日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


四恩抄(下)


【仏法を習ふ身には、必ず四恩を報ずべきに候か。】
仏法を習う身としては、必ず、四恩を報じるべき道理があります。

【四恩とは心地観経〔しんじかんぎょう〕に云はく、一には一切衆生の恩、】
四恩とは、心地観経〔しんじかんぎょう〕によれば、一には、一切衆生の恩です。

【一切衆生なくば衆生無辺誓願度〔むへんせいがんど〕の願を】
一切衆生がいなければ、菩薩の四弘誓願の一つである衆生無辺誓願度の願いを

【発〔お〕こし難し。又悪人無くして菩薩に】
発〔お〕こす事は、難しいのです。また、正法・誹謗の悪人がいなくて、菩薩に

【留難〔るなん〕をなさずば、いかでか功徳をば増長せしめ候べき。】
迫害を加えないならば、どうして功徳善根を増して行く事ができるでしょうか。

【二には父母の恩、六道に生を受くるに必ず父母あり。】
二には、父母の恩です。私達が六道に生まれる為には、必ず父母がいるのです。

【其の中に或は殺盗〔せっとう〕・悪律儀〔あくりつぎ〕・】
その中において、殺生や盗みを犯した家や、家畜の屠殺を職業とする家、

【謗法の家に生まれぬれば、我と其の科〔とが〕を犯〔おか〕さゞれども】
謗法の家などに生まれたならば、自分で、それらの罪を犯さなくても、

【其の業〔ごう〕を成就〔じょうじゅ〕す。】
自分の親との宿縁によって、悪業を作ってしまうのです。

【然るに今生の父母は我を生みて法華経を信ずる身となせり。】
それなのに現在の父母は、私を産んで法華経を信じる身としてくれたのです。

【梵天〔ぼんてん〕・帝釈〔たいしゃく〕・四大天王・】
それ故に大梵天、帝釈天、持国天・増長天・広目天・毘沙門天の四天王、

【転輪聖王〔てんりん・じょうおう〕の家に生まれて、三界四天をゆづられて】
転輪聖王の家に生まれて、欲界、色界、無色界の三界や四天下をゆずられて、

【人天四衆に恭敬〔くぎょう〕せられんよりも、】
人界、天界の出家・在家の男女に敬〔うやま〕われるよりも、

【恩重きは今の某〔それがし〕が父母なるか。】
さらに重い恩があるのが、現在の父母なのです。

【三には国王の恩、天の三光〔さんこう〕に身をあたゝめ、】
三には、国王の恩です。空に輝く太陽の光によって、我が身を暖め、

【地の五穀〔ごこく〕に神〔たましい〕を養ふこと、】
大地に育つ、米、麦、アワ、キビ、豆の五穀で生命を養うことができるのは、

【皆是国王の恩なり。其の上、今度〔このたび〕法華経を信じ、】
すべて、これは、国王の恩によるのです。さらに、この度、法華経を信じ、

【今度生死を離るべき国主に値ひ奉れり。争〔いか〕でか少分の】
この度、生死を離れることができる国主に会えたのです。どうして多少の

【怨〔あだ〕に依っておろかに思ひ奉るべきや。】
迫害によって、この国王の恩を疎〔おろそ〕かに思うことができるでしょうか。

【四には三宝〔ぽう〕の恩、】
四には、仏・法・僧の三宝への恩なのです。はじめに仏の恩を述べれば、

【釈迦如来無量劫の間菩薩の行を立て給ひし時、】
釈迦如来は、無量劫の間、菩薩の修行を立てたときに、その修行によって

【一切の福徳を集めて六十四分と成して、功徳を身に得給へり。】
すべての福徳を集めて、これを六十四に分けて、功徳を身に得られたのです。

【其の一分をば我が身に用ひ給ふ。今六十三分をば】
しかし、そのうちの一分だけを自分の為に用いられ、今、残りの六十三分を

【此の世界に留め置いて、五濁雑乱〔ごじょく・ぞうらん〕の時、】
この娑婆世界に留め遺して、末法の五濁・雑乱の時、

【非法の盛〔さか〕んならん時、謗法の者国に充満せん時、】
非法が盛んになるであろう時、謗法の者が国中に充満する時、

【無量の守護の善神も法味をなめずして威光勢力減ぜん時、】
無量の守護の諸天善神も、正法の法味を受けずに威光勢力が減ずるであろう時、

【日月光を失ひ、天竜〔てんりゅう〕雨をくださず、】
日や月は、光りを失い、天の竜神は、雨を降らさず、

【地神地味〔ちみ〕を減ぜん時、】
地神は、大地の草木を育てる力を減じる時、

【草木根茎〔こんきょう〕枝葉華果〔けか〕薬等の七味〔しちみ〕も失はん時、】
草木の根、茎、枝、葉、華、果、薬などの七つの味も無くなる時、

【十善の国王も】
過去に十善戒を持〔たも〕った結果、今生に国王と生まれた、その国王までもが

【貪瞋癡〔とん・じん・ち〕をまし、父母六親に孝せずしたしからざらん時、】
貪・瞋・癡の三毒を増し、衆生が父母、兄弟、妻子に孝を尽くさず、不和になる時、

【我が弟子、無智無戒にして髪〔かみ〕ばかりを剃〔そ〕りて】
そうした中で仏の弟子が、無智で無戒のまま髪を剃り、形だけの出家となった為、

【守護神にも捨てられて、活命〔かつみょう〕のはかりごとなからん】
守護の諸天善神にも捨てられて、生命をつないでいく手段のない

【比丘比丘尼の命のさゝへとせんと】
僧や尼僧に対して、その六十三分の福徳によって彼らの命を支えようと

【誓ひ給へり。又果地〔かじ〕の三分の功徳、】
誓われたのです。また、仏は、成道によって得た果徳の寿命を三つに分け、

【二分をば我が身に用ひ給ひ、仏の寿命百二十まで】
その功徳の三分の二を自身の為に使われ、本来仏の寿命は百二十歳まで

【世にましますべかりしが八十にして入滅し、】
この世に生きていられるはずでしたが、八十歳で入滅し、

【残る所の四十年の寿命を留め置きて我等に与へ給ふ恩をば】
残る四十年の寿命を後世に留め置いて、我らに与えられたのです。

【四大海の水を硯〔すずり〕の水とし、】
従って、その恩と言うものは、四大海の水を硯〔すずり〕の水とし、

【一切の草木を焼いて墨となして一切のけだものゝ毛を筆とし、】
すべての草や木を焼いて墨を作り、すべての獣〔けだもの〕の毛を集めて筆とし、

【十方世界の大地を紙と定めて注〔しる〕し置くとも争〔いか〕でか仏の恩を】
十方世界の大地を紙として書き残しても、どうして、このような仏の恩に

【報じ奉るべき。法の恩を申さば法は】
報いることができるでしょうか。法の恩を述べるならば、

【諸仏の師なり。諸仏の貴き事は法に依る。】
法は、すべての諸仏の本師なのです。諸仏が貴いことは、法に依るのです。

【されば仏恩を報ぜんと思はん人は法の恩を報ずべし。】
それ故に、仏の恩に報いようと思う人は、法の恩に報いるべきなのです。

【次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。】
次に僧侶への恩について言えば、仏宝、法宝の二宝は、必ず僧侶によって、

【譬へば薪〔たきぎ〕なければ火無く、】
後世に伝えられるのです。譬えば、薪〔たきぎ〕がなければ、火は、有り得ないし、

【大地無ければ草木生ずべからず。】
大地がなければ、草木が生えることは、ありません。

【仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて】
仏法があっても、僧侶がいて、それを伝えなければ、正法・像法二千年を経て

【末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく】
末法へと仏教を伝えることは、できないのです。それ故に仏は、大集経に

【「五箇〔ごか〕の五百歳の後に、無智無戒なる沙門〔しゃもん〕を】
「五の五百歳の後の末法の無智・無戒の僧侶に対して

【失〔とが〕ありと云て是を悩ますは、】
罪があるといって、この僧侶を悩ますならば、

【此の人仏法の大灯明〔とうみょう〕を滅〔めっ〕せんと思へ」と説かれたり。】
この人は、仏法の大灯明である正法を滅ぼすと思え」と説かれています。

【然れば僧の恩を報じ難し。】
そうであればこそ、末法において僧侶の恩を報ずるのは、実に難しいのです。

【されば三宝の恩を報じ給ふべし。】
それ故に、なおのこと三宝の恩を報じるべきなのです。

【古の聖人は雪山童子〔せっせん・どうじ〕・常啼菩薩〔じょうたい・ぼさつ〕・】
昔の聖人には、雪山童子〔せっせん・どうじ〕、常啼菩薩〔じょうたい・ぼさつ〕、

【薬王大士〔やくおう・だいし〕・普明王〔ふみょうおう〕等、】
薬王菩薩、普明王などと言った人々が、おられますが、

【此等は皆我が身を鬼のうちがひ〔打飼〕となし、身の血髄〔けつずい〕をうり、】
これらの人々は、皆、我が身を鬼神の食べ物として、身体の血液と骨髄を与え、

【臂〔ひじ〕をたき、頭〔こうべ〕を捨て給ひき。然るに末代の凡夫、】
臂〔ひじ〕を燃やして供養し、頭を斬り捨てられたのです。しかし、末法の凡夫は、

【三宝の恩を蒙〔こうむ〕りて三宝の恩を報ぜず、いかにしてか仏道を】
三宝の恩に、このようにして報いようとせず、それで、どうして仏道を

【成ぜん。然るに心地観経〔しんじかんぎょう〕・】
成就することができるでしょうか。ところが、心地観経〔しんじかんぎょう〕や

【梵網経〔ぼんもうきょう〕等には仏法を学し円頓〔えんどん〕の戒を】
梵網経〔ぼんもうきょう〕などには「仏法を学び、大乗・円頓〔えんどん〕の戒を

【受けん人は必ず四恩を報ずべしと見えたり。】
受ける人は、必ず四恩を報ずべし」と説かれています。

【某〔それがし〕は愚癡〔ぐち〕の凡夫血肉の身なり。】
日蓮は、愚かで難しい事がわからず、他の人と変わらぬ血肉の身体なのです。

【三惑〔さんなく〕一分も断ぜず。】
さらには、見思惑、塵沙惑、無明惑の三惑の一分も断じていませんが、

【只〔ただ〕法華経の故に罵詈毀謗〔めり・きぼう〕せられて】
ただ、法華経を弘める故に罵倒〔ばとう〕され、誹謗〔ひぼう〕され、

【刀杖〔とうじょう〕を加へられ、流罪せられたるを以て、】
刀杖〔とうじょう〕を加えられ、流罪されたことをもって、

【大聖の臂〔ひじ〕を焼き、髄〔ずい〕をくだき、頭をはねられたるに】
過去の偉人たちが臂〔ひじ〕を焼き、髄〔ずい〕を砕き、頭を斬られたことに、

【なぞ〔擬〕らへんと思ふ。是一の悦びなり。】
なぞらえようと思います。これが第一の大きな悦びなのです。

【第二に大なる歎〔なげ〕きと申すは、】
流罪の身になったことについて、第二に大きな歎〔なげ〕きがあるのです。それは、

【法華経第四に云はく「若〔も〕し悪人有って不善の心を以て、】
法華経第四巻の法師品に「もし、悪人がいて、邪悪な心をもって、

【一劫の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵〔きめ〕せん、其の罪尚軽し。】
一劫の間、現実に仏を前にして常に仏を罵〔ののし〕り、その罪は、なお軽い。

【若し人一つの悪言を以て在家出家の法華経を読誦〔どくじゅ〕する者を】
もし、人がただ一つの悪言でも、在家・出家の法華経を読誦する者を

【毀呰〔きし〕せん其の罪甚だ重し」等云云。】
謗〔そし〕ったならば、その罪は、はなはだ重し」などと説かれています。

【此等の経文を見るに、信心を起こし、】
我が身にあてて、この経文を見るとき、ますます信心を起こし、

【身より汗を流し、両眼より涙を流す事雨の如し。】
これを聞いて、身より汗を流し、両眼から涙を流すことは、雨と同じなのです。

【我一人此の国に生まれて】
その理由は、日蓮一人が、この日本国に法華経の行者として生まれた為に、

【多くの人をして一生の業を造らしむる事を歎く。】
多くの人々に法華・誹謗の為に、一生の悪業を造らせてしまうことを歎くのです。

【彼の不軽菩薩を打擲〔ちょうちゃく〕せし人現身に】
あの不軽菩薩を叩〔たた〕いた人々は、その生きている間に

【改悔〔かいげ〕の心を起こせしだにも、猶罪消え難くして千劫〔せんごう〕】
悔い改める心を起こしたのに、なお、その罪が消え難く、千劫という長い間、

【阿鼻地獄〔あび・じごく〕に堕〔お〕ちぬ。】
阿鼻〔あび〕地獄に堕ちてしまったのです。

【今我に怨〔あだ〕を結べる輩〔やから〕は未だ一分も悔〔く〕ゆる心もおこさず。】
ところが今、日蓮に怒りをなした者達は、いまだに少しも後悔する心も起こさず、

【是〔これ〕体〔てい〕の人の受くる業報を大集経に説いて云はく】
このような人々が受ける悪業の報いを、大集経に説かれているのには、

【「若し人あって万億の仏の所にして仏身より血を出ださん。】
「もし、人がいて、千万億の場所において仏の身より血を出〔い〕だす。

【意に於て如何〔いかん〕。此の人の罪をうる事寧〔むし〕ろ多しとせんや否や。】
これを、どう思うか。また、この人の受ける罪は、多いかどうか。

【大梵王〔だいぼんのう〕言〔もう〕さく、若し人只〔ただ〕一仏の身より】
大梵王が仏に申すには、もし、人がいて、ただ一人の仏の身から

【血を出ださん、無間〔むけん〕の罪尚多し。】
血を出〔い〕だしただけでも、無間地獄に堕ちて多くの劫を経なければならない。

【無量にして算〔さん〕をおきても数をしらず、】
その罪は、計算する道具を使っても、数えることができないほど長い間であり、

【阿鼻大地獄〔あび・だいじごく〕の中に堕ちん。】
必ず、阿鼻〔あび〕大地獄の中に非常に長い間、堕ちるのである。

【何に況〔いわ〕んや万億〔まんのく〕の仏身より血を出ださん者を見んをや。】
まして万億の仏の身体から、血を出〔い〕だした者においては、

【終〔つい〕によく広く彼の人の罪業果報を説く事ある事なからん。】
その人の罪の重さと、その結果をすべて説き尽くせる人は、いないのである。

【但し如来をば除き奉る。仏の言はく、】
それは、仏以外の話であり、仏が、その人の罪の大きさを述べられるには、

【大梵王、若し我が為に髪〔かみ〕をそり、袈裟〔けさ〕をかけ、】
大梵王よ、もし、仏の為に髪を剃り、袈裟をかけているのに、

【片時も禁戒〔きんかい〕をうけず、欠犯〔けつぽん〕をうけん者を、】
片時も戒律を守ることもなく、また、戒律を犯した者であっても、

【なやまし、の〔罵〕り、杖をもて打ちなんどする事有らば、罪をうる事】
その人を悩まし、罵〔ののし〕り、杖で打ったりすることがあれば、受ける罪の

【彼よりは多し」と。】
大きさは、千万億の仏の身より血を出〔い〕だす者よりも重い」とあるのです。

【弘長二年(壬戌)正月十六日 日蓮花押 工藤左近尉殿】
弘長2年1月16日 日蓮花押 工藤左近尉殿へ



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