御書研鑚の集い 御書研鑽資料
法華真言勝劣事(下)
【問うて云はく、義釈〔ぎしゃく〕の意は法華経・大日経共に二乗作仏・】
それでは、大日経義釈〔ぎしゃく〕には、法華経と大日経は、ともに二乗作仏、
【久遠実成を明かすや如何。】
久遠実成を明かしているとしているが、どうでしょうか。
【答へて云はく、共に之を明かす。義釈に云はく】
それは、ともに明かしていると思います。大日経義釈では
【「此の経の心の実相は彼の経の諸法実相なり」云云。】
「この大日経で説く心の実相は、あの法華経で説く諸法実相である」と述べて、
【又云はく「本初〔ほんじょ〕は是寿量の義なり」等云云。】
また「大日経で説く本初と言うのは、法華経の寿量の意味である」と言っています。
【問うて云はく、華厳宗の義に云はく、華厳経には二乗作仏・久遠実成之を】
それでは、華厳宗の教義では「華厳経には、二乗作仏・久遠実成を
【明かす。天台宗は之を許さず。】
明かしている」と言っていますが、天台宗では、これを許していません。
【宗論は且〔しばら〕く之を置く。人師を捨てゝ本経を】
宗派同士の論議は、しばらく置いて、人師の解釈を捨てて、本となる経文について
【存せば華厳経に於ては二乗作仏・久遠実成の相似〔そうじ〕の文之有りと雖も】
見るならば、華厳経には、二乗作仏・久遠実成に似た文章は、あっても
【実には之無し。之を以て之を思ふに、義釈には大日経に於て二乗作仏・】
実義はないのです。この事から、考えてみると大日経義釈には、大日経に二乗作仏、
【久遠実成を存すと雖も実には之無きか如何。】
久遠実成が説かれていると言っても、実義は、ないと思いますが、どうでしょうか。
【答へて云はく、華厳経の如く相似の文之有りと雖も実義〔じつぎ〕之無きか。】
それは、華厳経の場合と同様に似た文章は、ありますが、実義は、ないのです。
【私に云はく、二乗作仏無くんば】
自分の考えでは、二乗作仏がなければ、大乗の菩薩が初発心の時に必ず立てる
【四弘誓願〔しぐ・せいがん〕満足すべからず。】
四つの誓いである四弘誓願〔しぐ・せいがん〕を成就する事ができず、
【四弘誓願満ぜずんば又別願も満ずべからず。】
四弘誓願が成就しなければ、また、別の願も成就する事ができないのです。
【総別の二願満ぜずんば衆生の成仏も有り難きか。】
総別の二願を成就できないならば、衆生の成仏も有り得ないのではないでしょうか。
【能〔よ〕く能く意得べし云云。】
このことは、よくよく考えるべきであると思います。
【問うて云はく、大日経の疏〔しょ〕に云はく「大日如来は無始無終なり」と。】
それでは、大日経疏〔しょ〕には「大日如来は、無始無終であり、
【遥〔はる〕かに五百塵点〔じんでん〕に勝れたり如何。】
五百塵点劫成道よりも、はるかに優れている」とありますが、どうでしょうか。
【答ふ、毘盧遮那〔びるしゃな〕の無始無終なる事、華厳・】
それは、毘盧遮那仏〔びるしゃなぶつ〕が無始無終である事は、華厳〔けごん〕経、
【浄名〔じょうみょう〕・般若〔はんにゃ〕等の諸大乗経に之を説く。】
浄名〔じょうみょう〕経、般若〔はんにゃ〕経などの諸大乗経にも説かれており、
【独り大日経のみに非ず。】
ただ、大日経だけに説かれているわけでは、ありません。
【問うて云はく、若〔も〕し爾〔しか〕らば五百塵点は】
それでは、もし、そうであるならば、法華経に説かれる五百塵点劫は、
【際限有れば有始〔うし〕有終なり。無始無終は際限無し。】
際限が有るので有始有終であり、大日経などの無始無終は、際限がありません。
【然れば則ち法華経は諸経に破せらるゝか如何。】
そうであるなら、法華経は、諸経に破られた事になるのでは、ないでしょうか。
【答へて云はく、他宗の人は此の義を存す。天台一家に於て此の難を】
それは、他宗派の人々は、この主張を懐いていますが、天台宗で、この難問に対して
【会通〔えつう〕する者有り難きか。】
きちんとした筋道が通った説明をする者は、いないのでしょうか。
【今大日経並びに諸大乗経の無始無終は法身の無始無終なり。】
いま、大日経など諸大乗経で説く「無始無終」は、法身如来の無始無終であり、
【三身の無始無終に非ず。法華経の五百塵点は】
三身の如来の無始無終ではないのです。法華経で説くところの「五百塵点劫」は、
【諸大乗経の破せざる伽耶〔がや〕の】
諸大乗経が破らなかった伽耶城〔がや・じょう〕近くで始めて成道したという
【始成〔しじょう〕之を破したる五百塵点なり。】
始成正覚の教えを打ち破った五百塵点劫の成道なのです。
【大日経等の諸大乗経には全く此の義無し。】
大日経などの諸大乗経には、まったく、この事は、説かれていません。
【宝塔〔ほうとう〕の涌現〔ゆげん〕・】
法華経・見宝塔品で説かれている宝塔の出現や、
【地涌の涌出〔ゆじゅつ〕・弥勒〔みろく〕の疑ひ・】
従地涌出品の「地涌の菩薩の地中からの出現」とそれを見た弥勒菩薩の疑いや、
【寿量品の初めの三誡四請〔さんかい・ししょう〕、】
如来寿量品の最初に説かれる三誡・四請〔さんかい・ししょう〕や、
【弥勒菩薩領解〔りょうげ〕の文に「仏希有〔けう〕の法を説きたまふ。昔より】
分別功徳品で弥勒菩薩が述べた「仏は、稀有の法を説かれた。昔より、
【未だ曾〔かつ〕て聞かざる所なり」等の文是なり。】
未だかつて聞いた事のない法である」などの文章は、これを述べているのです。
【大日経六巻並びに供養法の巻・金剛頂〔こんごうちょう〕経・】
大日経の六巻、大日経・第七巻の供養法の巻、金剛頂経三巻、
【蘇悉地〔そしっじ〕経等の諸の真言部の経の中に】
蘇悉地〔そしっじ〕経三巻などの数々の真言の経文の中に、
【未だ三止四請〔さんし・ししょう〕・三戒四請・】
いまだに、法華経・方便品に説かれる三止四請や法華経・如来寿量品の三誡四請、
【二乗の劫国名号〔こう・こく・みょう・ごう〕・】
法華経・迹門で説かれた二乗が未来に成仏するときの時代や国名や名前、
【難信難解〔なんしん・なんげ〕等の文を見ず。】
法華経・法師品に説かれた難信・難解などの文章を見たことがありません。
【問うて云はく、五乗の】
それでは、大日経に説かれている、天、声聞、縁覚、菩薩、仏の五乗の
【真言如何。】
真言については、どうでしょうか。
【答ふ、未だ二乗の真言を知らず。四諦〔したい〕】
それは、未だ二乗が成仏できる真言を知りません。小乗の四諦〔したい〕や
【十二因縁〔いんねん〕の梵語〔ぼんご〕のみ有るなり。】
十二因縁を説いた梵語〔ぼんご〕があるだけです。天親の法華論下巻にある
【又法身平等に会すること有らんや。】
三平等の中の「法華経の法身平等の理」が説かれているとは、とても思えません。
【問うて云はく、慈覚・智証等理同事勝の義を存す。】
それでは、慈覚大師、智証大師などが理同事勝の主張を認めているのです。
【争〔いか〕でか此等の大師等に過ぎんや。】
どうしてこれらの大師よりも、あなたの主張が優れていることがあるでしょうか。
【答へて云はく、人を以て人を難ずるは仏の誡めなり。】
それは、人に依って、その人の主張を非難する事は、仏が誡〔いまし〕めており、
【何ぞ汝仏の制誡〔せいかい〕に違背するや。】
どうして、あなたは、この仏の言葉に背〔そむ〕くのでしょうか。
【但経文を以て勝劣の義を存すべし。】
ただ、経文に依って、その主張の正当性を考えるべきです。
【難じて云はく、末学の身として】
それは、おかしいと思います。後世の弟子の身でありながら、
【祖師の言に背かば之を難ぜざらんや。】
祖師の言っていることに背くのであれば、これを非難しないでいられましょうか。
【答ふ、末学の祖師に違する之を難ぜば何ぞ智証・】
それは、後世の弟子が祖師に違背するのを非難するのであれば、どうして智証大師や
【慈覚の天台・妙楽に違するを何ぞ之を難ぜざるや。】
慈覚大師が天台大師や妙楽大師に違背しているのを非難しないのでしょうか。
【問うて云はく、相違如何。】
それでは、間違っているのは、どこでしょうか。
【答へて云はく、天台・妙楽の意は已今当〔い・こん・とう〕の】
それは、天台大師や妙楽大師の主張は、法華経・法師品の「既〔すで〕に説く、
【三説の中に法華経に勝れたる経之有るべからず。】
今、説く、当〔まさ〕に説く」の三説の中で法華経より優れた経文は、有り得ず、
【若し法華経に勝れたる経之有りといはゞ一宗の宗義之を】
もし、法華経よりも優れた経文があると言うのであれば、一宗派の宗義を
【壊〔やぶ〕るべきの由之を存す。若し大日経法華経に勝るといはゞ、】
破ることになると考えられていたのです。もし、大日経が法華経に勝つのであれば、
【天台・妙楽の宗義忽〔たちま〕ちに破るべきか。】
天台大師や妙楽大師の宗義を破ることになるではないでしょうか。
【問うて云はく、天台・妙楽の已今当の】
それでは、天台大師や妙楽大師の主張した已今当の三説の中で法華経以上に
【宗義証拠経文に有りや。】
優れた経文は、ないと言う事に対して、その証拠が経文の中にあるのでしょうか。
【答へて云はく、之有り。法華経法師品〔ほっしほん〕に云はく「我が所説の】
それは、法華経・法師品に「私が説くところの経典は、
【経典は無量千万億已に説き今説き当に説かん。】
無量千万億あり、既〔すで〕説く、今、説く、当〔まさ〕に説くものがあるが、
【而も其の中に於て此の法華経最も為〔こ〕れ難信難解なり」等云云。】
その中で、この法華経が最も難信難解である」などと説かれているのです。
【此の経文の如くんば五十余年の釈迦所説の一切経の内には】
この経文の通りであれば、五十余年にわたって釈尊が説いた一切経の中で
【法華経最第一なり。】
法華経がもっとも第一なのです。
【難じて云はく、真言師の云はく、法華経は釈迦所説の一切経の中に】
それは、おかしいと思います。真言師は「法華経は、釈迦の説いた一切経の中で
【第一なり。大日経は大日如来所説の経なりと。】
第一なのである。大日経は、大日如来が説いた経である」と言っています。
【答へて云はく、釈迦如来より外に大日如来閻浮提〔えんぶだい〕に於て】
それは、釈迦如来以外に大日如来がこの世界で
【八相成道〔はっそう・じょうどう〕して大日経を説けるか(是一)。】
八相成道〔はっそう・じょうどう〕して大日経を説いたのでしょうか。(是一)
【六波羅蜜経に云はく「過去現在並びに釈迦牟尼仏〔しゃかむにぶつ〕の所説の】
六波羅蜜経には「過去、現在、また、釈迦牟尼仏の説くところの
【諸経を分かちて五蔵と為し、其の中の第五の陀羅尼蔵〔だらにぞう〕は】
諸経を分けて五つの経蔵とした時、その中の第五の陀羅尼蔵〔だらにぞう〕は、
【真言なり」と。真言の経、釈迦如来の所説に非ずといはゞ】
真言である」と説いており、真言は、釈迦如来が説いたものではないと言うのは、
【経文に違す(是二)。】
この経文に違背することになります。(是二)
【「我が所説の経典」等の文は釈迦如来の正直捨方便の】
法華経・法師品の「我が所説の経典」などの文章は、釈迦如来が正直に方便を捨てて
【説なり。大日如来の証明〔しょうみょう〕は分身〔ふんじん〕の諸仏】
説いたものであり、大日如来が証明し、分身諸仏の
【広長舌相〔こうちょう・ぜっそう〕の経文なり(是三)。】
広長舌相によって裏づけられた文章なのです。(是三)
【五仏の章、】
法華経・方便品において、総諸仏、過去仏、未来仏、現在仏、釈迦仏の五仏が
【尽〔ことごと〕く諸仏皆法華経を第一なりと説き給ふ(是四)。】
説法する段階では、すべての諸仏が法華経を第一と説いているのです。(是四)
【「要を以て之を言はゞ如来一切所有の法、】
法華経・如来神力品には「要をとって言えば、如来の所有する一切の法は、
【乃至皆此の経に於て宣示顕説〔せんじ・けんぜつ〕す」等云云。】
(中略)すべて、この経に述べ示し、説き顕している」などと説かれています。
【此の経文の如くならば法華経は釈迦所説の諸経の第一なる】
この経文の通りであれば、法華経は、釈尊が説いた諸経の中で第一である
【のみに非ず、大日如来十方無量諸仏の諸経の中に法華経第一なり。】
だけではなく、大日如来や十方無量の諸仏が説いた諸経の中でも第一なのです。
【此の外一仏二仏の所説の諸経の中に】
この他に、大日如来などの一仏か二仏が説いた諸経の中で
【法華経に勝れたるの経之有りと云はゞ信用すべからず(是五)。】
法華経よりも優れた経文があると言っても、信用する事はできないのです。(是五)
【大日経等の諸の真言経の中に法華経に勝れたる由の】
大日経などの種々の真言の経文の中に法華経よりも勝れていると述べている
【経文之無し(是六)。】
経文は、ひとつとしてないのです。(是六)
【仏より外の天竺〔てんじく〕・震旦〔しんだん〕・日本国の論師人師の中に】
仏以外に、インド、中国、日本の論師や人師の中で
【天台大師より外の人師の所釈の中に一念三千の名目之無し。】
天台大師以外の人師の解釈の中に一念三千の言葉はないのです。
【若し一念三千を立てざれば性悪の義之無し。】
もし、一念三千の義を立てなければ、仏に九界はなく、性悪の義はないのです。
【性悪の義之無くんば仏菩薩の普現色身〔ふげん・しきしん〕・】
性悪の義がなければ、仏、菩薩が普〔あまね〕く、六道の色身を現ずることや、
【不動愛染〔ふどう・あいぜん〕等の降伏の形・十界の曼荼羅〔まんだら〕・】
不動明王、愛染明王などの降臨の姿や、十界曼荼羅〔まんだら〕や、
【三十七尊等、本無今有〔ほんむ・こんぬ〕の】
金剛界曼荼羅に描かれた三十七の仏、菩薩である三十七尊は、本地が無いのに
【外道の法に同じきか。(是七)】
現在の姿だけが存在するとした外道と同じでは、ないでしょうか。(是七)
【問うて云はく、七義の中一々難勢〔なんぜい〕之有り。】
それでは、今の七つの義の中の一つ一つに質問を加える問題がありますが、
【然りと雖も六義は且〔しばら〕く之を置く。第七の義如何。】
六つの義は、しばらく置くとして、七番目の義は、どういうことなのでしょうか。
【華厳の澄観〔ちょうかん〕・真言の一行〔いちぎょう〕等皆性悪の義を存す。】
華厳宗の澄観や真言宗の一行は、すべて、仏の性悪の義を立てているのに、
【何ぞ諸宗に此の義無しと云ふや。】
どうして諸宗派に、この義は、ないなどと言うのでしょうか。
【答へて云はく、華厳の澄観・真言の一行は天台所立の義を盗んで】
それは、華厳宗の澄観や真言宗の一行は、天台大師が立てた、この義を盗んで
【自宗の義と成すか。此の事余処に勘〔かんが〕へたるが如し。】
自宗の義としたものと思われるのです。このことは、別の場所で考察した通りです。
【問うて云はく、天台大師の玄義の三に云はく「法華は衆経を】
それでは、天台大師の法華玄義の第三巻に「法華経は、もろもろの経を
【総括〔そうかつ〕す。】
総括している。仏の出世の本意なり、諸の教法の指帰なり。人、此の理を見ず、
【乃至舌〔した〕口中に爛〔ただ〕る。】
(中略)是れ因縁の事相なりと軽慢して止まずんば、舌、口中に爛〔ただ〕れる。
【人情を以て彼の大虚〔たいこ〕を局〔かぎ〕ること莫〔なか〕れ」等云云。】
人の感情だけで、虚空に境界を設けるような事があっては、ならない」とあり、
【釈籤〔しゃくせん〕の三に云はく「法華宗極の旨を了せずして、】
法華玄義釈籤の第三巻には「法華経が根本の極理を説いた経である事を理解しないで
【声聞に記する事相のみ】
法華経は、声聞に記別を与えるという相対的現象を説いているだけであり、
【華厳・般若の融通無礙〔ゆうずう・むげ〕なるに如〔し〕かずと謂ふ。】
華厳経や般若経の融通無礙〔ゆうずう・むげ〕を説くものには、及ばないと思い、
【諌暁〔かんぎょう〕すれども止〔や〕まず。】
それを間違いであると諌〔いさ〕めても、まったく改めず、そうであれば、
【舌の爛れんこと何ぞ疑はん。乃至已今当の妙茲〔ここ〕に於て】
この人の舌が爛〔ただ〕れる事は、疑いなく(中略)已今当の深妙の義に対して、
【固く迷へり。舌爛れて止まざるは猶為〔こ〕れ華報〔けほう〕なり。】
ここで頑迷に自分の主張に固執し、舌が爛〔ただ〕れるのは、堕地獄の警告であり、
【謗法の罪苦長劫に流る」等云云。】
ここで改めなければ、謗法の罪の苦しみは、未来永劫に続くのである」とあります。
【若し天台・妙楽の釈実ならば、】
もし天台大師や妙楽大師の解釈が真実であるならば、
【南三北七並びに華厳・法相・三論・】
中国の江南の三派と河北の七派、それに華厳宗、法相宗、三論宗の者や
【東寺の弘法等舌爛れんこと何の疑ひ有らんや。】
日本における東寺の弘法などは、その舌が爛〔ただ〕れることは、間違いなく、
【乃至苦流長劫〔くるじょうごう〕の者なるか。是は且〔しばら〕く之を置く。】
または、苦が長劫に流る者なのでしょう。これは、しばらく置くとして、
【慈覚・智証等の親〔まのあた〕り此の宗義を承けたる者】
慈覚大師や智証大師などといった身近に法華経を宗義としてきた天台宗の者が
【法華経は大日経より劣るの義存すべし。】
法華経は、大日経よりも劣ると言う主張を懐くようになってしまっています。
【若し其の義ならば此の人々の】
もし、法華玄義釈籤の通りであれば、この人々の罪は、さらに重いのであり、
【「舌爛〔ぜつらん〕口中〔くちゅう〕苦流長劫」は如何。】
「舌、口中に爛〔ただ〕れ、苦が長劫に流る」と言う事は、どうなるのでしょうか。
【答へて云はく、此の義は最上の難の義なり。口伝に在り云云。】
これは、最大の難問であり、その事については、口伝で述べられています。
【文永元年甲子七月二十九日これを記す。 日蓮花押】
文永1年7月29日に、これを記〔しる〕す。日蓮花押