日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


法華真言勝劣事(中)


【私に日蓮云はく、威儀形色経・瑜祇経等の文の】
ひそかに日蓮は、次のように考えるのです。威儀形色経や瑜祇経などの文章の

【如くんば仏説に於ては法華経に印・真言有るか。】
通りであれば、仏説の段階では、法華経に印と真言は、あったでのでしょう。

【若し爾〔しか〕らば経家・訳者之を略せるか。】
そして経典を結集した者か、あるいは、翻訳者が、これを省略したのでしょう。

【六波羅密経〔ろくはらみつきょう〕の如きは経家之を略す。】
六波羅蜜経などは、経文を結集した者が、これを省略し、

【旧訳〔くやく〕の仁王経〔にんのうきょう〕の如きは訳者之を略せるか。】
旧訳の仁王経のような経は、翻訳者が、これを省略したのでしょう。

【若し爾らば天台真言の理同事異〔りどう・じい〕の釈は、】
もし、そうであるならば、天台真言宗の理同事異の解釈は、経典を結集した者、

【経家並びに訳者の時より法華経・大日経の勝劣なり。】
または、翻訳者の時から、起こった法華経と大日経との優劣であり、

【全く仏説の勝劣に非ず。此天台真言の極なり。】
まったく仏説の優劣では、ありません。これは、天台真言宗の極説なのです。

【天台宗の義勢才覚〔さいかく〕の為に此の義を難ず。】
これは、天台宗の教義や修行の為に、この問題を追及するのです。

【天台真言の僻見〔びゃっけん〕此くの如し。】
天台・言宗の間違った考えは、以上の通りなのです。

【東寺所立〔しょりゅう〕の義勢は且〔しばら〕く之を置く。】
東寺の真言宗で立てるところの教義については、しばらく、これを置きます。

【僻見眼前の故なり。】
それは、その間違いは、明白であるからなのです。

【抑〔そもそも〕天台真言宗の所立の理同事勝に二難有り。】
ところで、天台真言宗の立てた理同事勝には、二つの非難すべき点があります。

【一には法華経と大日経と理同の義、其の文全く之無し。】
一には、法華経と大日経と理が同じと言う経文が、まったくないと言うことです。

【法華経と大日経と先後如何。既に義釈〔ぎしゃく〕に】
法華経と大日経とが説かれた順序は、どうかというと、すでに大日経義釈には、

【二経の前後之を定め畢〔おわ〕って法華経は先、大日経は後なりと云へり。】
経文の説かれた時期を、法華経が先で大日経が後であるとされています。

【若し爾〔しか〕らば大日経は法華経の重説なり流通なり。】
もし、そうであるならば、大日経は、法華経を重ねて説いた流通の経文なのです。

【一法を両度之を説くが故なり。】
なぜなら、法華経と大日経は、理同であり、一つの法を二度説いたものだからです。

【若し所立の如くんば法華経の理を重ねて之を説くを大日経と云ふ。】
もし、それが正しいならば、法華経の理を重ねて大日経で説いた事になります。

【然〔しか〕れば則〔すなわ〕ち法華経と大日経と敵論の時は】
そうであれば、とりもなおさず法華経と大日経とが対立する時は、

【大日経の理之を奪って法華経に付くべし。】
重ねて説いた大日経の理を奪って、先に説かれた法華経の理とすべきです。

【但〔ただ〕し大日経の得分は但印・真言計〔ばか〕りなり。】
ただし、印と真言については、大日経の分野であり、法華経にはないのです。

【印契は身業、真言は口業なり。身口のみにして意無くば】
印契〔いんけい〕は、身業であり、真言は、口業であり、それに意業がなければ、

【印・真言有るべからず。手口等を奪って法華経に付けなば】
印と真言も、有り得ず、手や口を奪って法華経を意〔こころ〕としてしまったら、

【手無くして印を結び、口無くして真言を誦せば虚空〔こくう〕に印・真言を】
手がなくて印を結び、口がなくて真言を暗唱するようなものであり、

【誦結〔じゅけつ〕すべきか如何〔いかん〕。】
それでは、虚空に印を結び、真言を暗唱することになりますが、どうでしょうか。

【裸形〔らぎょう〕の猛者と甲冑〔かっちゅう〕を帯せる猛者との譬への事。】
裸の戦士と鎧兜〔よろい・かぶと〕を着けた戦士の譬えについて言えば、

【裸形の猛者の進んで大陣を破ると甲冑を帯せる猛者の退ひて】
裸の戦士が突き進んで、大軍を破るのと、鎧兜を着けただけの戦士が退いて

【一陣をも破らざるとは何れが勝るゝか。】
一軍さえ破れないのとでは、どちらが優れているのでしょうか。

【又猛者は法華経なり。甲冑は大日経なり。】
また、意である戦士は、法華経であり、鎧兜〔よろい・かぶと〕は、大日経です。

【猛者無くんば甲冑何の詮か之有らん。】
戦士がいなければ、鎧兜〔よろい・かぶと〕が何になるでしょうか。

【此は理同の義を難ずるなり。】
以上は、理同の問題を質問したのです。

【次に事勝の義を難ぜば、法華経には印・真言無く大日経には】
次に事勝の義を問題にすると、法華経には、印と真言がなく、大日経には、

【印・真言之有りと云云。印契・真言の有無に付いて二経の勝劣を定むるに、】
印と真言があると言っていますが、印契と真言の有無によって、優劣を決めて、

【大日経に印・真言有りて法華経に之無き故に劣ると云はゞ】
大日経には、印と真言があり、法華経には、これがないから、劣ると言うならば、

【阿含〔あごん〕経には世界建立・】
阿含経の長阿含経・第四分・世記経世本縁品第十二に世界成立と因縁が、

【賢聖の地位】
中阿含経の福田経には、十八種の学人と九種の無学人が説かれ、賢聖の位が

【是〔これ〕分明〔ふんみょう〕なり。大日経には之無し。】
明らかに説かれているのに、大日経には、これがありません。

【若し爾らば】
もし、この経にあるのに、この経にないと言って、優劣が決まるのであれば、

【大日経は阿含経より劣るか。】
大日経は、阿含経に劣ることになるが、どうでしょうか。

【双観経〔そうかんぎょう〕等には四十八願是分明なり。大日経に之無し。】
無量寿経には、四十八願が明らかに説かれているが、大日経には、これがない。

【般若〔はんにゃ〕経には十八空是分明なり。大日経には之無し。】
般若経には、十八空が明らかに説かれているが、大日経には、これがない。

【此等の諸経に劣ると云ふべきか。】
大日経は、これらの諸経よりも劣ると言うのでしょうか。

【又印・真言無くんば仏を知るべからず等云云。】
また、印と真言がなければ、仏を知ることができないなどと言っている事について

【今反詰〔はんきつ〕して云はく、理無くんば仏有るべからず。仏無くんば】
反論して言うならば、理がなければ、成仏は、有り得ず、成仏がなければ、

【印契・真言一切徒然〔とぜん〕と成るべし。】
印契や真言も、すべて無意味になるのではないでしょうか。

【彼難じて云はく、賢聖並びに四十八願等をば印・真言に】
天台真言宗の人々が、この返答に反論して「賢聖の位や四十八願などと、印・真言を

【対すべからず等云云。今反詰して云はく、最上の印・真言之無くば】
一緒にしてはならない」と言うならば、それに反論して、最高の印と真言がないから

【法華経は大日経等より劣るか。若〔も〕し爾らば法華経には二乗作仏・】
法華経は、大日経よりも劣ると言うのであれば、法華経には、二乗作仏と

【久遠実成之有り。大日経には之無し。】
久遠実成が説かれているが、大日経には、これが説かれていないのです。

【印・真言と二乗作仏・久遠実成とを対論せば天地雲泥〔うんでい〕なり。】
もし、印、真言と二乗作仏、久遠実成を比較するならば、天智雲泥ではないですか。

【諸経に印・真言を簡〔えら〕ばざるに大日経に】
諸経においても、印や真言を説いていないわけではないのに、大日経に

【之を説ひて何の詮〔せん〕か有るべきや。二乗若し】
これが説いてあるからといって何の意味があるでしょうか。二乗が、もし、その身を

【灰断〔けだん〕の執〔しゅう〕を改めずんば印・真言も無用なり。】
灰にして、心を断じるという執着を改めないならば、印や真言も無用なのです。

【一代の聖教に皆二乗を永不成仏と簡ぶ、】
一代聖教すべてにおいて、二乗を永久に成仏しない者として切り捨てており、

【随って大日経にも之を隔〔へだ〕つ。】
したがって、大日経も二乗を不成仏と分け隔〔へだ〕てているのです。

【皆成仏までこそ無からめ三分が二之を捨て百分が六十余分】
たとえ、菩薩が成仏するとしても、菩薩、二乗の三分の二を捨て去り、百分の六十が

【得道せずんば仏の大悲何かせん。】
得道しないのであれば、仏の大慈悲は、どう言う事になってしまうのでしょうか。

【凡〔およ〕そ理の三千之有って成仏すと云ふ上には何の不足か有るべき。】
およそ、理の一念三千があって、成仏すると言われて何の不足があるのでしょうか。

【成仏に於ては唖〔あ〕なる仏・】
そこで成仏するとされたからには、口がきけずに説法をせず、真言を説かない仏や、

【中風の覚者は之有るべからず。】
中風で身体が不自由になり印を結べない覚者が、居るはずがないではありませんか。

【之を以て案ずるに印・真言は規模〔きも〕無きか。】
こう考えると印や真言は、法華経で成仏する者に何の意味があるのでしょうか。

【又諸経には始成正覚の旨を談じて三身相即〔そうそく〕の無始の】
また、諸経では、始成正覚を説いて、法身、報身、応身の三身即一身の無始の

【古仏〔こぶつ〕を顕〔あら〕はさず。本無今有〔ほんむ・こんぬ〕の】
久遠実成の古仏を説き顕していないのです。これは「本無くして今有り」であり、

【失〔とが〕有れば大日如来は有名無実〔うみょう・むじつ〕なり。】
久遠実成の古仏無くして大日如来の印や真言が有ると言うのは、有名無実なのです。

【寿量品に此の旨を顕はす。釈尊は天の一月、】
法華経寿量品に、この事が説き顕されているのです。釈尊は、天の現実の月であり、

【諸仏菩薩は万水〔ばんすい〕に浮かべる影なりと見へたり。】
諸仏、菩薩は、水に浮かんだ月の映像のようなものであると説かれているのです。

【委細の旨は且く之を置く。】
詳しい内容は、しばらく置いておきます。

【又印・真言無くんば祈禱〔きとう〕有るべからずと云云。】
また、印や真言がなければ、祈禱〔きとう〕は、出来ないと言っていますが、

【是又以ての外の僻見〔びゃっけん〕なり。過去現在の諸仏法華経を】
これまた、とんでもない間違った考え方なのです。過去、現在の諸仏は、法華経を

【離れて成仏すべからず。法華経を以て正覚を成じ給ふ。】
離れて成仏することはできず、すべて法華経によって正覚を成就されたのです。

【法華経の行者を捨て給はゞ、諸仏還〔かえ〕って凡夫と成り給ふべし。】
諸仏が法華経の行者を見捨てるならば、諸仏は、返って元の凡夫となるでしょう。

【恩を知らざる故なり。又未来の諸仏の中の二乗も法華経を離れては】
それは、恩を知らない故なのです。また、未来に成仏して、諸仏の中に入る二乗も、

【永く枯木敗種〔こぼく・はいしゅ〕なり。】
法華経を離れては、永久に成仏できない枯れ木や腐敗した種であるのです。

【今は再生〔さいしょう〕なり。華果〔けか〕なり。】
法華経が説かれた現在は、それが蘇生して華が咲き、果実がなったようなものです。

【他経の行者と相論を為す時は華光〔けこう〕如来・光明〔こうみょう〕如来等は】
法華経の行者が他の経の行者と論争している時には、華光如来や光明如来などは、

【何れの方に付くべきや。華厳経等の諸経の仏・菩薩・人天】
どちらの味方につくでしょうか。華厳経などの諸経の仏、菩薩、人、天、

【乃至四悪趣〔しあくしゅ〕等の衆は皆法華経に於て】
さらに、修羅、畜生、餓鬼、地獄の四悪趣などの衆生は、すべて法華経において、

【一念三千・久遠実成の説を聞きて正覚を成ずべし。】
一念三千、久遠実成の説法を聞いて、正覚を成じることができるのです。

【何れの方に付くべきや。真言宗等と外道並びに小乗・権大乗の行者等と】
どちらの味方につくでしょうか。真言宗と外道、小乗教、権大乗教の行者などが

【敵対相論を為〔な〕す時は甲乙知り難し。法華経の行者に対する時は】
敵対して論争をする時は、甲乙つけ難いのですが、法華経の行者に対する時は、

【竜と虎と師子と兎との闘ひの如く諍論〔じょうろん〕分絶えたる者なり。】
竜と虎、師子と兎の戦いのように論争にならないのです。

【慧亮〔えりょう〕脳〔のう〕を破するの時、】
平安時代に天台宗の僧、慧亮〔えりょう〕が、脳を砕かんばかりに必死に祈った時、

【次弟〔じてい〕位に即〔つ〕き、】
その祈りが通じて、真言宗で祈祷をした兄の太子を破って、弟の親王が皇位に即き、

【相応〔そうおう〕加持〔かじ〕するの時、真済〔しんぜい〕の】
天台宗の相応〔そうおう〕が加持・祈禱をした時、真言宗の真済〔しんぜい〕の

【悪霊〔あくりょう〕伏せらるゝ等是なり。】
悪霊が調伏され、宇多天皇の皇后・明子の病気が治ったのが、これであり、

【一向〔いっこう〕真言の行者は法華経の行者に劣れる証拠是なり。】
これらは、ひとえに真言の行者は、法華経の行者に劣る証拠なのです。



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