御書研鑚の集い 御書研鑽資料
十法界明因果抄 第一章 地獄の因縁
【十法界明因果抄 文応元年四月二一日 三九歳】
十法界明因果抄 文応1年4月21日 39歳御作
【沙門 日蓮 撰】
僧である日蓮が著作しました。
【八十華厳経六十九に云はく】
中国、唐時代に翻訳された新訳の大方広仏華厳経八十巻の第69巻に
【「普賢道〔ふげんどう〕に入〔い〕ることを得て、十法界を了知す」と。】
「普賢道〔ふげんどう〕に入り、十法界を理解する」と説かれています。
【法華経第六に云はく】
法華経、第6巻の法師功徳品には、
【「地獄声、畜生声、餓鬼声、阿修羅声、比丘声・】
「地獄の声、畜生の声、餓鬼の声、阿修羅の声、僧侶の声、
【比丘尼声(人道)、天声(天道)、声聞声、】
尼僧の声(僧侶と尼僧は、人界)、天の声(天界)、声聞〔しょうもん〕の声、
【辟支仏〔びゃくしぶつ〕声、菩薩声、仏声」】
辟支仏〔びゃくしぶつ〕の声、菩薩の声、仏の声」と説かれています。
【(已上十法界の名目なり。)】
これらは、十法界の名称です。
【第一に地獄界とは、観仏〔かんぶつ〕三昧経〔ざんまいきょう〕に云はく】
この中の最初の地獄界とは、観仏〔かんぶつ〕三昧経〔ざんまいきょう〕には、
【「五逆罪を造り、因果を撥無〔はつむ〕し、大乗を誹謗〔ひぼう〕し、】
「五逆罪を犯し、因果の道理を無視して、大乗教を誹謗〔ひぼう〕し、
【四重禁〔じゅうきん〕を犯し、】
邪淫、偸盜、殺生、妄語の四重禁〔じゅうきん〕を犯し、
【虚しく信施〔しんせ〕を食する者此の中に堕〔だ〕す」(阿鼻地獄なり。)】
人の布施を無にする者は、この中(阿鼻地獄)に堕ちる」と説かれています。
【正法〔しょうぼう〕念経〔ねんきょう〕に云はく】
正法〔しょうぼう〕念経〔ねんきょう〕には、
【「殺〔せつ〕・盗〔とう〕・淫欲〔いんよく〕・飲酒〔おんじゅ〕・】
「殺盗、淫欲〔いんよく〕、飲酒〔おんじゅ〕、
【妄語〔もうご〕の者此の中に堕す」(大叫喚地獄なり。)】
妄語〔もうご〕の者は、この中(大叫喚地獄)に堕ちる」と説かれています。
【正法念経に云はく「昔酒を以て人に与へて酔はしめ、已〔お〕はって】
また正法念経には「昔、酒を人にすすめて、酔わせてから、
【調戯〔ちょうぎ〕して之を翫〔もてあそ〕び、彼をして】
からかいなぶって、玩〔もてあそ〕び、その人を
【羞恥〔しゅうち〕せしむるの者此の中に堕す」(叫喚地獄なり。)】
辱〔はずかし〕めた者は、この中(叫喚地獄)に堕ちる」と説かれています。
【正法念経に云はく「殺生・偸盗〔ちゅうとう〕・】
また正法念経には「殺生、偸盗〔ちゅうとう〕、
【邪淫の者此の中に堕す」(衆合地獄なり。)】
邪淫の者は、この中(衆合地獄)に堕ちる」と説かれています。
【涅槃経に云はく「殺に三種有り、】
涅槃経には「殺生に三種がある。
【謂〔い〕はく下中上なり○下とは蟻子〔ぎし〕乃至一切の畜生なり、】
いわゆる上、中、下である。下とは、蟻〔あり〕の子などのすべての畜生である。
【乃至下殺の因縁を以て地獄に堕し、】
下殺の因縁をもって地獄に堕ち、
【乃至具〔つぶさ〕に下の苦を受く」文。】
具〔つぶさ〕に下の苦を受ける」と説かれています。
【問うて云はく、十悪五逆等を造りて】
それでは、十悪や五逆罪などを犯して
【地獄に堕するは世間の道俗皆之を知れり。】
地獄へ堕ちることは、世間の僧侶や世間の人々も、皆、知っていますが、
【謗法に依って地獄に堕するは】
謗法によって地獄へ堕ちるということについては、
【未だ其の相貌〔そうみょう〕を知らず如何〔いかん〕。】
いまだに、その内容を知らないと思いますが、どうでしょうか。
【答へて云はく、堅慧〔けんね〕菩薩の造、勒那摩提〔ろくなまだい〕訳の】
それは、中インドの堅慧〔けんね〕菩薩作で、勒那摩提〔ろくなまだい〕が訳した
【究竟〔くきょう〕一乗〔いちじょう〕宝性論〔ほうしょうろん〕に云はく】
究竟〔くきょう〕一乗〔いちじょう〕宝性論〔ほうしょうろん〕には、
【「楽〔ねが〕って小法を行じて法及び法師を謗じ○】
「自ら、小乗の法門を修行し、大乗の法門や僧侶を謗〔そし〕って、
【如来の教を識らずして、説くこと修多羅に乖〔そむ〕きて】
如来の教えを知らずに、仏法を説くことは、経文に背〔そむ〕くことであり、
【是〔これ〕真実義と言ふ」文。】
これが真実の意義であるという嘘を言う」と書かれています。
【此の文の如くんば、小乗を信じて真実義と云ひ、】
この文章のとおりであるならば、小乗教を信じて、それを真実の本義であると言い、
【大乗を知らざるは是謗法なり。】
大乗教を理解しないことは、謗法なのです。
【天親菩薩の説、真諦〔しんだい〕三蔵訳の仏性論に云はく】
天親〔てんじん〕菩薩が説き、西インドの真諦〔しんだい〕三蔵が訳した仏性論には
【「若し大乗に憎背するは、此は是一闡提〔いっせんだい〕の因なり、】
「大乗教を憎み背くは、これ一闡提〔いっせんだい〕の因である。
【衆生をして此の法を捨てしむるを為〔もっ〕ての故に」文。】
衆生に、この法門を捨てさせてしまう故に」と書かれています。
【此の文の如くんば、大小流布の世に】
この文章のとおりであるならば、大乗教と小乗教が流布している世の中で、
【一向に小乗を弘め、自身も大乗に背き】
自分自身も大乗教に背き、ただ小乗教を弘め、
【人に於ても大乗を捨てしむる、是を謗法と云ふなり。】
人にも大乗教を捨てさせることを、謗法というのです。
【天台大師の梵網経疏〔ぼんもうきょうしょ〕に云はく】
天台大師の梵網経〔ぼんもうきょう〕の疏〔しょ〕には
【「謗は是〔これ〕乖背〔けはい〕の名なり。】
「謗〔ぼう〕は、これ違背の名なり。
【絓〔げ〕を是〔これ〕解とせば理に称〔かな〕はず、】
絓〔げ〕を解〔げ〕と読めば、辻褄〔つじつま〕が合わないように、
【言〔ことば〕実に当たらず、異解して説く者を皆名づけて】
言葉が現実と一致せず、仏と異なった解釈をする者を、すべて名付けて、
【謗と為〔な〕すなり。己が宗に乖〔そむ〕くが故に罪を得〔う〕」文。】
謗となす。我が天台宗の正義に背く故に罪を得る」と書かれています。
【法華経の譬喩品に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗〔きぼう〕せば、】
法華経の譬喩品には「もし人が法華経を信じず、誹謗するならば、
【則ち一切世間の仏種を断ず、】
一切世間の仏種を断つことになり、
【乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」文。】
(中略)その人は、命終して阿鼻地獄に入る」と説かれています。
【此の文の意は、小乗の三賢已前、】
この文章の意味は、小乗教の三賢の位〔くらい〕以前の者、
【大乗の十信已前、末代の凡夫十悪・五逆・】
大乗教の十信の位〔くらい〕以前の者、末代の凡夫の十悪や五逆罪を犯した者、
【不孝父母・女人等を嫌はず。】
父母に対して不孝の者、女性などを嫌うことなく、
【此等は法華経の名字を聞いて、或は題名を唱へ、】
これらの者が法華経の名字を聞いて、あるいは、題名〔だいめい〕を唱え、
【一字・一句・四句・一品・一巻・八巻等を受持〔じゅじ〕読誦〔どくじゅ〕し、】
一字一句、四句一品、一巻八巻などを受持し、読誦し
【乃至亦上の如く行ぜん人を、随喜し讃歎する人は、】
また、上のように修行する人を見て喜び、讃嘆〔さんたん〕する人は、
【法華経より外、一代の聖教〔しょうぎょう〕を深く習ひ義理に達し、】
法華経以外の一代の聖教を深く習い、その義理に通達し、
【堅く大小乗の戒を持てる大菩薩の如き者より勝れて、】
大乗、小乗の戒律を固く持〔たも〕つ大菩薩のような者よりも優れ、
【往生成仏を遂ぐべしと説くを信ぜずして還って法華経は】
往生成仏を遂げると説かれていることを信じないで、かえって法華経は、
【地住已上の菩薩の為、】
菩薩五十二位の中の十地、十住の位〔くらい〕以上の菩薩の為や、
【或は上根上智の凡夫の為にして、愚人・悪人・女人・】
優れた理解力の者、優れた知恵の者の為の経文であり、愚人、悪人、女性、
【末代の凡夫等の為には非〔あら〕ずと言はん者は、】
末法の普通の民衆の為の経文ではないという者は、
【即ち一切衆生の成仏の種を断じて阿鼻獄に入るべしと説ける文なり。】
一切衆生の成仏の種を断って、阿鼻地獄に入ると説かれた文章なのです。
【涅槃経に云はく「仏の正法に於て永く護惜〔ごしゃく〕建立〔こんりゅう〕の】
涅槃経には、「仏の正法を永く守り惜しみ建立する
【心無し」文。此の文の意は此の大涅槃経の大法、】
心がない」と説かれています。この文章の意味は、この大涅槃経で説かれた大法が、
【世間に滅尽〔めつじん〕せんを惜しまざる者は、即ち是誹謗の者なり。】
世間から消滅してしまうのを惜しまない者は、誹謗の者であり、
【天台大師法華経の怨敵を定めて云はく】
この者を天台大師は、法華経の怨敵〔おんてき〕を定めて
【「聞くことを喜ばざる者を怨〔あだ〕と為す」文。】
「法華経を聞くことを喜ばない者を怨〔おん〕と為す」と述べられているのです。
【謗法は多種なり。大小流布の国に生まれて、】
謗法は、多くの種類があり、大乗教と小乗教が流布している国に生まれて、
【一向に小乗の法を学して身を治め大乗に遷〔うつ〕らざるは是謗法なり。】
ひたすら小乗の法門ばかりを学び、身を治め、大乗を信じないのは、謗法なのです。
【亦華厳・方等・般若等の】
また、華厳経、方等〔ほうどう〕経、般若〔はんにゃ〕経などの
【諸大乗経を習へる人も、諸経と法華経と等同の思ひを作し、】
諸大乗経を修学する人も、諸経と法華経とは、同じようなものと思い、
【人をして等同の義を学ばしめ、法華経に遷〔うつ〕らざるは是謗法なり。】
人にも同等であると学ばせ、法華経を信じないのは、同じく謗法なのです。
【亦偶〔たまたま〕円機有る人の法華経を学ぶをも、】
また、たまたま、円教を受け入れる理解力の者が法華経を学ぶのを、
【我が法に付け、世利を貪〔むさぼ〕るが為に、】
世法の利益を得る為に自分の信じる権経に引き寄せて、
【汝が機は法華経に当たらざる由を称して、】
あなたの理解力は、法華経に適していないと言って、
【此の経を捨て権経に遷らしむるは是大謗法なり。】
法華経を捨てさせ、権経を信じさせるのは、大謗法なのです。
【此くの如き等は皆地獄の業なり。】
これらのことは、すべて地獄に堕ちる業因となるのです。
【人間に生ずること過去の五戒は強く、】
人間に生まれることは、過去に持〔たも〕った五戒の力が強く、
【三悪道の業因は弱きが故に人間に生ずるなり。亦当世の人も】
三悪道に堕ちる業因が弱いから人間に生まれるのです。また、今の世の中の人も、
【五逆を作る者は少なく、】
殺父、殺母、殺阿羅漢、出仏身血、破和合僧の五逆罪を犯す者は、少なく、
【十悪は】
殺生、偸盗、邪淫、妄語、綺語〔きご〕、悪口〔あっく〕、両舌、貪欲、
【盛んに之を犯す。】
瞋恚〔しんに〕、愚痴という身口意の十悪は、盛んに、これを犯しています。
【亦偶後世を願ふ人の十悪を犯さずして善人の如くなるも、】
たまたま、後世を願う人が十悪を犯さないで、見かけは、善人のようではあっても、
【自然に愚癡〔ぐち〕の失〔とが〕に依って身口は善く意は悪しき師を信ず。】
自然と愚癡が出て、身と口は、善いが、意は、悪い師を信じてしまっているのです。
【但我のみ此の邪法を信ずるに非ず。】
ただ自分が、この邪法を信じているだけではなく、
【国を知行する人、人民を聳〔すす〕めて我が邪法に同ぜしめ、】
国を治める人が、民衆を扇動して、邪法に染めて同意させ、
【妻子眷属〔けんぞく〕所従〔しょじゅう〕の人を以て】
また、その妻子や親族、仕事で関係する人にも勧めて従わせ、
【亦聳め従へ我が行を行ぜしむ。】
自分と同じ邪法を修行させようとして、
【故に正法を行ぜしむる人に於て結縁を作〔な〕さず。】
正法を修行させようとする人とは、関係を断ち、
【亦民所従等に於ても随喜の心を至さしめず。】
また、家族や関係者などが、正師に会うことを喜ばないのです。
【故に自他共に謗法の者と成りて、】
この為、自他ともに謗法の者となって、
【修善止悪の如き人も】
善を修し、悪を止めているようにみえる人も、
【自然に阿鼻地獄の業を招くこと、】
自然に阿鼻地獄に堕ちる業因を招いていることは、
【末法に於て多分之有るか。】
末法においては、数多くあることなのです。
【阿難〔あなん〕尊者は浄飯〔じょうぼん〕王の甥〔おい〕、】
阿難〔あなん〕尊者は、浄飯〔じょうぼん〕王の甥〔おい〕であり、
【斛飯〔こくぼん〕王の太子、提婆達多の舎弟、釈迦如来の従子〔いとこ〕なり。】
斛飯〔こくぼん〕王の太子、提婆達多の弟、釈迦如来の従弟〔いとこ〕なのです。
【如来に仕へ奉りて二十年、】
如来に仕えて二十年、摩訶般若波羅蜜経に説かれた七覚支〔しちかくし〕を得る
【覚意〔かくい〕三昧を得て一代聖教を覚〔さと〕れり。】
覚意〔かくい〕三味を得て、一代聖教を覚ったのです。
【仏入滅の後、阿闍世〔あじゃせ〕王、阿難に帰依し奉る。】
仏の入滅の後、阿闍世〔あじゃせ〕王は、この阿難〔あなん〕に帰依したのです。
【仏滅後四十年の比〔ころ〕、】
仏の滅後、四十年の頃、
【阿難尊者一の竹林の中に至るに】
阿難尊者が、僧たちが修行の場にしている竹林のひとつに訪れたとき、
【一〔ひとり〕の比丘有り。】
その中に一人の僧侶がいました。
【一の法句の偈を誦して云はく、】
そして一つの教法の偈〔げ〕を唱えていました。
【若し人生〔しょう〕じて百歳なりとも】
それは「もし、人が生まれて百歳になっても、
【水の潦涸〔ろうかく〕を見ずんば生じて一日にして】
水が溜まったり、枯れたりするのを見なければ、生まれて一日で、
【之を睹見〔とけん〕することを得るに如〔し〕かず(已上)。】
これを見ることが出来ることには、及ばない」と云うものでした。
【阿難此の偈を聞き比丘に語りて云はく、】
阿難は、この偈〔げ〕を聞いて、
【此仏説に非〔あら〕ず、汝修行すべからず。】
「これは、仏説ではないので、あなたは、唱えるべきではない」と言ったのです。
【爾の時に比丘阿難に問うて云はく、】
その時に、この偈〔げ〕を唱えていた僧侶は、阿難に
【仏説は如何。】
「それでは、仏は、どのように説かれたと言うのか」と質問しました。
【阿難答へて云はく、若し人あ生じて百歳なりとも】
阿難は、その疑問に答えて「もし人が生まれて百歳になっても、
【生滅の法を解〔げ〕せずんば、生じて一日にして】
生滅の法を理解しなければ、生まれて一日で、
【之を解了〔げりょう〕することを得んには如かず(已上)。此の文仏説なり。】
これを理解できたことには、及ばない」と唱え、「これが仏説であり、
【汝が唱ふる所の偈は此の文を謬〔あやま〕りたるなり。】
あなたが唱える偈は、この文章を間違えて憶〔おぼ〕えたのである」と教えました。
【爾の時に比丘、此の偈を得て本師の比丘に語る。】
そのときに、この僧侶は、これを教えた指導僧に、この事を話したのです。
【本師の云はく、我汝に教ふる所の偈は真の仏説なり。】
この指導僧は「自分が教えた偈〔げ〕が真の仏説である」と告げ、さらに
【阿難が唱ふる所の偈は仏説に非ず。】
疑問を持った僧侶に対して「この阿難が唱えた偈〔げ〕は、仏説ではない。
【阿難年〔よわい〕老衰して言錯謬〔あやまり〕多し、】
この阿難〔あなん〕は、歳をとり、老衰で言葉に誤りが多い。
【信ずべからずと。】
それを、信じてはならない」と言って阿難を非難したのです。
【此の比丘亦阿難の偈を捨てゝ】
そして、この僧侶は、また、阿難〔あなん〕に教えられた偈〔げ〕を捨てて、
【本の謬りたる偈を唱ふ。】
指導僧の教えた通り、間違った偈〔げ〕を唱え続けたのです。
【阿難又竹林に入りて之を聞くに、】
その後に、阿難〔あなん〕が、ふたたび、この竹林に入って、これを聞いてみると、
【我が教ふる所の偈に非ず。】
それは、やはり、自分が教えた偈〔げ〕では、ありませんでした。
【重ねて之を語るに比丘信用せざりき等云云。】
重ねて、それを諭しましたが、僧侶は、これを信用しませんでした。
【仏の滅後四十年にさへ既に謬り出来せり。】
このように仏滅後四十年でさえ、すでに誤りが出てきたのです。
【何〔いか〕に況〔いわ〕んや仏の滅後既に二千余年を過ぎたり。】
まして今は、仏の滅後、すでに二千余年が過ぎています。
【仏法天竺より唐土に至り、唐土より日本に至る。】
仏法は、インドから中国に渡り、はるかに中国から日本に渡って来たのです。
【論師・三蔵・人師等伝来せり、】
論師や三蔵、人師などが伝えて来たのですから、
【定めて謬り無き法は万が一なるか。】
万が一にも、誤りがない法があるでしょうか。
【何に況んや当世の学者偏執〔へんしゅう〕を先と為して】
まして当世の学者は、考えが偏〔かたよ〕っており、それに執着して、
【我慢を挿〔さしはさ〕み、】
慢心して、自説を差し挟〔はさ〕み、
【火を水と諍〔あらそ〕ひ之を糾〔ただ〕さず。】
火を水と言い争って、これを糾〔ただ〕そうともしないのです。
【偶〔たまたま〕仏の教への如く教へを宣ぶる学者をも之を信用せず。】
たまたま、仏の教えのとおりに教法を説く学者がいても、これを信用しないのです。
【故に謗法ならざる者は万が一なるか。】
それゆえに謗法とならない者は、万が一にもいないのです。