」文。】
完全な犯〔ぼん〕とはならず、これを無犯と名づく」とあります。
【二乗戒に趣くを菩薩の破戒とは申すなり。華厳・般若・方等、】
二乗戒に向かうことを菩薩の破戒と言うのです。華厳経、般若経、方等経、
【総じて爾前の経にはあながちに二乗をきらうなり。】
総じて爾前の経々においては、強いて二乗を批判するのです。
【定慧は此〔これ〕を略す。】
定、慧については、これを省略します。
【梵網経に云はく「戒をば謂〔い〕ひて平地と為し、定をば謂ひて室宅と為す、】
梵網〔ぼんもう〕経に「戒を譬えて平地となし、定を譬えて家宅と為す。
【智慧は為〔こ〕れ灯明なり」文。此の菩薩戒は人・畜・】
智慧は、これ灯明なり」との文章があります。この菩薩戒は、人間、畜生、
【黄門・二形の四種を嫌はず但一種の菩薩戒を授く。】
子ができない男性、両性具有者を問わずに、ただ、一種の菩薩戒を授けるのです。
【此の教の意は五十二位を一々の位に】
この教の内容は、五十二位のひとつひとつの位〔くらい〕について
【多倶〔たく〕低劫〔ていこう〕を経て】
膨大な時間である多倶〔たく〕低劫〔ていこう〕を経て、
【衆生界を尽くして仏に成るべし。一人として一生に仏に成る物無し。】
衆生界を尽くして仏になるのです。一人として一生の内に仏になる者は、おらず、
【又一行を以て仏に成る事無し。一切行を積んで仏と成る。】
また、一生の修行で仏になることはなく、すべての修行を終えて仏となるのです。
【微塵〔みじん〕を積みて須弥山〔しゅみせん〕と成るが如し。】
これは、微塵〔みじん〕を積んで須弥山〔しゅみせん〕となすようなものです。
【華厳・方等・般若・梵網・】
華厳〔けごん〕、方等〔ほうどう〕、般若〔はんにゃ〕、梵網〔ぼんもう〕、
【瓔珞等の経に此の旨分明なり。】
瓔珞〔ようらく〕などの諸経に、この主旨は、明らかであるのです。
【但し二乗界の此の戒を受くる事を嫌ふ。】
ただし、二乗界が、この戒を受けることは、できません。
【妙楽の釈に云はく「遍〔あまね〕く法華已前の諸教を尋ぬるに、】
ですから、妙楽大師の解釈に「法華経以前の諸経を調べてみたが、
【実に二乗〔にじょう〕作仏〔さぶつ〕の文無し」文。】
実際に二乗〔にじょう〕作仏〔さぶつ〕の文は、無い」と記〔しる〕されています。
【次に円教。此の円教に二有り。】
次に円教について述べると、この円教にも二種類があります。
【一には爾前の円、二には法華涅槃の円なり。】
一には、爾前の円であり、二には、法華、涅槃の円です。
【爾前の円に五十二位又戒定慧あり。】
爾前の円に、部分的に円が説かれた五十二位、また、戒定慧があります。
【爾前の円とは華厳経の法界〔ほっかい〕唯心〔ゆいしん〕の法門なり。】
爾前の円とは、華厳経の法界〔ほっかい〕唯心〔ゆいしん〕の法門が、それであり、
【文に云はく「初発心の時便〔すなわ〕ち正覚〔しょうがく〕を成ず」と。】
華厳経に「初発心の時、直ちに正覚〔しょうがく〕を成ず」と説かれ、
【又云はく「円満修多羅〔しゅたら〕」文。】
また「円満修多羅〔しゅたら〕」とあり、円満経(修多羅)つまり、円経なのです。
【浄名〔じょうみょう〕経に云はく「無我無造にして受くる者は無けれども、】
浄名経に「我がなく、造がなく、受者がなくとも、
【善悪の業敗亡〔はいもう〕せず」文。】
善悪の業は、滅しない」と説かれ、
【般若経に云はく「初発心〔しょほっしん〕より即ち道場に坐す」文。】
般若経に「初発心から即座に道場に坐す」と説かれ、
【観経〔かんぎょう〕に云はく「韋提希〔いだいけ〕時に応じて】
観無量寿経に「阿闍世王の母、韋提希〔いだいけ〕は、時に応じて、
【即ち無生法忍〔むしょうほうにん〕を得」文。梵網〔ぼんもう〕経に云はく】
速やかに無生法忍を得る」と説かれ、梵網〔ぼんもう〕経に
【「衆生仏戒〔ぶっかい〕を受くれば位〔くらい〕大覚位に同じ。】
「衆生が仏戒を受けると位〔くらい〕は、妙覚に同じ、
【即ち諸仏の位に入り、真に是〔これ〕諸仏の子〔みこ〕なり」文。】
即座に諸仏の位に入り、真に、これ諸仏の子なり」と述べられているのは、
【此は皆爾前の円の証文なり。】
皆、これは、爾前の中の円の証拠の文章なのです。
【此の教の意は又五十二位を明かす。】
この教の内容は、また五十二位を明かしているのです。
【名は別教の五十二位の如し、但し義はかはれり。】
名前は、別教の五十二位と同じですが、ただ、意味は、異なっています。
【其の故は五十二位が互ひに具して浅深も無し勝劣も無し。】
その故、円教では、五十二位が互いに互具して、浅深もなく、優劣もないのです。
【凡夫も位を経ずとも】
凡夫もひとつひとつの位〔くらい〕を経〔へ〕ていなくても、
【仏にも成る、又往生するなり。】
仏にも成り、また、往生もするのです。
【煩悩も断ぜざれども仏に成るに障〔さわ〕り無く】
煩悩も断じることもなく、それでも仏に成る障害にはならず、
【一善一戒を以ても仏に成る。】
一善一戒によってでも、仏に成ることができるのです。多少は、一乗を三乗に分け、
【少々開会の法門を説く処もあり。】
三乗を一乗とする開会〔かいえ〕の法門が説かれているところもあります。
【所謂〔いわゆる〕浄名経には凡夫を会〔え〕す。】
いわゆる、浄名経には、凡夫である人界を開いて仏界を顕し、
【煩悩悪法も皆会す。】
煩悩や悪法も、皆、同様に開会〔かいえ〕するのです。
【但し二乗を会せず。般若経の中には二乗の所学の法門をば】
ただ、二乗は、開会〔かいえ〕しません。般若経の中には、二乗の学んだ法門は、
【開会〔かいえ〕して二乗の人と悪人をば開会せず。】
開会(法開会)しますが、二乗の人と悪人は、開会(人開会)しないのです。
【観経等の経に凡夫一亳〔ごう〕の煩悩をも断ぜずして】
観無量寿経などの経々に、凡夫が少しの煩悩も断じないで
【往生すと説くは皆爾前の円教の意なり。】
往生すると説くのは、皆、爾前の円教の意義です。
【法華経の円教は後に至って書くべし(已上四教)。】
法華経の円経については、この後に書くことにします。(以上、化法の四教)