御書研鑚の集い 御書研鑽資料
法華真言勝劣事(上)
【法華真言勝劣事 文永元年七月二九日 四三歳】
法華真言勝劣事 文永1年7月29日 43歳御作
【東寺〔とうじ〕の弘法〔こうぼう〕大師空海の所立に云はく「法華経は】
東寺〔とうじ〕の弘法〔こうぼう〕大師・空海の立てた説では「法華経は、
【猶〔なお〕華厳経に劣れり、何〔いか〕に況〔いわ〕んや大日経等に】
華厳経よりも劣っており、ましてや大日経などに
【於てをや」云云。慈覚〔じかく〕大師円仁〔えんにん〕・】
対しては、なおさらである」と言い、慈覚〔じかく〕大師・円仁〔えんにん〕、
【智証〔ちしょう〕大師円珍〔えんちん〕・安然〔あんねん〕和尚等の云はく】
智証〔ちしょう〕大師・円珍〔えんちん〕、安然〔あんねん〕和尚などは、
【「法華経の理は大日経に同じ。印と真言との事に於ては是猶】
「法華経の理は、大日経と同じであるが、印と真言という事については、法華経が
【劣れるなり」云云(其の所釈余処に之を出だす。)】
劣っている」と言っているのです。(その文章は、他の個所に出しておきました。)
【空海は大日経、菩提心論〔ぼだいしんろん〕等に依って】
空海は、大日経や菩提心〔ぼだいしん〕論などによって
【十住心〔じゅうじゅうしん〕を立て顕密〔けんみつ〕の勝劣を判ず。】
十住心〔じゅうじゅうしん〕論を立て、顕教と密教の優劣を判断しています。
【其の中に第六に他縁大乗心〔たえん・だいじょうしん〕は法相宗、】
その中で、第六の他縁大乗心〔たえん・だいじょうしん〕は、法相宗、
【第七に覚心不生心〔かくしん・ふしょうしん〕は三論宗、】
第七の覚心不生心〔かくしん・ふしょうしん〕は、三論宗、
【第八に如実一道心〔にょじつ・いちどうしん〕は天台宗、】
第八の如実一道心〔にょじつ・いちどうしん〕は、天台宗、
【第九に極無自性心〔ごくむ・じしょうしん〕は華厳宗〔けごんしゅう〕、】
第九の極無自性心〔ごくむ・じしょうしん〕は、華厳宗、
【第十に秘密荘厳心〔ひみつ・しょうごんしん〕は真言宗なり。】
第十の秘密荘厳心〔ひみつ・しょうごんしん〕は、真言宗であり、
【此の所立の次第は浅きより深きに至る。】
この文章の順序は、浅い教えから深い教えになっているとしています。
【其の証文は大日経の住心品と菩提心論とに出づと云へり。】
また、その文証は、大日経の住心品と菩提心論に出ていると述べています。
【然るに出だす所の大日経の住心品を見て他縁大乗・覚心不生・】
しかし、出ているという大日経の住心品を開いて「他縁大乗」「覚心不生」
【極無自性を尋ぬるに名目は経文に之有り。然りと雖〔いえど〕も】
「極無自性」の語句を探してみると、その名称だけは、経文にありますが、
【他縁・覚心〔かくしん〕・極無自性〔ごくむ・じしょう〕の三句を法相・三論・】
「他縁大乗」「覚心不生」「極無自性」の三つを法相宗、三論宗、
【華厳に配する名目は之〔これ〕無し。其の上覚心不生と極無自性との】
華厳宗とする言葉は、ありません。そのうえ「覚心不生」と「極無自性」との
【中間に如実一道の文義共に之無し。】
中間にある「如実一道」は、文章もそれに該当する内容もないのです。
【但し此の品の初めに「云何〔いか〕なるか菩提、謂はく如実に自心を知る」等の】
ただし、この品の初めに「何を菩提とするか、如実に自心を知ることを云う」などの
【文之有り。此の文を取って此の二句の中間に置いて】
文章は、あり、この文章を取って「覚心不生」と「極無自性」の二句の間に置いて、
【天台宗と名づけ華厳宗に劣るの由之を存す。】
天台宗に当たるとし、華厳宗に劣るということを主張しているのですが、
【住心品に於ては全く文義共に之無し。有文有義無文】
住心品には、まったく、文章もそれを意味する内容もないのです。文章がなくても、
【有義の二句を虧〔か〕く信用に及ばず。】
それを意味する内容があれば良いのですが、それもないので信用に値しないのです。
【菩提心論の文に於ても法華・華厳の勝劣都〔すべ〕て之を見ざる上、】
菩提心論の文章でも法華経と華厳経との優劣については、全く述べられておらず、
【此の論は竜猛菩薩〔りゅうみょう・ぼさつ〕の論と云ふ事】
この菩提心論が果たして竜猛〔りゅうもう〕菩薩の著作であることについては、
【上古より諍論〔じょうろん〕之有り。此の諍論絶えざる已前に】
以前より不空の作ではないかと疑われているのです。このことが決着していないのに
【亀鏡〔ききょう〕に立つる事は竪義〔りゅうぎ〕の法に背く。其の上】
それを規範として用いることは、理論を立てる法に背くものです。そのうえ、
【善無畏〔ぜんむい〕・金剛智〔こんごうち〕等評定〔ひょうじょう〕有って】
善無畏〔ぜんむい〕三蔵、金剛智〔こんごうち〕三蔵などが、話し合って
【大日経の疏〔しょ〕・義釈〔ぎしゃく〕を作れり。】
大日経疏〔しょ〕と大日経義釈〔ぎしゃく〕を作ったのです。
【一行阿闍梨〔いちぎょう・あじゃり〕の執筆なり。此の疏・義釈の中に】
それを一行阿闍梨〔いちぎょう・あじゃり〕が執筆しましたが、この疏と義釈の中で
【諸宗の勝劣を判ずるに法華経と大日経とは広略の異なりと定め畢〔おわ〕んぬ。】
経文の優劣を調べ「法華経と大日経とは、広と略との違いである」と定めたのです。
【空海の徳貴しと雖も争〔いか〕でか先師の義に】
これに対して「空海の徳が、いくら高くても、どうして先師の主義主張に
【背くべきやと云ふ難此〔これ〕強し(此安然の難なり。)】
背いて良いのか」と安然は、これを強く非難したのです。
【之に依って空海の門人之を陳〔ちん〕するに旁〔かたがた〕陳答有り。】
これに対して、空海の門弟は、あれこれ言い訳をして、
【或は守護経、或は六波羅蜜経〔ろくはらみつきょう〕、】
そのことは、守護国界主陀羅尼経、六波羅蜜経〔ろくはらみつきょう〕、
【或は楞伽経〔りょうがきょう〕、或は金剛頂〔こんごうちょう〕経等に見ゆと】
楞伽〔りょうが〕経、金剛頂〔こんごうちょう〕経などに述べられていると
【多く会通〔えつう〕すれども総じて難勢〔なんぜい〕を免〔まぬか〕れず。】
なんとか釈明しましたが、非難の勢いからは、免〔まぬか〕れられなかったのです。
【然りと雖も東寺の末学等大師の高徳を恐るゝの間、】
しかし、その後の時代の東寺の弟子などは、弘法大師の高徳を恐れるあまり、
【強〔あなが〕ちに会通を加へんと為〔す〕れども結句〔けっく〕】
無理な解釈を加えようとしましたが、結局のところ、
【会通の術計〔じゅっけい〕之無く、問答の法に背いて伝教大師最澄は】
解釈のしようがなく、問答の法に背いて「伝教大師・最澄は、
【弘法大師の弟子なり云云。又宗論の甲乙等】
弘法大師の弟子である」とか「宗旨の優劣などについては、
【旁〔かたがた〕論ずる事之有り云云。】
あれこれ議論のあるところである」と白〔しら〕を切っているのです。
【日蓮案じて云はく、華厳宗の杜順〔とじゅん〕・智儼〔ちごん〕・】
日蓮が考えるには、中国・華厳宗の杜順〔とじゅん〕、智儼〔ちごん〕、
【法蔵等法華経の始見今見〔しけん・こんけん〕の】
法蔵などは、法華文句第九巻の華厳の始見〔しけん〕、法華の今見〔こんけん〕の
【文に就〔つ〕いて法華・華厳斉等〔せいとう〕の義之を存す。】
語句により、法華経と華厳経は、等しいのではないかという疑問を持ったのです。
【其の後澄観〔ちょうかん〕始今〔しこん〕の】
その後、中国・華厳宗の澄観〔ちょうかん〕が始見今見〔しけん・こんけん〕の
【文に依って斉等の義を存すること祖師に違せず。】
語句によって二経は、等しいとする主張を彼の師匠に習って立てた上に、
【其の上一往の弁を加へ法華と華厳と斉等なり。但し華厳は】
一往の弁説を加えて、法華経と華厳経とは、等しいのです。ただし、華厳経は、
【法華経より先なり。華厳経の時仏最初に法慧〔ほうえ〕・】
法華経より先に説かれ、華厳経の説法の時、仏は、最初に法慧〔ほうえ〕や
【功徳林〔くどくりん〕等の大菩薩に対して出世の本懐〔ほんがい〕之を遂ぐ。】
功徳林〔くどくりん〕などの大菩薩に対して、出世の本懐を遂げたのです。
【然れども二乗並びに下賤の凡夫等根機未熟の故に】
しかし、二乗や位の低く賤しい凡夫は、機根が未熟である為に
【之を用ひず。阿含・方等・般若等の調熟〔じょうじゅく〕に依って】
華厳経を用いなかったのです。その為、阿含経、方等経、般若経などによって
【還〔かえ〕って華厳経に入らしむ。此を今見の法華経と名づく。】
機根を整えてから、華厳経に入れられ、これを今見の法華経と名づけたのです。
【大陣を破るに余残堅からざるが如し等。】
つまり、大軍を破った後には、その残りの始末は、それほど難しくはないのです。
【然れば実に華厳経は法華経に勝〔すぐ〕れたり等云云。】
それ故に真実は、華厳経が法華経よりも優れているのであると言っているのです。
【本朝に於て勤操〔ごんそう〕等に値ひて此の義を習学して後、】
弘法大師は、我が国で三論宗の僧・勤操〔ごんそう〕などに会って、この義を学び、
【天台真言を学すと雖も旧執〔くしゅう〕を改めざるが故に】
その後に天台、真言を学んだのですが、過去の習学に対する執着が改まらない為に、
【此の義を存するか。何〔いか〕に況〔いわ〕んや華厳経の法華経に】
この考えを懐いていたのでしょう。ましてや、華厳経が法華経よりも
【勝るの由は陳隋〔ちんずい〕より已前南三北七】
優れているという考えは、陳〔ちん〕・隋〔ずい〕の時代以前に南三北七の各宗派が
【皆此の義を存す。天台已後も又諸宗此の義を存せり。】
皆、そう考えており、天台大師以後も、また諸宗派が、この義を立てており、
【但弘法一人に非ざるか。】
ただ、弘法大師、一人だけが、そう考えていたわけではないのです。
【但し澄観〔ちょうかん〕】
ただし、中国・華厳宗の澄観〔ちょうかん〕が法華文句・第九巻上の「華厳の成道を
【始見今見〔しけん・こんけん〕の】
始めに見て(始見)、法華経の久遠実成の結果を今、見た(今見)」という
【文に依って華厳経は法華経より勝ると料簡〔りょうけん〕する才覚に於ては、】
文章を、あえて曲解し、華厳経は、法華経よりも優れているとしたのは、
【天台智者大師涅槃経の「是経出世〔ぜきょう・しゅっせ〕乃至〔ないし〕】
天台智者大師が涅槃経の「この経の世に出ずるは、(中略)
【如法華中〔にょ・ほっけ・ちゅう〕」等の文に依って法華・涅槃】
法華の中の八千の声聞、記別を受くるを得て」の文章を解釈して、法華経と涅槃経が
【斉等の義を存するのみに非ず、】
共に法華経によって成仏することを明かしている事から、同等と勘違いをして、
【又勝劣の義を存すれば此の才覚を学びて】
先に説かれた法華経が優れ、後に説かれた涅槃経が劣るということだけを取って
【此の義を存するか。】
先の華厳経が優れ、後の法華経が劣っていると、そう思ってしまったのでしょう。
【此の義若し僻案〔びゃくあん〕ならば空海の義も又僻見なるべきなり。】
澄観のこの主張が間違っていれば、空海の主張も、また、間違った見解なのです。
【天台真言の書に云はく「法華経と大日経とは広略の異なりなり。】
天台真言宗の書物には「法華経と大日経とは、広と略の違いである。
【略とは法華経なり。大日経と斉等の理なりと雖も印・真言之を】
略とは、法華経のことである。大日経と同等の理であるけれども、印と真言を
【略する故なり。広とは大日経なり。極理を説くのみに非ず】
略しているからである。広とは、大日経のことである。極理を説くだけでなく、
【印・真言をも説ける故なり。又法華経と大日経とに】
印と真言を説いているからである」、また「法華経と大日経との間には、
【同劣の二義あり。謂はく理同事劣〔りどう・じれつ〕なり。】
同と劣の二義がある。理は、同じで、事は、劣るということである」などと言い、
【又二義あり。一には大日経は五時の】
また「二義がある。一つは、大日経は、華厳、阿含、方等、般若、法華涅槃の五時の
【摂〔しょう〕なり。是〔これ〕与の義なり。二には大日経は】
中に納まる。これは、与えて言った場合の義である。二つには、大日経は、
【五時の摂に非ず。是奪の義なり」と。】
五時の中に納まらない。これは、奪って言った場合の義である」などと言い、
【又云はく「法華経は譬へば裸形〔らぎょう〕の猛者〔もさ〕の如し。】
また「法華経は、譬えて言えば、裸で闘う戦士のようなものであり、
【大日経は甲冑〔かっちゅう〕を帯せる猛者なり」等云云。】
大日経は、印と真言で守られた鎧兜〔よろい・かぶと〕の戦士である」等と言い、
【又云はく「印・真言無きは其の仏を知るべからず」等云云。】
また「印と真言がなければ、その仏を知ることができない」などと言っています。
【日蓮不審して云はく、何を以て之を知る、理は法華経と大日経と】
日蓮は、これを不審に思っています。何をもって、法華経と大日経とを比べて、理が
【斉等なりと云ふ事を。】
同じなどと言えるのでしょうか。
【答へて云はく、疏と義釈並びに慈覚・智証等の所釈に依るなり。】
それに答えれば、大日経の疏と義釈、それに慈覚、智証などの解釈によるのである。
【求めて云はく、此等の三蔵大師等は又何を以て之を知るや、】
さらに質問しますが、これらの三蔵や大師などは、また、
【理は斉等の義なりと。】
何をもって、理は、同じであるという事を知ったのでしょうか。
【答へて云はく、三蔵大師等をば疑ふべからず等云云。】
それに答えれば、三蔵や大師などを疑うべきではない。
【難じて云はく、此の義論議の法に非ざる上】
重ねて質問しますが、この義は、経文の文義を問答する方法に乗っ取っておらず、
【仏の遺言に違背〔いはい〕す。慥〔たし〕かなる経文を出だすべし。】
仏の遺言に背いています。明確にその経文をここで出すべきです。
【若し経文無くんば義分無かるべし如何。】
もし、その経文がないならば、その道理はない事となりますが、いかがでしょうか。
【答ふ、威儀形色経〔いぎ・ぎょうしききょう〕・】
それに答えると、不空三蔵訳の法華曼荼羅・威儀形色法〔いぎ・ぎょうしき〕経、
【瑜祇〔ゆぎ〕経・】
金剛智三蔵訳の金剛・峰楼閣〔ぶろうかく〕一切・瑜伽瑜祇〔ゆがゆぎ〕経、
【観智儀軌〔かんちぎき〕等なり。文は口伝〔くでん〕すべし。】
不空三蔵訳の観智儀軌〔かんちぎぎ〕などにあります。文は、口頭で伝えましょう。
【問うて云はく、法華経に印・真言を略すとは仏よりか】
質問しますが、法華経に印と真言を略したのは、仏の説法の時からか、
【経家〔きょうけ〕よりか訳者よりか。】
経典を結集した者の時からか、それとも、翻訳者が訳した時からなのでしょうか。
【答へて云はく、或は仏と云ひ或は】
それに答えると、ある人は、仏の説法の時からと言い、ある人は、経典を
【経家と云ひ或は訳者と云ふなり。】
結集した者の時からと言い、ある人は、訳者の時からと言っている。
【不審して云はく、仏より真言・印を略して】
それは、おかしいと思いますが、仏の説法の時から、印と真言を略して、
【法華経と大日経と理同事勝の義之有りといはゞ】
法華経と大日経とに理同事勝の義があったと言うのであれば、
【此の事何れの経文ぞや。文証の所出を知らざる】
このことは、どの経文にあるのでしょうか。文証の出処を挙げられないような
【我意の浮言ならば之を用ふべからず。】
自分勝手でふざけた言い分であれば、これを用いるべきでは、ありません。
【若し経家訳者より之を略すといはゞ】
もし、経典を結集した者、また、翻訳者の時から、これを略したと言うのであれば、
【仏説に於ては何ぞ理同事勝の釈を作るべきや。】
仏の説法においては、理同事勝の解釈を作る事が、どうしてできるでしょうか。
【法華経と大日経とは全体斉等なり。】
そうであるならば、法華経と大日経とは、全体で等しいと言う事になります。
【能〔よ〕く能く子細を尋ぬべきなり。】
この事は、よくよく、その詳細を調べるべきです。