日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


法華本門宗血脈相承事(本因妙抄) 3.日蓮は下種の法主


(この頁から段落があります)

【問うて曰く、前代にも此の法門を知れる人之有りや。】
それでは、質問しますが、過去にもこの法門を知る人がいますか。

【答へて曰く、之有り。求めて云はく、誰人ぞや。】
それに答えるとすると、おります。それでは、それは、誰でしょうか。

【示して云はく、釈尊是なり。】
その人とは、釈迦牟尼仏です。

【尋ねて云はく、仏を除き奉りて余にも之を知れる人師・論師有りや。】
それでは、釈迦牟尼仏以外に、このことを知る人師、論師がいるでしょうか。

【答へて曰く、天台の云はく「天親・竜樹内鑑〔ないがん〕冷然〔れいねん〕・】
おります。天台大師は「天親・竜樹、内鑑〔ないがん〕冷然〔れいねん〕・

【外適〔げちゃく〕時宜〔じぎ〕」と。】
外適〔げちゃく〕時宜〔じぎ〕」と述べています。

【今日の南無妙法蓮華経は南岳・天台・妙楽・伝教の内鑑冷然・外適時宜なり。】
現在の南無妙法蓮華経は、南岳・天台・妙楽・伝教の内鑑冷然・外適時宜なのです。

【内鑑冷然・外適時宜の修行の日は本迹一致なり。】
内鑑冷然・外適時宜の修行をする日は、本迹一致なのです。

【有智無智を嫌はず「円頓とは初めより実相に縁す。】
有智、無智、関係なく、妙楽の止観輔行伝弘決に「円頓とは初めより実相に縁す。

【理は造作に非ず故に天真と曰ひ、証智円明なるが故に独朗と云ふ」と云ひて、】
理は造作に非ず故に天真と曰ひ、証智円明なるが故に独朗と云ふ」とあるように、

【理位観行に趣かしめて利益を為し、末法の時を待つ者なり。】
理位・観行に向かわせて利益を為し、末法の時を待つ像法時代であるのです。

【故に天台の云はく「但当時大利益を獲るのみに非ず、】
それ故に天台は「但〔ただ〕当時、大利益を獲〔え〕るのみに非〔あら〕ず、

【後五百歳遠く妙道に霑〔うるお〕はん」云云。】
後五百歳〔ごのごひゃくさい〕遠く妙道に霑〔うるお〕わん」と述べているのです。

【天台・章安・妙楽・伝教等の大聖は、】
天台大師、章安大師、妙楽大師、伝教大師などの大聖哲〔せいてつ〕は、

【内証は本迹勝劣、外用は本迹一致なり。】
内証〔ないしょう〕は、本迹勝劣、外用〔げゆう〕は、本迹一致なのです。

【其の故は教相も観心も相似・観行解了の人師、】
その故は、教相も観心も六即の中の相似即〔そうじそく〕・観行即の解了の人師であり、

【時機は像法なり。付嘱も亦〔また〕】
しかも時代は、末法ではなく像法時代なのです。また付嘱についても

【妄りに余人に授く、】
妄〔みだ〕りに余人に授け、

【御身も亦迹化の衆たる】
しかも自身もまた、本化の菩薩ではなく、迹化の菩薩なのです。

【観音・妙音・文殊・薬王等の化身なり。】
つまり観音菩薩、妙音菩薩、文殊菩薩、薬王菩薩の化身なのです。

【今末法は本化の薩埵〔さった〕たる】
今、末法においては、本化の菩提薩埵〔ぼだい・さった〕(菩薩)である

【上行等の出世の境、】
上行菩薩などの出世の環境である、

【本門流宣の時剋なり。】
本門が広宣流布〔こうせん・るふ〕する時代なのです。

【何ぞ理観を用ひて事行を修せざらんや。】
なぜ理観を用いて、事行を修しないことがあるでしょうか。

【予が所存は内証外用共に本迹勝劣なり。】
日蓮の思いは、内証においても外用においても、ともに本迹勝劣なのです。

【若し本迹一致と修行せば、本門の付嘱を失ふ物怪なり。】
もし、本迹一致を修行するならば、本門の付嘱を失う化け物になってしまうのです。

【本迹の不同は処々に之を書す。】
本迹の不同については、七面の口決のいたるところに書き残されています。

【然りと雖も宿習拙〔つたな〕き者は本迹に迷倒せんか。】
しかし、そうは言っても、宿習が拙〔つたな〕い者は、本迹に迷うことでしょう。

【若し本迹勝劣を知らずんば、未来の悪道最も不便なり。】
もし、本迹勝劣を知らないならば、未来の悪道へとつながる道となります。

【宿業を恥ぢず還って予を恨むべきか。】
それでも、自〔みずか〕らの過去の宿業を恥じず、返って日蓮を恨むのでしょうか。

【我が弟子等の中にも天台・伝教の解了の理観を出でず、】
我が弟子の中にも、天台・伝教の説き明かした理観を出ずに、

【本迹に就きて一往勝劣・再往一致の謬義〔みょうぎ〕を存じて、】
本迹一致について、一往〔いちおう〕は、勝劣、再往は一致の間違った義を立てて、

【自他を迷惑せしむるの条宿習の然らしむる所か。】
自他を惑〔まど〕わせるのは、やはり、それも過去の宿業の結果なのでしょうか。

【閣浮提第一の秘事たりと雖も、万年救護の為に之を記し留むる者なり。】
閣浮提第一の秘事なのですが万年救護の為に、これを記〔しる〕し留めるものです。

【我が未来に於て予が仏法を破らんが為に、一切衆生の元品〔がんぽん〕の大石、】
未来において、日蓮の仏法を破る為に、一切衆生の元品〔がんぽん〕の大石が、

【第六天の魔王、師子身中の蝗虫〔いなむし〕と成り、名を日蓮に仮りて、】
第六天の魔王と現れて、師子〔しし〕身中の寄生虫となり、名前を日蓮に仮〔か〕りて、

【本迹一致と云ふ邪義を申し出して、】
本迹一致という邪義を言い出して、

【多くの衆生を当〔まさ〕に悪道に引きいるべし。】
多くの衆生を悪道に引き入れようとするのです。

【若し道心有らん者は彼々の邪師を捨てゝ、宜しく予が正義に随ふべし。】
もし道心が有る者は、これらの邪師を捨てて、日蓮の正しい主張に従いなさい。

【正義とは本迹勝劣の深秘、具騰〔ぐとう〕本種〔ほんしゅ〕の実理なり。】
正しい主張とは、本迹勝劣の深秘、具騰本種〔ぐとう・ほんしゅ〕の実理なのです。

【日蓮一期の大事なれば、弟子等にも朝な夕なに教へ、】
日蓮一生の大事であれば、弟子などにも、朝夕にこのことを教え、

【亦一期の所造等悉く此の義なり。】
また、日蓮の一生の所作〔しょさ〕、振舞いなどは、すべて、この義なのです。

【然りと雖も迹執を出でず、或は軽んじ(見惑)】
そうは言っても、そうとは、思わず、あるいは、軽んじ(見惑)、

【或は蔑〔さげす〕み(思惑)或は癡(塵沙惑)】
あるいは、蔑〔さげす〕み(思惑)、あるいは、愚か故(塵沙惑)に、

【或は迷ふ(無明惑)が故に日蓮が立義を用ひざるか。】
あるいは、迷う故(無明惑)に、日蓮の立てた義を用〔もち〕いないのでしょう。

【予が教相観心は理即名字・愚悪愚見の為なり。】
日蓮の教相・観心は、理即・名字・愚悪・愚見の為なのです。

【日蓮は名字即の位、弟子檀那は理即の位なり。】
日蓮は、名字即の位であり、その弟子・檀那〔だんな〕は、理即の位なのです。

【上行所伝結要付嘱の行儀は、教観判乗皆名字即、五味の主の修行なり。】
上行所伝・結要付嘱の行儀は、教観判乗皆名字即、五味の主の修行なのです。

【故に教相の次第は要用に依るべし。】
それ故に教相の優劣は、重要度の順番によって決すべきなのです。

【唯大綱を存する時は余は網目を事とせず。】
ただ、大綱〔たいこう〕が存在する時は、網目〔もうもく〕を事としないのです。

【彼は網目此は大綱、】
天台・伝教は、網目〔もうもく〕であり、日蓮は、大綱〔たいこう〕であり、

【彼は網目の教相の主、此は大綱首題の主。】
天台・伝教は、網目の教相の教主であり、日蓮は、大綱・首題の教主なのです。

【恐らくは日蓮の行儀には天台・伝教も及ばず。】
恐らくは、日蓮の所作や立ち振る舞いには、天台・伝教も及ばないのです。

【何に況んや他師の行儀に於てをや。】
まして他の師の所作や立ち振る舞いにおいては、さらに及ばないのです。

【唯在世八箇年の儀式を移して、】
ただ、釈迦牟尼仏が在世の八年間に説かれた法華経の中の儀式をそのまま、

【滅後末法の行儀と為す。】
滅後・末法の所作や立ち振る舞いとするのです。

【然りと雖も仏は熟脱の教主、】
しかし釈迦牟尼仏は、熟脱の教主であり、

【某は下種の法主なり。】
日蓮は、下種の法主〔ほっす〕なのです。

【彼の一品二半は舎利弗等の為には観心たり、】
釈迦牟尼仏の一品二半〔いっぽん・にはん〕は、舎利弗などの為には、観心〔かんじん〕であり、

【我等凡夫の為には教相たり。】
私達、末法の凡夫〔ぼんぷ〕の為には、教相〔きょうそう〕でしかないのです。

【理即但妄の凡夫の為の観心は、】
正法を信じず、理の上でのみ仏性を内在する、理即の衆生の為の観心とは、

【余行に渡らざる】
本果妙の釈迦牟尼仏が説き明かした四教八教の修行を完全に否定して、

【南無妙法蓮華経是なり。】
本因妙の教主である日蓮が唱えるところの南無妙法蓮華経なのです。

【是くの如き深義を知らざる僻人〔びゃくにん〕出来して、】
このような深義を知らない、心のひねくれた者が出て来て、

【予が立義は教相辺外〔はずれ〕と思ふべき者なり。】
日蓮の立義を、釈迦牟尼仏の教相から外れていると思うのです。

【此等は皆宿業の拙〔つたな〕き修因感果の至極せるなるべし。】
これらは、すべて過去の宿業が拙〔つたな〕い者の修因感果の結果なのです。

【彼の天台大師には三千人の弟子有りて】
彼の天台大師には、三千人の弟子がいましたが、天台の教えを理解できず、

【章安一人朗然たり。】
その中で章安〔しょうあん〕大師一人だけが、その後を継ぐことができたのです。

【伝教大師は三千人の衆徒を置く、義真已後は其れ無きが如し。】
伝教大師は、三千人の弟子がいましたが、義真以後は、継ぐ者がいなくなりました。

【今以て是くの如し。数輩の弟子有るべしと雖も、】
今もこれと同じなのです。多くの仏の弟子がいると言っても、

【疑心無く正義を伝ふる者は希にして】
疑う心が無く、正義を伝える者は、稀〔まれ〕であり、

【一二の小石の如し。】
大河の砂に比べると、一つか二つの小石のようなものなのです。

【秘すべきの法門なり。】
このことは、秘すべきの法門なのです。



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